92 皇帝は金糸雀に冀う
皇帝の身に障ってはならないということで音楽は奏でられず、紅の飾りつけだけが虚しく風にはためいている。
皇帝自身は
額の角はゆがみ、枝わかれしながら伸び続けている。
この頃は窓から日が差すだけでも頭が割れそうに痛むため、
「もっと、強い薬はないのか……」
「……残念ながら、陛下」
「もうよい、さがれ」
皇帝が息絶え絶えにいう。
宮廷で最も優秀な
薬の量は増え続けているが、どれを服しても地毒には効果がない。皇帝はいらだち紛れに卓にならべられた薬を払い落とす。
「
蔡 慧玲が失踪してから、四日が経っていた。
誘拐されたのか、あるいは――最悪の事態が頭に過ぎる。皇帝が先帝に毒を盛ったことを慧玲に知られたのではないか。いや、有り得ないと皇帝は頭を振った。今、あの時の真実を知っているのは皇帝自身と皇后だけだ。
「気が弱っているのだな……」
皇帝は呻きながら、
「……陛下」
車輪の音にあわせて鈴のような声が聴こえ、皇帝は声をあげた。
「
欣華皇后が微笑むだけでも皇帝は暗い房室にひと筋の光が差したような錯覚を起こす。欣華は
「可哀想ねえ、歌でも歌ってあげましょうか。あなたのために」
「ああ、歌ってくれ……」
欣華は頷き、彼の髪をなでながら歌いはじめた。
「金糸雀、か」
皇帝は苦痛を紛らわせるように、細々と語りだす。
「昔の事だが、
歌をいったんやめて、
「あら、だったら今は
肯定するように皇帝は
「……
他者には理解できぬであろう享楽に彼は息を洩らした。
「だが、そなたほどに美しい金糸雀は、いなかった」
彼女に逢ってから、彼のせかいは変わった。
幸福とはなにか。愛とはなにかを知ったのだ。
彼は華の宮にいるほとんどの妃嬪のもとに渡り、
皇帝はしばらく歌に聴きほれていたが、脈絡もなくぽつといった。
「日蝕の時に吾は視た――
信じ難い言葉に欣華皇后が黙った。
「解かっている。そのようなことが、あろうはずがないのだ。
だがそれは終わったことだ。
「
皇帝は強張る指先で欣華の唇に触れる。
「そなたが喰らってくれた」
艶やかに濡れた唇をなぞってから、皇帝の指が離れる。
「そうよ。でもね、あれは
「ならば、これは祟りなのか。吾は、死ぬのか」
「祟りなどなくとも、にんげんは死に絶えるものよ」
「そうか。……そうだったな」
死とは等しいものだ。
有能であろうと、無能であろうと、最後には誰もが
「死は、よい。だが苦痛は……嫌だ」
魂が壊れてなお、命だけを繋ぎ続ける――先帝の死に様を想いだして、雕皇帝はぞっとした。彼がそのような地獄の毒を盛ったにもかかわらず。或いはだからこそ、あんな最後だけは避けたいと望む。
「
「なにかしら」
「吾が息絶えることがあれば、そのときは」
神にでも縋るように声の端を震わせて。
「この身をすべて、喰らってはくれまいか」
紅の舌を僅かに覗かせ、
「いいわ、
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