幕間 毒師の独りごと 其の二

 ヂェンは毒のむしを身にしのばせている。袖には毒蛇と毒蛾どくが、衿もとに毒蜥蜴。裾には蜘蛛と蜈蚣むかで、帯にさそりを。

 蟲たちは人毒じんどくを身に帯びた鴆のことをあるじとさだめているので、如何あろうと牙を剥くことはなかった。彼らは矮小だが、敏い。一瞬のうちに強さを理解し、屈服する。言葉も要らず、ただ本能に随う。 

 鴆はそんな蟲たちを好ましくおもっていた。


「女というのは、大抵が蟲を嫌うものだとおもっていたよ。貴女は違うのか、慧玲フェイリン


 離宮はいつ訪れても静かだ。

 特に晩には喧しい女官もおらず、しんと透きとおった静寂しじまが流れていた。この時だけは毒師でも食医でもなく、穏やかに寄りそいあうことができた。


 鴆は窓に腰掛けて烟管を喫っている。隣では慧玲が壁にもたれて、猫でも愛でるように毒蜘蛛を膝に乗せていた。林檎ほどの大型種だ。毒々しい紫の被毛におおわれている。被毛のひとつひとつが毒針になっていた。刺さると強い神経毒におかされ、五分程で息絶える。

 だが毒に強い慧玲は恐れもなく、もふもふとなでている。


「そう? 確かに藍星ランシンは、虫が嫌いみたい。でもあれだけ、虫が嫌いなのは藍星くらいじゃないの」


「そうかな。リー 雪梅シュエメイだって好みはしないだろう」


「ああ、そういえば……房室に一度、蛾が舞いこんできた時は悲鳴をあげておられたような。蝶は御好きみたいだったのに」


 蛾も蝶も変わらないのに。と慧玲は理解できないとばかりに眉根を寄せた。


「違いがあるとすれば、昼に舞うか、晩に舞うかくらいでしょう」


「いや、後ひとつ」


 鴆がいいながら、袖を振る。袖から、緑の蛾が舞いあがった。萌えたばかりの草の緑を帯びた蛾はきわめて華やかだ。


「蛾には毒があるんだよ。蝶と違ってね」


「……そう」


 慧玲が睫をふせた。


「けれど毒は、薬になる。絹をつくる蚕は蝶ではなく蛾だし、冬虫夏草だって最もよく寄生するのは蛾の幼虫よ」


 蛾にむかって、彼女は躊躇もなく袖を差しだした。毒の蛾は誘われるように指さきにとまる。毒の鱗粉が散って月影のなかでちらちらと星のように瞬いた。


「毒にも薬にもならぬものより、私はそちらのほうが好きよ」


 芙蓉はすの眥をわずかにさげ、彼女はうっそりと微笑んだ。

 

 鴆はなぜか、胸に熱がともるのを感じた。

 蛾だけではなく――例えるならば、彼の毒そのものを認め、肯定されているような。奇妙なやすらぎがあった。


「それに……蜘蛛だって、素揚げにしたら香ばしくて旨みがあるのよ」


「は?」


 突如、話の流れが変わった。


「鶏のささみ、或いは白身の魚を熱したような味わいで……わずかに苦味はあるけれど、それがまたくせになって、箸がすすむのよ。眼の病にも効能があるから、文官にはぜひとも食べてもらいたいのだけれど、食べがいのある大きさの蜘蛛は後宮にはめったにいないからね。これだけ肥っていたら、さぞかし旨い薬になるでしょうね」


 慧玲が嬉しそうに指さきで毒蜘蛛の腹をつついた。


「卵はあるの」


 鴆は呆気に取られていたが、たまらなくなって嗤いだす。


「……は、はははっ、いいね。……そうか、あなたにとって毒のあるものは蟲だろうと、喰らうべきものに違いはないのか」


 彼女は毒を喰らう。そして毒を喰らわせる。

 薬と転ずるために。

 

 喰らうことは肯定でもある。

 彼女は薬でありながら、毒を肯定するのだ。


 だとすれば――


 鴆は想う。彼女はいつか、僕のことも喰らうだろうか――と。

 潤む唇を割って、皓い歯を立ててかみ砕き、毒を味わいつくす。最後はひとかけらも残らず、飲みくだされるのだ。

 彼女にならば、喰われてやってもいい。


 そんな惑いすら起こさせるほどに彼女の唇は華やかで。

 鴆は想わず身をかがめ、その唇を奪っていた。


「ん……」


 毒と、毒をまぜあわせるような、微かに苦い接吻くちづけだ。

 寄りそうほどに孤独になるのに離れられない。


「ほんとうだね」


「……なにが」


「苦いほど、癖になるというのは」


 はじめて彼女に接吻くちづけをしたときは敵意みなぎる挑戦と好奇だった。続けては同じ毒でも効果があるかどうかの試験。接吻にほかの感情が融けだしたのはいつからだったか。


 果たしてこの関係のいきつくさきは、毒か。薬か。解らないからこそ、いまだけは。


「もういちど、させてくれ」


「ふ、いつだって奪うみたいにするくせに」


 毒すものはかならず、毒される。

 だからきっと、奪うものこそが、奪われているのだ。

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