2‐28患者をさいなむ悲しみという毒
薬の投与から七日経った。
だが、患者の経過は思わしくなかった。
解毒は順調に進んでいる。
まず、服薬後は鉱物による侵蝕が完全に止まった。毛細血管の破裂が落ちつき、紫斑も減ってきた。血液の循環が改善されたことで鉱物も緩やかに融けだして、段々と脈に吸収されていっている。
ならば、なにが懸念されるのか。
「なんで私ばかりがこんな酷いことに」
「いやなことばかり想いだして眠れないんだ、助けてくれ」
「どうせ、俺なんかいなくなればいいんだ。職場の奴等も家族も、俺を厄介者だとおもってるに違いない」
「お助けください、つらくてつらくて」
患者たちが口々に喚き、訴えている。
「ええっと、どこがおつらいのか、伺ってもいいですか? 頭が重いとか、お腹をくだしているとか、教えていただければ」
「なにもかもです。なにもかもがつらいんですよ!」
涙ながらに声を荒げられた。
屈強な武官が眼を腫らして涙をこぼすくらいだ。よほどにつらいことは察せられるのだが、「つらい」と繰りかえされるばかりでは要領を得なかった。
「おつらいきもちはわかります。よく、たえてくださっているとおもいます」
薬を持ってきた
慧玲の頬にはまだ官吏に殴られたときの腫れが残っていて、
「一緒に乗り越えていきましょうね。かならず、解毒できますから。昼のお薬は鶏の珈琲煮にいたしました。鶏がお好きなんだとか。やわらかく煮てありますから、どうぞ」
鶏の
「うぅ、すみません……つらくて」
患者は涙ながらに薬膳を食べだす。
病室を後にしてから、
「どうなっているんでしょうか、あれ」
「毒の影響です。強い毒はときに感情をも蝕みますから」
木毒に侵されていた時、
「旨き食は心を落ちつかせ、やすらぎを与えるものです。患者たちの御心がちょっとでも楽になられたら」
「それでこんなにたくさんのご飯を?」
慧玲が苦笑する。
「細やかななぐさめですが」
食卓をかこむ時だけでも悲嘆をわすれられたら。
さあ、今晩はどんな食卓にすれば、患者たちの食が進むだろうかと。
…………
「哀しい……誰も助けてくれない」
後宮の秋の宮では妃嬪がさめざめと涙をこぼしていた。
彼女は
彼女の左側の頬から耳にかけて、大きな鉱物の塊がついている。
春の嵐で毒の砂が拡散したのか、後宮でもわずかだが、金毒の患者がでたのだ。
萌萌は毒のつらさにたえきれず、朝から晩まで袖を濡らすばかりで、日に日にやせ衰えていった。
「薬膳をお持ちいたしました」
今晩は
だが、壁ぎわで身を縮めていた萌萌は銘々膳に眼もくれず、拒絶する。
「いらない、喉を通らないの」
「ひとくちだけでも、難しいでしょうか」
「……ごめんなさい」
「なにか、食べられそうなものはございますか」
慧玲が声をかけたが、萌萌は黙っている。
女官たちが「煮魚はお好きでしたよね」「
「……死にたい」
「っ」
「そんなのって……っ」
後ろに控えていた
慧玲は萌萌の手を握り締めて、ささやきかけた。
「まもなく御楽になられますから。そうしたらまた、琴を聴かせてくださいませね」
琴という言葉に萌萌はわずかだが、視線を動かす。視線のさきには緞帳をかぶせられた琴がおかれていた。
「琴……琴、また弾けるかしら。頭がぼんやりとして弾こうとしても弾けないの」
「弾けますよ。みなが貴女様の琴の調べを心待ちにいたしております」
励ますが、萌萌は睫をふせて憂いの息を洩らした。
「……いいえ、きっと弾けないわ、もう」
どのような言葉でも毒された萌萌の心をやわらげることはできない。女官たちも哀しげに眉をさげ、口をつぐんだ。
箸すらつけてもらえなかった食膳を持って、慧玲は退室する。藍星はなにかを言いたげにしていたが、諦めてあとに続く。項垂れたふたりの背を、
…………
「舌に乗せるだけで脂がじゅわりと弾けて、もうっ、最高です。人参、玉葱もこれだったら食べやすいですね。ああ、こんなにおいしいのになぁ、もったいないですよね!」
残り物をがつがつとたいらげながら、藍星は大声でまくしあけた。
「藍星、行儀がよくないですよ」
「だって」
慧玲が苦笑まじりになだめれば、藍星は唇をとがらせた。
「悔しいんです。時間を掛けて、しっとり、ぷるぷるに煮たのに、ひとくちも食べてもらえないなんて」
後宮の
「薬膳を捨てるなんて食材にたいしても失礼ですからね」
「無理はしないでくださいね」
「へっちゃらです。慧玲様の薬膳はいくらでも食べられるくらいにおいしいですから。おかわりだっていけちゃいますよ」
藍星がふふんと胸を張る。だが、彼女はすぐに表情を曇らせた。
「慧玲様こそ、ご無理なさっていませんか。朝から晩まで調薬にむかっていて、眠っておられないんじゃないですか?」
「だいじょうぶですよ」
慧玲は鍋を洗いながら、微笑みかける。藍星に懸念はかけたくない。だが、眼もとの隈は隠せなかった。
「慧玲様は患者を助けるためにこんなにも身をけずっておられるのに、死にたいなんて酷すぎませんか。あんまりです」
想わず、洗い物の手がとまった。
実のところ、先ほどの萌萌の言葉は抜けぬ棘のように慧玲の胸に突き刺さっていた。だが、憤ってはいなかった。
あの言葉が捨て鉢になって投げだされたものならば、慧玲は萌萌を叱っただろう。いつだったか、火毒で火傷を負った
だが、先程のか細い声は
「つらいのは私ではなく、患者ですから」
医者は患者に寄りそうことができる。
だが、残念ながら患者になることは、できないのだ。慮ることはできても、そのつらさを一緒に体験することも痛みをかわってあげることもできなかった。
藍星は納得できなかったのか、頬っぺたが膨らむほどにご飯をつめこみながら不満を垂れる。
「私なら、患者でも殴ります」
「藍星ったら、もう」
微苦笑してから慧玲はふうと息をつく。
「死にたいほどの悲しみまで、薬で取りのぞいて差しあげられたら、ほんとうはいいのですが。悔しいとすれば、そちらのほうでしょうか」
「そんなの、神様じゃないと無理ですよ」
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