2‐27医師と患者は信頼あってこそ

 患者たちは「痛い」「つらい」と呻きながら、ちからなく横たわっていた。先ほど全員を診察したので、病状が進んでいる患者は把握できている。宦官たちが特に重篤なのは失踪した宦官たちと宿舎がちかく、窓から吹きこんできた毒の砂を吸ってしまったせいだろう。宿舎の調査をしていた官吏たちもしかりだ。


「順に薬をお渡しいたします。かならず全員にいき渡りますから、割りこんだりはなさらず、お待ちいただけますよう、お願いいたします」


 官吏、宦官、女官たちは指示にしたがい、列をなす。だが、若い宦官をつきとばして、病室に飛びこんできたものがいた。


「薬ができたのか。ならば、こんな宦官ではなく私が優先だ」


 官吏だろうか。蜥蜴とかげのようにぎょろぎょろとした眼が落ちつきなく動いていた。まとっている服からは高貴な身分であることがわかる。


「私はこいつらとは違う。第三官だいさんかんの役職についているんだからな」


 藍星ランシンが息を荒げて「ちょっと」と喰ってかかりかけたが、慧玲フェイリンは落ちついて「患部はどちらですか」と尋ねた。


「左手だ」


「失礼いたします」


 確認する。親指の爪が鉱物に病変していたが、それだけだ。


「申し訳ございませんが、重篤な患者様が優先となっております。しばらくお待ちいただければ」


「なんだと。この私が薬を渡せといっているんだ、さっさと渡せ」


「できません。身分や役職の差はここではないに等しいものです。誰もが患者です」


「食医の分際で私に命令するのか!」


 官吏は激昂して、慧玲を殴りつけた。慧玲は勢いよく倒れこむ。患者たちがうろたえながら「食医しょくい様!」と叫んだ。


「慧玲様! このっ」


 藍星ランシンは堪忍ぶくろの緒が切れたとばかりに官吏を殴りかえした。官吏は殴られたと理解して、鼻が膨らむほどに顔を紅潮させ、怒りだす。


「貴様、イー家にこのような無礼を働いて、宮廷にいられるとおもうなよ!」


 官吏は再度、腕を振りあげる。藍星がぎゅっと身を縮めたその時、後ろから官吏の

腕をつかんだものがいた。


「喧嘩かとおもって覗いたのに。男のくせに女官を殴るとかだっせぇですね」


「なんだと! 私をイー家と知っての」


「蜴家って、なりあがりの新士族しんしぞくでしょう? しかも第三官、そんな微妙な階級でよくもこんな横柄な態度が取れるものですねぇ。ツラの皮が厚すぎませんか?」


「な、な、な……」


 遠慮のかけらもないというよりは人を喰ったような言動に官吏は度肝を抜かれている。


「ああ、その程度だから、身分が低いやつらをつかまえて偉ぶることだけが娯楽なんですね? 理解できました。俺、ロォン家なんで、にわか士族の考えることってわからなくて」


「ロォ、竜家……というと、あ、あの三大家の」


 官吏がいっきに青ざめた。


「そうそう、その竜家ですよ。っと、そこの食医様? これ、取り敢えず、外に連れだしておいていいですか」


「は、はい、廻廊にてお待ちいただけると」


 倒れたままで事のなりゆきを眺めていた慧玲は唐突に話を振られ、戸惑いながら、なんとかそれだけいった。竜家と名乗った武官が官吏を連れて退室しようとしたところで、藍星が頭をさげた。


「あ、ありがとうございます」


「たいしたことはしてませんよ。あ、そうそう、思いきりがよくてなかなかの殴りっ振りでしたが、体格差がありすぎる時は股ぐらを蹴りあげたほうがいいですよ」


 それだけいって、武官は背をむけ、遠ざかっていった。変わった男だ。捉えどころがないというか、常識外れというか。


 気を取り直して、慧玲は薬を温めなおすと患者たちに振る舞った。


蒲公英珈琲タンポポコーヒーです」


 患者たちは薬をのみ、ほうと息をついた。


「落ちつく味ですね。心がやわらかくなるような」


「痛みがやわらいできました」


 だが鉱物がいっきに剥がれたり、崩れたりということはなかった。これまでは後宮食医の処方した薬膳を服せば、たちまちに毒疫どくえきが解毒できた。患者たちのあいだにわずかだが、不安感が拡がる。

 患者たちの心細さを察して、慧玲が唇を解いた。


「こちらの毒は特異で、薬をもってしても即日、解毒できるものではありません。しばらくは薬を飲み続けていただくことになります」


 金毒はすでに脾、血管、肺を蝕んでいる。強い火の薬を投与しては融解崩壊の危険があった。だから血液の火の要素を補助して、自浄を促すのだ。


「かならず、患者様全員を解毒します。ですから私を、白澤の姑娘を信頼して、ともに毒と闘っていただけますか?」


 食医ではなく、敢えて白澤という言葉を選んだ。彼女の誇りはそこにあるからだ。

 医師と患者にとって、最も重要なものは信頼だ。患者は医師に命を預ける。医師は患者の信頼に値するものであらねばならず、その信頼に命を賭して報いなければならないというのが白澤はくたくの基本理念だ。


 患者たちはいっせいに袖をかかげ、こたえた。


「心得ました。白澤の食医様を心から信頼いたします」

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