2‐11薬としての誇りと気魄

「女の庖人りょうりにんなんかの命が、この俺とつりあうとでもおもっているのか? たいした慢心だな」


食医しょくいです」


 怒気を剥きだしに凄まれてなお、慧玲フェイリンは揺るぎのない眼差しを徹して、わずかたりとも臆することはなかった。


「そして、あなたさまは患者です」


「俺が患者だと?」


 シンおうは訳が解らないとばかりにかぶりを振り、慧玲フェイリンの喉に剣身けんしんを喰いこませていく。白い肌が破れ、血潮があふれだす。

 震えていた藍星ランシンが弾けるようにヂェンのもとにむかい、懇願する。


ヂェン様、どうか、慧玲様を助けてください。あれでは、ほんとうに殺されてしまいます。おふたりは想いあっておられるんですよねっ、だったら――」


「僕は、助けないよ」


 にべもなく、ヂェンは袖にすがりついてきた藍星ランシンの手を振りほどいた。


「なっ、なんで」


 酷薄こくはくな紫のをひずませ、鴆が微かにわらう。


「彼女は薬としてたたかっている。白澤はくたくの一族たる誇りを賭してね。そうであるかぎり、僕は彼女のために動くつもりはない」


「そんな……」


「それに」


 鴆の眼差しが一瞬だけ、やわらいだ。


「彼女は、あんなつまらない男に殺されはしないさ」


 喉に剣を突きつけられながら、慧玲は朗々と声を張りあげた。


「医のあるところに貴賤きせんなし。ただ、医師と患者がいるのみ――我が一族の教えです。私の調える食膳は《薬膳》です。毒とは相反するもの。どうぞ、薬をお楽しみください」


 緑眼りょくがんと、碧眼へきがんが睨みあう。

 医を語る姑娘むすめ気魄きはくされたのか、観念したように視線を逸らしたのはシンおうのほうだった。彼は剣を鞘に収め、倚子いすについた。


「箸を」


 側近は戸惑いつつ、王に箸を差しだす。

 臭みもなく旨みの風味だけを湛えた素湯スープを覗きこみ、蜃王がごくりと喉を動かした。ためらいを振りはらって、粉絲麺はるさめめんを啜りあげる。


「……うまい」


 想わずといったように言葉が、落ちた。


 弾むような食感の粉絲麺はるさめめんは鯛だしに程よく絡む。

 魚と帆立の素湯スープはあっさりとしていながら、絶妙なコクがある。鯛は炙って余分な脂を落としておいたうえ、最後に葱香脂ねぎこうゆを垂らしたので、品のよい余韻だけが残るはずだ。


 彼は鯛の素揚げに箸を伸ばす。


 だが、その箸がとまった。察するに、過去には揚げ物でも、発疹や喘鳴などがあらわれたことがあったのだろう。


「畏れながら、穀物に敏感な患者様には種子である胡麻ごまも有害となることがあります。なので、宮廷でおもにもちいられる胡麻から絞った油は避け、橄欖オリーブという実から抽出された油で揚げました。誓って、御身おんみさわることはございません」


「……わかったよ」


 腹をきめたように蜃王が素揚げを口に運ぶ。

 きれいに揚がった鯛は素湯スープに浸っていたにもかかわらず、歯をたてれば、さくっと心地のよい調べを奏でた。あわ雪のような白身が、顔をのぞかせる。やわらかな身がほどけると鯛の脂がじゅわっとあふれた。


「は……」


 シンおうがたまらずに笑いをもらす。


「これだよ、俺はこれが食いたかったんだ」


 宮廷の食は穀物、蔬菜そさいを始めとして、鴨、ぶたはと、鶏と陸の幸がほとんどで、魚介はうなぎ、鯉、ふななどの淡水魚だ。時々海の幸があっても、鱶鰭ふかひれあわび、海老など乾した物ばかりだ。


 この鯛もほんとうならば、乾物ひものにするつもりだったとか。

 海を離れ、遥々と宮廷にきた蜃王にとっては、欲してやまなかった故郷の味に違いない。持参して庭で焼いて食べていたとしても、せいぜい魚の乾物ひものか、乾肉ほしにくあたりだろう。

 かみ締めたあと、彼がぽつとこぼす。


「ここまで旨い鯛は、蜃でも食ったことがないな」


 あとは諸症状があらわれないかどうか、だが――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る