2‐2熱風邪には白菜と大根

 李紗リィシャに薬を処方した慧玲フェイリンは、続けて李紗の宮まで迎えにきていた命婦のリン黄葉ファンイエに連れられて、春の季宮ときみやにむかった。

 季宮は馥郁ふくいくたる梅の香がした。


小鈴シャオリンはこちらです。ただの感冒かんぼうだとおもっていたのですが、熱が酷く、雪梅シュエメイ様もたいそう懸念されています」


 季宮ときみやの端には妃つきの女官の宿舎がある。小鈴シャオリン小房こべや臥榻しんだいに寝かされていた。熱にうかされ、苦しそうに呻いている。


慧玲フェイリンが参りました。すぐに診察させていただきますね」


 慧玲は小鈴に声をかけてから、診察をする。

 酷い熱だ。舌診をしたところ、赤みを帯び、細かなひび割れができていた。高熱が続いているせいで、身のうちに流動する津液つえきが蒸発して損なわれているのだ。

 続けて問診に移る。


「熱があがるまえに異様に寒かったり暑かったりはしませんでしたか」

「そういえば、妙に暑くて……おかしいなと、おもっていたのですが、そのときは熱もなかったので。まさか、感冒かぜにかかっているとは、思いませんでした」


 小鈴シャオリンは喘鳴の混ざったれた声で、とぎれとぎれに喋る。この様子では問診を続けるのも酷だ。


「承知しました。おつらかったでしょう。お楽になりますから、ご安心くださいね」

「ありがとうございます」


 小鈴が頭をさげた。経験したことのないような高熱が続き、心細かったに違いない。


 李紗もそうだったが、慧玲がきた、というだけで患者たちは安堵の表情を覗かせる。それほどに信頼されているのだ。裏切るわけにはいかない。


 庖房くりやを借りて、調薬をはじめる。

 藍星ランシンはいそいそと銅の卸金おろしがねを取りだす。


風邪ふうじゃには生姜ですよね! ふっふっふっ、おぼえましたよ」


「いえ、李紗嬪と違って小鈴様は熱感ねっかん感冒かんぼうですので、体温をあげる生姜は逆効果になります」


「ええっ、そうなんですか!」


 がびぃんとなって、藍星がつぶらな眼をさらにまんまるくする。


風邪ふうじゃにはふた通りあります。寒邪かんじゃをともなう風寒ふうかんと、熱邪ねつじゃが加わる風熱ふうねつです。どちらのじゃがもとになっているかで、処方する薬も違ってきます」


「確か、風邪のときは大抵が葛根湯カッコントウ麻黄湯マオウトウを処方しますよね」


「よく勉強していますね。そのとおりです」


 敬愛する慧玲に褒められ、藍星が一転してえへんと胸を張る。


「そもそも、感冒かぜのときに熱があがるのは人の備わっている免疫が、感冒を排除しようとするためです。なので、むやみに熱をさげず、葛根カッコン麻黄マオウといった漢方によって温めることで風邪ふうじゃを絶つのが最良と考えられます。ですが、熱が続いているときは、そのかぎりではありません」


 辛涼解表しんりょうげひょう、つまりは涼の効能がある薬が適する。漢方においては風熱に処方するのは板藍根バンランコン銀翹散ギンギョウサンだが、食材ならば――慧玲は荷をほどき、離宮から運んできた食材から白菜と大根を選ぶ。


「まずは大根や大根の葉、白菜をきってから、塩を振り、揉んでしぼります」

「了解です」


 大陸では、蔬菜そさいは煮るなどして食するのが基本だが、解熱に大根、白菜を取りいれるさいは熱を加えてはならない。


「大根と白菜には余分な熱を解き、臓の、とくに肺の乾きを潤す効能があります。こちらを、昨晩から煮こんでおいた鶏がらのだしに浸し、細かく刻んだ昆布と一緒に漬けこみます。最後に胡麻を散らすので、白胡麻を炒っておいていただけますか」


「承りました。この昆布にはどんな効能があるんですか」


「大根と白菜とおなじく熱をさげますが、微々たるものですね」


「それなのに、いれるんですか?」


「いかに効能があろうと、口に旨くなければ薬ではありませんから」


 隠し味ですよと微笑みかければ、藍星はなるほどと瞳を輝かせた。


 しばらく経って、薬ができあがる。


「大根と白菜の涼拌小菜ナムルです」


 小鈴は黄葉ファンイエに助けられながら身を起こして、小鉢に箸をつけた。

 まずは大根をひとくち。ぱりっと心地のよい音が弾け、熱にうかされていた小鈴の眼がぱちりとひらいた。


「……あぁ」


 息ひとつ、それだけでわかる。熱に侵されたその身が欲してやまなかったものにめぐり逢えて、細胞の端々までもが歓んでいることが。


「慧玲様のお薬は、やさしい、ですね」


 白菜、大根の葉と、柔らかい葉物をかみながら小鈴は微笑した。

 白澤の手に掛かれば、ありふれた食材が最良の薬となる。


「効能だけではなく、口あたりも。患者の負担にならないよう、細部にまで心が砕かれているのがわかります」


 涼拌小菜ナムルには、ほんとうならば、唐辛子を細かく刻んだものや胡麻油をまぜる。だが感冒で倒れている患者の身には強いだろうと、敢えてつかわなかった。小鈴シャオリンもまた日頃から庖房くりやで調理をする女官だから、それがわかったのだ。

 再度検温したところ、熱が落ちついてきていた。ひとまずは安堵できそうだ。


「涼拌小菜は三日分ほど漬けておいたので、食事がとれるときに少量ずつでも御召しあがりくださいね。あとは水分補給を心がけて、そうですね、額に濡れた手巾てぬぐいを乗せるのも効果があるとおもいます。日が暮れて熱があがったらお試しください」


 小鈴の看病は黄葉にまかせ、慧玲は藍星と一緒に宿舎を後にする。

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