2‐12争うも和するも食ひとつ

 あとは諸症状があらわれないかどうか、だが――

 側近たちが身を乗りだす。


「陛下、御身おんみに異常は」

「わずかでも異変があれば、あの姑娘おんなを斬り捨てて参ります」


 だが、シンおうは頭を横に振る。


「その必要はない。これまでは食べてすぐに呼吸ができなくなった。いまは、なんともない」


 念のため、彼は袖をまくりあげて発疹がないか、確認する。昔の痕は残っているが、新しいものはなかった。


緑豆リョクトウの麺、だったか?」


「左様でございます」


 慧玲がすかさず、補足する。


「緑豆は昔から解毒げどく良薬りょうやくといわれ、大陸で親しまれてきました。炎症を抑え、免疫の誤認による疾患を緩和する効能がございます」


「博識だな。食医というだけはある」


「恐縮です」


 蜃王は真剣な表情で椀に視線を落とした。


「――――この椀が剋の意なんだな、ヂェン皇太子」


 拉麺は湯と麺からなる。

 ふたつが絶妙に絡みあい、和することではじめてに美食となるものだ。王鯛タイ拉麺ラーメンは陸のさちにして民の食である緑豆リョクトウを麺につかいながら、あくまでも海の幸をたてている。だが、鯛の旨みをひきだしているのは葱だ。


 これを、どう取るか。


 シンの側近が声を荒げた。


「食で意を語るなど、ふざけています」


「いいや、俺はそうは想わないな」


 蜃王が頭を横に振る。


「おまえたちも食ってみろ。食えば、わかる」


 拉麺ラーメンは側近全員に配膳されていた。豊かな魚介の香に食欲をそそられつつ、意地を張って拒絶していた側近たちがそろそろと箸をつける。


「これは……!」


 声にならない声をあげ、側近たちが貪るように食べだした。夢中になって舌鼓を打つ姿が雄弁に語っている。


姑娘おんな……いや、食医だったか」


 蜃王は腰に帯びていた剣をはずして、倚子いすにたてかけた。宮廷に訪れてから、かたときもおくことがなかった剣だ。あの剣は彼の疑いの象徴でもあった。それをはずして、蜃王は食殿に響きわたるほどの声を張りあげる。


「これまでの非礼を詫びる」


 誰もが呆然となった。傲岸な態度を貫いていた蜃王が頭をさげたのだ。

 王たるものが女にたいして低頭するなど、あってはならないことだ。側近たちが箸を握り締めたままで青ざめる。


 慧玲フェイリンは畏縮して、膝をつく。


「どうか、そのようなことは――」


「俺は患者として医師に詫びているんだ。畏まることはないさ。ついでにもうひとつ、優秀な医師に頼みがある。俺が飲んでも毒にならない酒はあるか?」


 蜃王の意を察して、慧玲が息をのんでから、静かに微笑んだ。


「ございます」


 宮廷で飲まれる酒は黄酒ホアンチュウ白酒バイジュウ黒酒ヘイチュウ醴酒リチュウの四種だが、どれも穀物をかもして造るものだ。だが、離舎にはひとつだけ、穀物をつかっていない異境の酒がある。藍星ランシンに声をかけ、ただちに持ってこさせた。


葡萄酒ぶどうしゅでございます」


 華やかな紅酒だ。とっぷりと杯を満たせば、芳醇な果実の香が拡がる。蜃王は杯を掲げて鴆とむきあった。


「――乾杯」


 杯をかわして、ともに底まで乾かす。


 同時に飲み乾すことで毒をまぜていないと証明するのが、乾杯の原意だ。これが転じて、互いを信頼するという誓いになった。裏をかえせば、この時をもってはじめて、条約について話しあうだけの基盤ができたのだ。


 食なくして人は非ず。争うも和するも食ひとつ。


 その晩を境として、会談は条約締結の実現にむけ、着実に進みだした。

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