86 薬の娘は惑う
(しまった)
そうおもったのは、鍋が煮たたって噴きこぼれた後だった。無残に濁ってしまった鍋のなかみを覗きこんで、
(ああ、毒になってしまった)
この薬は煮たつと途端に苦みが強くなり、旨みもなくなる。旨くないものは毒だ。
(こんなもので失敗するなんて)
噴きこぼれたものを拭き取ろうとして鍋の端に触れてしまい、火傷をした。慌てて手を引っこめた時に袖をかけ、鍋が落ちる。
「だいじょうぶですか!
掃除をしていた
「御手に火傷をなさってるじゃないですか。すぐに水を御持ちします」
「そんな、このくらい、たいしたことでは」
「だめですよ、ちょっとした火傷でも後から大事になることもあるんですからね!」
「ごめんなさい。また下処理からやりなおさないと」
「下処理くらい私にできますから、まかせてください。その、……ちょっとだけ、休憩を取られてはいかがでしょうか」
「この頃、お疲れみたいです。後宮だけではなく、宮廷でも働いておられますし」
女官である
根雪を踏み締めて、あてもなく歩き続けながら、慧玲は
(
それならば、
髪に霜が降るほどに膨大な叡智を頭に収めながら酷しい旅を続け、薬であれと育てられた。それなのに、母親は慧玲を薬として遣わなかったのだ。
(私は薬だったの。それとも
母親はなにを想って、姑娘を櫃に押しこめ、先帝から隠し続けたのか。
母親は最後に「これは先帝との約束だった」といった。壊れた父親に姑娘を害させないことが。約束だけ、だったのならば。
(あの時、殺されたかった)
最後の最後に怨まれるくらいだったら、いっそ。
(どうすれば、よかったの――私はこれから、どうすれば)
不意に視線をあげれば、枝垂れた梅の枝があった。冬の遠い
無意識に
「
離れたところから声を掛けられた。
亭で茶を嗜んでいた雪梅嬪が袖を振る。慧玲はよほどに酷い顔色をしていたのだろう。雪梅嬪が慌てて階段を降りてきた。
「御茶を淹れさせるから、あがっていきなさい」
「あの、私は……」
「いいからきなさい」
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