84‐2 私が創った最強の毒《鴆 回想》

 約束どおり、七日後の朝に宮廷から迎えの馬車がきた。

 ヂェンの母親もその時ばかりは真新しい襦裙じゅくんを纏い、紅まで挿していた。

 帝族の妃となり、皇帝の暗殺が成就した暁には皇后となれるのだと、母親は桜が綻ぶように微笑んでいた。

 冬だった。季節を違えた桜は吹雪に散らされるだけだと、なぜ気づかなかったのか。



 山峡に差し掛かったとき、唐突に馭者ぎょしゃが馬に鞭をいれた。


 前方には崖――事故を見せかけて、殺すつもりなのだとヂェンは直感した。


 鴆の母親が咄嗟に扉をあけようとしたところで、捨て身の馭者が剣を抜き、斬りかかってきた。鴆の袖から牙を剥いた蛇が飛びだして、馭者にかみつく。だが、馭者はなおも剣を振りまわした。


 争っているうちに馬車は崖から転落した。


 離宮に暗殺者を差しむけても人毒に逆襲されるだろうと踏んで、無防備になるこの時をねらったのだ。

 それができるのはディアオだけだった。


 証拠隠滅という言葉が鴆の頭に過ぎる。

 ディアオが欲したのは竜血りゅうけつだ。竜血が手に入れば、毒師などは要らない。まして人毒にまで育った鴆は危険だと考えたのだろう。


 利用するだけ利用して、不要になれば殺される――


「ああ……やっと、幸せになれるはずだったのに」


 奈落の底に落ちていきながら、母親はぽつりといった。

 続けて重い衝撃が身を貫いた。

 馬車から投げだされて落ちたさきは、湖だった。

 鴆も母親も即死は免れたが、敵もそれを予想していたのか、続けて燃えさかる矢が降りそそいだ。


 母親は鴆を抱き締めて、盾になった。

 母の背に燃えさかる矢がひとつ、またひとつと刺さる。


「っふ……ふふふ、許せる、……もの、か」


 唇の端から血潮を滴らせ、母親が嗤いだした。


「けっきょく、最後まで……私から奪うのね」


 火は絶えまなく降り続ける。ほとんどは湖に落ちたが、馬車に刺さっていっきに燃えあがった。水鏡に映り、さながら火の海だ。


 鴆は絶望のなかで、鮮烈な既視感に見舞われていた。


 窮奇きゅうきの一族の里は皇帝の軍に焼き掃われたという。燃えさかる湖の場景は毒師の最期と異様なほどに重なった。鴆はその時のことを知らないが、母親に繰りかえし聴かされた惨劇は実際に経験するよりも強く、こころに根を張っていた。


 ああ、そうか、毒師はこうして燃やされたのだ――


「鴆、鴆……貴男は私が創りだした、最強の毒よ」


 母親は懐から血まみれの玉佩を取りだし、絶望する鴆に握らせた。


「私から全てを奪った皇帝も、私を騙したディアオも、毒師を捨てた帝族も、私を貶めた民も」


 母親の髪が燃える。襦裙きものが焦げる。命が焼け落ちる。

 蟲毒こどくかめを想わせる地獄の底で。


「――――なにもかもを、毒して」


 それきり、彼女は息をしなくなった。

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