81 四八珍の薬

「して、皇帝陛下の毒疫どくえきは癒せるのだろうな」


 診察を終え、皇帝の房室へやを後にした慧玲フェイリンは高官や医官に取りかこまれた。


「土の毒に相違ございません。薬種がそろえば直ちに調薬し、解毒することができます」


 だが、離舎りしゃにある漢方、宮廷および後宮の倉房そうこにある薬種やくだねでは不充分だ。

 大陸各地の貿易商を総括する尚書省しょうしょしょう職事官しょくじかんが進みでた。


「解かった。必要なものがあれば、申せ。如何いかに希少な物であろうと、大陸の端々まで隊商を派遣して、かならず取りそろえようぞ」


 慧玲フェイリン白澤はくたくの書を解く。薬種やくだねの名詞が乱舞した。

 要不要を一瞬で振り分けて、明瞭な声で順に暗唱する。


「まずは魚翅フカヒレ燕窩エンカ龍骨チョウザメのホネ広肚ウキブクロ鮑魚アワビ海豹アザラシ狗魚オオサンショウウオ大烏参クロナマコ……ここまでが海八珍かいはっちんです」


 書記官が竹簡に書きとめていった。


「続けて鵪鶉ウズラ斑鳩キジバト鷓鴣シャコ紅燕キシャ紅頭鷹ヒッポウ天鵝ハクチョウ彩雀ラン飛龍ライチョウここまでが禽八珍きんはっちんにございます」


「待て、聞き覚えのないとりがいくつかいた。紅燕キシャ彩雀ラン紅頭鷹ヒッポウとは如何なるとりだ」


紅燕キシャは大陸の南東に棲む角鴟ミミズクの一種で、鬼車きしゃとも称されます。日が落ちてから飛び、錠のない窓から侵入しては嬰孩あかごさらって喰らうと伝承されていますが、実際には人を襲うことはまれです。森のなかで火を振りまわすと落ちてくるため、易く捕獲できます」


「ふうむ、あやかしのようなとりだな。紅頭鷹ヒッポウは?」


紅頭鷹ヒッポウとは火焔かえんを帯びた一脚ひとつあしつるで、南部の塩湖えんこに棲んでいます。クン族に聞けばわかるものかと」


 クン族ときいて職事官がしかつめらしく眉根を寄せた。火禍かかは収まったが、その後、坤族との関係は良好ではないのだろう。


「最後に彩雀ランですが……ランといえば、ご理解いただけるのではないかと」


ランか。確か、巧克力カカオの産地に棲息するとりだったか」


「左様です。緑に紅に青と、七宝瑠璃しっぽうるりにもまさる麗しき翼をもち、からだ中庸ちゅうようを維持する薬能やくのうがあります」


 白澤はくたくの書は図録でもあった。披けば、実際には視たことのないものであっても、頭のなかで再現され、動きだす。香が漂い、舌の腹には薬の味までもが拡がった。

 毒のある物と薬になる物は、かたちがきわめて似ていることもある。そんな時に誤認することがないよう、白澤はくたくの一族に受け継がれる能力のひとつだ。


「続いては猴頭苓ヤマブシダケ羊肚苓アミガサダケ竹笙キヌガサダケ花菇シイタケ銀耳シロキクラゲ……これは水晶の鉱脈で育ったものにかぎりますのでご留意ください。黄花菜ワスレグサの莟、驢窩菌コウジカビ雲香信ホシシロシイタケ……以上草八珍そうはっちんです」


「こちらは漢方ばかりだな。して、驢窩菌コウジカビとは」


「東の島にある、驢馬ろばのように家畜化された菌です。もとは穀物で繁殖するかびの一種で猛毒を有しており、大陸においては度々猛威を振るってきましたが、東の島ではこれを養殖してこうじという食物に転じています」


「ほお、さながら白澤の叡智のようだな。了解した。それでは海路をつかって、隊商にむかわせよう」


 職事官はすぐに貿易船の手配を命じた。


「最後は山八珍さんはっちんになります。駝峰らくだのこぶ熊掌くまのて豹胎ひょうのたいばん鹿腱しかのけん猩唇しょうのほお犀尾さいのいんけい象抜ぞうのはなです」


 書記官がぎょっとした。

 医官たちも揃って顔をしかめ、そんな異様な物を皇帝に食べさせるつもりなのかと抗議するように睨みつけてきた。だが、職事官は他のことが気になったようだ。


猩唇しょうのほお? 猩猩さるくちびるか?」

「誤解されやすいのですが、四不像しふぞうという鹿に似たる動物の頬肉ほおにくを指します。これは北部の湿原に棲息します」


 慧玲フェイリンの母親も然りだったが、白澤の一族がひと処に留まらず旅を続けるのはこうした希少な薬種を収集するためでもあった。


「締めて、四八珍しはっちんです。ただ、皇帝陛下の土毒どどくは尋常なものではございません。よって、解毒するにはもうひとつ、どうしても必要なものがあります。ですが」


 慧玲がここで言葉を濁らせる。


「果たして、得られるかどうか」


「尚書省の威信をかけて、なんであろうと調達する」


 職事官にうながされ、慧玲は腹を括った。


「――――麒麟きりんの骨です」


 場が騒めいた。


「貴様、死んだ麒麟がいるとでもいいたいのか」


「無礼にも程がある」


 高官たちが揃って非難の声をあげる。慧玲は努めて冷静に「白澤の書に記された薬種を御伝えしたまでで他意はございません。ご寛容頂きますよう」といった。職事官は終始落ちついていたが、それでも眉を曇らせる。


「他の物では補えぬのか」


 喧騒を割って制するように輪倚くるまいすの軋みが響いてきた。

 廻廊のさきから姿を現したのは、女官を引き連れた欣華シンファ皇后だった。


「薬を造るのに、なにが必要なの?」


 堅物の高官たちでさえ皇后の清純な微笑には視線を奪われる。後宮にはより華やかな妃嬪もいるが、皇后からは魂まで魅了する美妙な風情が漂っていた。誰もがまなじりを緩め、低頭する。


「いやはや、皇后陛下の御耳にいれるようなことでは」

「麒麟の骨だったかしら。それならば捜さずとも、ここにあるわ」


 高官たちが顔を見あわせる。皇后は女官に命じ、青銅の箱を取りにいかせた。


「帝族が受けつぐ神寶かんだからのひとつよ」


 箱をあけると、神聖な香があふれだした。

 なかには、竜を想わせる有角ゆうかくの頭蓋骨が納められていた。ところどころに青銅色を帯びた鱗が残っている。高官たちは神威しんいにあてられたのか、後ろにのけぞり、よろめくものまでいた。


(これは――本物だ)


 実際に麒麟を視たことのある慧玲には瞬時に解かる。


(でも、解せない)


 慧玲が先帝から教わったかぎりでは、帝族の神寶かんだからとは剣、鏡、珠の三種で麒麟の骨などはなかったはずだ。皇后が神寶かんだからを偽るのは何故か。

 最も不可解なのは骨が真新しかったことだ。帝族が継承し続けてきたというには経てきた時が感じられない。古い骨は黄ばむ。風化して一部が崩れることもある。

 この骨は奇麗すぎた。


(昨年、ほねになったばかりとでもいうように)

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