88 ここが地獄の底だ
さながら、宴のようだった。
宮廷の
商隊が都を発ってから、十五日しか経っていない。急使の馬をつかい、時を分かたずに隊を動かし続けたのだろうが、よくぞこれだけの物を取りそろえられたものだ。大陸を制覇した帝国の勢力をあらためて思い知らされた。
確認を終えた慧玲は
「直ちに調薬に取り掛かります」
これでかならずや皇帝の毒を絶つ。
「調理の補助が必要ならば、宮廷の女官をつかってくれ」
「いえ、恐縮ですが、……信頼がおけません」
職事官の提案にたいして慧玲はきっぱりといった。
「許されるのならば、
彼女は廃された姫に忠誠を誓ってくれたただひとりの女官だ。職事官はふむと唸ったが、解かったと頷いてくれた。
「だが解毒に仕損じた時には、
「構いません。如何なる毒であろうと絶ちますから」
藍星のことだ。なんて約束をしてくれたんですか! と悲鳴をあげても、最後は腹を括って助けてくれるはずだ。彼女はそういう姑娘だった。
藍星がきてくれるまでに下処理を進めておこう。
暫く経って、誰かが
「
唐突に殺意を感じて、背筋が凍りついた。後ろにいるのは藍星ではない。ああ、そうかと理解する。
「
振りむけば、陰で織りあげたような漢服を身に纏った男がたたずんでいた。
衛官たちは、彼の背後で倒れていた。眠っているのか、気絶しているのか。毒にやられたことは、あたりを舞っている
紐で結わえた長髪を掻きあげ、彼はいう。
「毒か、薬か」
「みれば、解るはずよ」
慧玲が続けた。
「毒をもって毒を制すとおまえはいったね。けれども薬と転ずることのない毒は毒を制するどころか、毒を重ね、毒をより強くするだけよ」
事実、皇帝が毒殺されたことで、
「私は薬で毒を絶つ」
緑と紫。相いれぬ瞳で睨みあう。
「そうか、……残念だよ」
砥ぎすまされた先端をむけられ、
哀しいとは想わなかった。彼女が薬を選べば、こうなることはわかっていたから。皇帝を解毒できるのが
(私達は敵だということを――)
鴆が殺すつもりならば、抵抗をしてもどうにもならない。
頚を斬られたら、胸を刺されたら、腹を裂かれたら、どれだけ毒に強くとも関係なく慧玲は息絶えるだろう。嵐が花を散らすように易く。
「地獄の底で息絶えてくれといっていたのに」
「はっ、なにをいってるのさ」
鴆が踏みこむ。距離は一瞬で縮められ、悪辣に嗤う紫の瞳がせまる。
「ここが地獄の底だ。そうだろう?」
殺されるとおもい、慧玲は瞼を塞いで身構えた。だが、いつまで経っても、死は訪れなかった。
かわりに唇が燃える。
「っ……?」
振り解こうにも剣身が
強い毒が、喉から胸に落ちた。肋骨を喰い破るのではないかと想うほどに鼓動が激しく脈打つ。脚も腕も痺れて立ち続けていられず、慧玲は膝から崩れ落ちた。鴆がそんな彼女を軽々と抱きとめる。
意識が遠ざかる。最後に聴こえたのは愛執めいた
「貴女を殺すものか。離さないよ、なにがあろうと」
それはなぜだか、縋るような響きに聴こえた。
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