94 毒と薬の決戦
南の諸島から北の最端まで大陸を旅して、万の食材を堪能した賢者がいた。賢者は各地方で最も旨かった食材をその
(この
後は三日三晩、煮続けるだけだ。
だが問題は昼は陽の、晩は月の傾きにあわせて、火の強さを調整し続けなければならないことだった。かたときも側を離れることはできない。
「……食医の
「すごい緊張感だな。調薬というよりは敵と
二晩を過ぎたあたりから衛官が騒ぎだす。衛官はすでに何度か交替を経ているのに、
「ああ、そうか。あの根の張ったような後ろ姿、どっかでみたことがあるとおもったが、想いだしたぞ。先帝の背だ。先帝は戦線では絶えず先陣をきり、兵隊たちに背を預けた……あれは、陣にたつ者の背だ」
刺すようだった衛官たちの視線が次第に、畏敬の念をもちはじめる。
だが、慧玲の耳には今、彼らの言葉など聴こえてはいなかった。
(これだけ煮こみ続けているのに、濁りがなくならない。段々と澄みわたるはずなのに、なぜ。
調薬に不備はなかった。
(ああ、やられた)
慧玲は薬には
だから気づかなかったのだ。
(これは
そして
それもただの毒鳥ではなかった。
だが、強すぎる毒を怖れた帝族が遠い昔に絶滅させたはずだ。
それがなぜ、ここにあるのか。
(
この
彼は自身の称がついた最強の毒で、
「いいでしょう、受けてたつ」
たいする
(この鍋のなかに完璧な中庸――つまり、火は強からず、水も侮らず、木は滅ぼされず、金は乗らず、土も制されずという調和ができていれば、䲰日の毒をも薬と転じて、最強の薬ができあがるはず)
そのためには、ひとかけらの毒意もあってはならなかった。無意識の端にでも皇帝にたいする怨嗟があれば、復讐にたいする未練があれば、この薬は毒となるだろう。
朝になり、昼を過ぎ、夕に傾きだす。
まもなく、三日三晩が経つ。
魂だけが毒と薬の陣中にむかう。
視界に拡がったのは混沌たる嵐だった。
薬が毒を喰らい、毒が薬を貪る――螺旋をなして毒と薬が争うさまは、尾をのむ蛇の姿を想わせた。混沌の
薬の
(私は、
慧玲は握り締めていた剣を振りあげ、ひと息に絶つ。もうひとりの
慧玲の像がゆがみ、続けて
(ああ、やっぱり、おまえは私か)
ふたりは、等しい。
折れた指を結び、熟れて崩れかけた傷跡に
だが、そうはならなかった。
だから重ならない。
互いにひき帰せないところにまで進んでしまった。いまさら別の道は選べない。産まれ変わらないかぎりは。
ここが、薬と毒の
(時間ね――)
遠くから
殻を破るように慧玲の意識が現実に還る。
あと十秒経てば、薬ができあがる。
「ひ、ふ、みい」
そのときに鍋が濁っているのか、透きとおっているのか。
できあがるまでは、わからない。
「よ、いつ、む」
だが、如何にあろうと皇帝に渡す。
薬でも、毒でもだ。
「なな、やつ」
それが争いというものだから。
「ここの、とお――ああ、終わりね」
慧玲は鍋をあげ、薬を壷に移す。
「調いました」
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