103ふたりきりの殯

 皇帝が崩御すると、亡骸は納棺され、骨になるまでまつられる。これをもがりという。

 窓という窓が帳におおわれた殯宮ひんきゅうはうす昏かった。死臭をやわらげるためのこうがたかれているが、えた臭いとまざってせかえりそうだ。宮を訪れた欣華皇后は棺を覗きこみ、まつげをふせる。


「ほんとうに可哀想ねえ、あなたって」


 横たわるは惨たらしい骸だった。

 雷に撃たれた彼の骸には、青紫の火傷が残されていた。肌の裏側に毒の根が張ったような痕に触れながら、欣華シンファが囁きかける。


「せっかく皇帝になれたのに、最後まで満たされなかったのよね。幼い時からずうっと有能な弟と比べられ続けて、父親にもでき損ないだと疎まれ、結局はこんなふうにあっけなく……ふふふ、でもよかったわねえ」


 これって楽な死にかたよ、と彼女は微笑んだ。

 二度とは動かぬ胸に鼻を寄せ、欣華は唇をとがらせる。


「約束はしたけど、まずそうねぇ。これなら、戦場に転がっている兵隊たちのほうがまだ、おいしそうだわ。どうしようかしら」


 彼女は微かに睫を震わせた。骸に視線を落としながら、その瞳には遠い場景が映っている。


「でも、想いかえせば、あなただけだったわね」


 ほつと息を洩らして。

 棺にひとつ、花を落とすようにつぶやいた。


「人を喰らうわたしをみて、綺麗だといってくれたのは」


 彼女が眠りを破られたのは、千年ほど昔のことだ。

 それまではびょうのようなところで時々捧げられるにえを喰らい、惰眠を貪っていた。ある時を境に祀られなくなり、贄も絶えた。飢えた彼女は廟から抜けだして大陸を彷徨い、戦禍せんかを煽っては戦死者たちを喰らい続けてきた。


 彼女は、時に神だと称えられ、時には化生ばけものだと疎まれた。

 饕餮とうてつと称されていた時代もあったように想う。


 そんな時、何もかもが死に絶えた戦場の果てで男と逢った。負傷して、争いが終わるまで繁みに隠れ続けていた男だった。

 骸の頂に腰掛けて、血潮に濡れた唇で歌を口遊んでいた彼女をみて、男はなにを想ったのか、滂沱ぼうだの涙を溢れさせ、跪いた。綺麗だといって。

 意外だった。

 みな、彼女が微笑んでいるうちには絶世ぜっせいの華だと愛でるが、人を喰らいだすときまって恐怖し、遠ざけた。彼女はただ、腹を満たしていただけなのに。

 貴女ほど綺麗なものをみたことがないと男はいった。触れても、いいだろうかと。彼女を寵愛するものは後を絶たなかったが、あれほど真摯な、震えを帯びた懇願の声を掛けてきたものはいなかった。

 彼女の動かぬ脚に触れ、男は歓喜した。感極まり、声をあげて泣き崩れる男の髪をなでながら、彼女は奇妙な熱を感じた。

 愛など、解らないけれど。


「嬉しかった。そうねぇ、嬉しかったのよ、とても」


 だから約束は果たしてあげましょう――

 欣華は皇帝の頬に接吻くちづけを施すように花唇くちびるを寄せた。華奢な顎をくつろがせ、舌を覗かせる。


「いただきます」

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