93 毒と争うのは患者
物心ついた時から、
(
だが、解毒のために必要なものは幸い、そろった。
慧玲は袖から
(この
烟管から葉を取りだし、鍋で煮だす。湯があざやかな紅にそまった。
(ただの煙草だったら毒だけれど、これは薬草。茶葉のようなものだ)
鍋に砂糖をいれ、牛骨と豚皮を乾かして挽いた
(後は雪のなかに埋めるだけだ)
五分ほど経っただろうか。雪の底から取りだされた薬は、ぷるぷるにかたまっていた。
後は
声を掛けると、藍星はすぐに瞼をあげた。
「……待って、ました。薬、できたんですね」
「調いました。
ひんやりとした果凍を匙ですくって、慧玲は藍星に差しだす。
透きとおった紅の
だが藍星にそれが視えているかどうかはさだかではなかった。神経毒は一時視神経を麻痺させる。眩暈、動悸、強い
「食べられそうですか」
「食べ、ます。吐きそうですけど……なんとか」
最後の力を振りしぼるようにして、
「あ、なんだか、風のかおりを食べている、みたい……あまくて、さわやかで……ふふ、慧玲様の薬の御味だ」
心地よいのか、藍星はうっとりと瞳を細めた。
だから熱を取りつつ、毒にだけ火の薬をぶつけるのだ。
(
また、蜈蚣は強い植物の香を嫌がる。
そして
「
「よかった。まもなく解毒できますからね」
慧玲は安堵の息をつき、薬を食べ終えた
「……よく頑張ってくれましたね」
「わ、やだ。泣きそうになるじゃないですか」
藍星が瞳を潤ませ、思いきり慧玲に抱きついた。抱き締めてきた腕の力が次第に抜け、藍星は眠りに落ちる。
薬師は毒と争うものだが、それは患者も同様だ。
解毒するのには力を要する。
起きる頃には、完全に毒が抜けていることだろう。
「蔡 慧玲、ここにいるのは解かっている! 直ちに――」
「そのように声を荒げずとも聞こえております」
慧玲は表に踏みだす。まるで罪人扱いではないか。
「なぜ失踪した」
「誘拐され、捕らわれていました。
「誘拐だと? 誰がそのようなことを」
「解かりかねます。気絶しているうちにさらわれ、霊廟に監禁されていたので、私を誘拐した者とは一度も接触しておりません」
慧玲は咄嗟に嘘をついて、鴆をかばった。
嘘は毒だ。これまで彼女は一度たりとも人を謀ったことはなかったというのに、自身でも理解できない感情が胸の裡で動いていた。
「それよりも何日経ちましたか」
「……四日だ」
そんなに経っていたのか。薬種は乾物が殆どであるため、傷むことはないだろうが、毒に侵されてずいぶんと経つ。いよいよに皇帝の命が危うい。
「取り調べは後ほど。宮廷の
「失踪の仔細が解からぬうちは、調薬をさせるわけには」
「皇帝陛下の御命が最優先です。……違いますか」
衛官たちが顔を見あわせる。慧玲は毅然とした態度で続けた。
「毒とは一刻を争うものです。そして
よどみなく紡がれる言葉に誰も異を唱えることができなかった。最先頭にいた衛官が低頭する。
「承知した。――食医を、宮廷に」
衛官たちが
毒と薬は相いれないものだ。いかにあろうとも。
重ならぬからこそ、薬は薬で、毒は毒であれるのだ。
孤独に誇らしく。
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