幕間 毒師、媚薬を盛られる
「
春の宮――鏡にむかって紅を施す妃嬪の背後で、背の低い女官がか細い声をあげた。
「いやよ、わたくしは手に入れるときめたら、かならず手にいれるの。わたくしは豪商たる
後宮にあがったときは老けた皇帝に落胆したが、皇帝が崩御したあと、新たにあらわれた
振りむいた彼と視線が重なったとき、花花は一瞬にして恋に落ちた。
「彼はわたくしの
恋するおとめはうっとりとつぶやき、工芸茶が入った壺をこつんと指さきで軽く弾いた。だが、浮かれるあるじとは違い、女官は顔色が悪かった。それもそのはず、花花が持っている工芸茶には、とある薬が隠されているのだ。
「だからといって、次期皇帝に媚薬を盛るなんて――」
「あら、恋の
「ですが、このあいだは皇太子様と喋っておられたというだけで、食医の姑娘が持ってきた薬の茶葉をわざと濡らして、かびさせたではありませんか」
「ええ、かびた茶葉を納めたと問題になっていたわね。
女官は青ざめてうつむいた。ぎゅっと袖に隠したこぶしを震わせる。
「私、もうこれいじょうは花花様の御命令には」
「なによ、お父様が借金を肩がわりしてあげたのをわすれたの?」
女官が息をのみ、縮こまる。それを持ちだされては、女官は従うほかにない。
花花は最後にひとつ、額に
「さ、お茶会にむかいましょう? 皇子様とふたりきりの、ね」
飾りたてられた
………………
「待たせてしまったかな」
花花の愛しい皇子様――もとい鴆 《ヂェン》は約束の時刻からわずかに後れて、茶室にやってきた。
「いえ、愛しい
「それはよかった」
鴆は銀刺繍の施された紫の絹を身に纏い、銀製の髪飾りをつけている。あいかわらず、都中を捜しても比肩する男がいないほどに秀麗な風貌だ。重ねて物腰穏やかで皇族らしい気品を漂わせている。
ぜったいに欲しい。花花がぽってりと紅の施された唇を舐める。
「いま、お茶を淹れさせていただきますわ。とてもめずらしい工芸茶がございますの」
あらかじめ工芸茶の入れられた茶杯に急須から湯をそそぐ。ちょうど飲み頃になると茶葉が花のようにひらいた。
「どうぞ」
鴆に渡した花には媚薬が隠されている。ひとくち飲めば、男がたちまち女に跪くほどに強力な媚薬だとか。
鴆は
これで理想の皇子様が手に入る――――
「……うん、素晴らしい茶だね」
「ふふ、有難き御言葉ですわ」
花花も続けて、
媚薬というのはどれくらい経ったら効いてくるものなのだろうか。強い媚薬ということは飲んだらすぐにでも効力があらわれるのだろうか。だとしたら嬉しいのだけれど。
こくり。茉莉花茶が喉から落ちたそのとたん、花花の肌がごうと燃えあがった。
「な、に……これ」
媚薬。なんてものではなかった。
熱い、痛い――神経をやすりでけずられているような。あまりの劇痛に襲われて、すわっていられることもできずに花花は倚子から崩れおちた。
「ああ、やっぱり、毒だったか」
鴆はさきほどまでの穏やかな微笑を掻きけして、ぞっとするくらいに冷徹な眼をしていた。
「あやしいとおもって、茶杯をすりかえておいたんだよ」
いったい、いつのまにそんなことを。
「ち、違う、わ……こ、これは……薬よ、とても
「おなじことだよ。分量、調合を誤れば、薬も毒に転ずる」
興奮も程度を過ぎれば命にかかわり、感度もあがりすぎれば燃えるような痛みにしかならない。
「そ、そんなの、し、知らなかった……の、わ、わた、わたし」
言葉を発するだけでも、舌も喉も焼けつくように痛かった。呼吸をすることもつらい。鴆は這いずる花花の眼前に靴底を落とす。かつんという空気の震えだけでも肌を幾千の針で刺されたように痛んだ。
涙目で振り仰げば、鴆が微かに口の端をあげていた。微笑んでいる――?
「助けてあげようか」
奇麗な微笑を湛えて鴆が救いの手を差し伸べる。
ああ、やっぱり、彼は優しい
「た、助けて――――」
そのときだ。鴆の袖から、するすると糸を垂らして蜘蛛がさがってきた。紫の蜘蛛だ。花花が悲鳴をあげるまもなく、蜘蛛は助けをもとめて伸ばされた花花の手に牙を剥いた。
………………
「こちらが
「御苦労」
鴆は部下から媚薬入りの工芸茶を預かる。
風が吹き、梅がはらはらと舞った。廻廊の
まさか毒師に毒を盛ろうとしたなんて想像だにしていなかったはずだ。
「稚拙な毒はともかく、彼女に罪をかぶせた報いは命で償ってもらわないとね」
それにしても、媚薬か。
「彼女に飲ませたら、どうなるかな」
緑の眼が潤み、蕩けて、毒を喀かぬようにとかみ締めてきた唇がだらしなく
接吻ひとつで底まで溺れるようになれば。
そのときならば、胸のなかにとじこめ続けてきた「助けて」も「つらい」も言葉にだせるだろうか。
は、と鴆は自嘲するように乾いた嗤いを喀いた。
「くだらないな」
こんな劣悪な毒で、彼女を壊せるものか。
「あんたを壊すのは僕の毒だ」
壺のなかにつまっていた工芸茶を篝火に投げこむ。
茉莉花のあまやかな香を漂わせた烟があがった。篝火に背をむけ、鴆はほの昏い宮廷のなかへと還っていく。宮廷の
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