90 藍星はあるじを捜す
三日三晩、捜索されたが、手掛かりはない。
宮廷では皇帝の解毒という重責に臆したのだと謗られ、皇帝にかんする事情を知らない後宮では食医が何らかの重罪を犯して
「なんでも皇后様の
「私は皇帝陛下に毒を盛ったと聞いたわ。
妃妾たちが口々に噂を振りまいている。
後宮において、噂とは華たちの娯楽だ。蝶とたわむれるように噂を振りまいていた
「
空になった水桶をかついで、妃妾の背後で仁王だちしていたのは
「今の言葉、取り消してください!」
妃妾は髪から水滴を垂らして、
「位の低い女官のくせにこんなことして許されるとでも……」
「
確かにこの頃、慧玲はずいぶんと思いつめていた。
鍋にこげつかせてしまい、落胆していた背は心細げで、風が吹けば崩れてしまいそうな危うさがあった。でも、だからといって、彼女がなすべきことを投げだすとは考えられない。ぜったいになにか、訳があるはずなのだ。
「まして皇帝に毒を盛ったなんて、そんな侮蔑は許しませんから!」
「な、なによ! 後宮の食医だなんだといったところで罪人の
「っ……」
怒りにかられた
「……やめておけ」
後ろから腕をつかまれ、藍星が振りむけば、
「貴方は確か、失っ礼な宦官……じゃなくて、
「
彼はやれやれと言いたげに名乗った後、妃妾たちを睨みつけた。
「
妃妾たちが縮みあがる。
「え、あ……そ、そんなつもりでいったわけじゃ」
「
妃妾たちは捨て台詞もいえずに蜘蛛の仔でも散らすように離れていった。
「……食医が失踪したそうじゃねェか」
藍星は卦狼の素姓を知らない。水毒事件の首謀者だったことはおろか、慧玲に命を助けられたことも教えられていないため、卦狼がなぜこうも踏みこんでくるのか、藍星には理解できなかった。
第一印象が最悪だったこともあって、藍星は狼に睨まれたうさぎのように警戒する。
「俺を信頼しろとはいわねェよ。だが食医を捜すんだったら、これをつかえ」
鎖の先端に円錐型の鉱物がついた振り子だ。透きとおった青い水晶のなかでは、雫が眠っている。振ると微かだが、水の調べが聴こえた。
「これ、なんですか?」
「
「おまじないみたいなものですか?」
「呪いよりも確実なもんだ」
正確には水脈などを捜すときにもちいられたものだが、卦狼は不要なことはいっさい語らなかった。面倒だったのだろう。
「お前は頭はいかにも悪そうだが、勘はよさそうだからな。適任だろ」
「え、それって殴ってもいいってことですか」
藍星がにこにこして、拳骨を握りなおす。
「はは、……勘弁してくれ」
「冗談はともかくとして……なんで、助けてくれるんですか」
藍星が素直に訊ねれば、
「食医には、ひとかたならぬ恩があるもんでな」
恩を
「……だったら、もっとちゃんと助けてくれればいいのに」
藍星がぼそりといえば、卦狼は今度こそ
「悪りぃな。俺が命を賭けたい
彼は肩を竦めて、背をむける。
卦狼がいなくなってから、藍星は教えられたとおり、振り子の鎖を指に絡めてみた。
「慧玲様のところに導いてください…………こんなかんじでいいのかなあ」
何度か唱えているうちに振り子が動きだした。まさか、動くとはおもっていなかった藍星は息をのみ、さきほどよりも真剣に念ずる。
振り子は西南の方角を指した。
「そっちに慧玲様がおられるんですね」
藍星は振り子に導かれるままに移動する。
夏の宮を越え、籔を踏み、藍星がたどりついたのは
後宮の霊廟はいわくつきだ。
皇帝に冷遇され、帝族の霊廟に入れなかった皇后が埋葬されたとか。心が壊れて一族から見放された妃嬪の墓だとか。碌な噂がなかった。さもありなんと感じられるほど霊廟一帯はうす暗く、奇妙に静まりかえっている。
「こわ……っ、え、真昼からおばけとかでませんよね? なんでよりによって、こんなところなんですかぁ」
藍星はべそをかきながら霊廟の扉を捜す。
だが、階段をあがったところに設けられた扉は閉ざされていた。裏から侵入できないかと霊廟の壁を確かめてまわっていると、振り子が地を指すようになった。
「……えっ、やだ、まさか、慧玲様……死んでないですよね……」
藍星が瞳いっぱいに涙をためて、叫び声をあげる。
「慧玲様! 慧玲様! やだやだ! 死なないでください!」
「……その声は、藍星?」
確かに慧玲の声が聴こえた。
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