78 日を喰らう蟲
晴れわたる盛冬の昼さがりだった。
「こんなに晴れたのは久し振りですね」
「ずっと雪続きだったからな」
毒に侵されたあの朝から七日が経った。
「……ほんとうによかったのか、
卦狼がいたわるように声を掛けた。
「皇帝も皇帝だ。
「構いません。喜んでお譲りいたします。実はちょっとだけ、安堵しているのですよ。はからずも
欣華皇后は春妃に麗 雪梅を迎えたいといった。皇后の希望というよりは、皇帝からの提案だという。だが妃は季節ごとにひとりだ。
つまりは春妃から退いてくれということだった。
年が変われば、李紗は降格して
「わたくしにはあなたがおりますもの」
卦狼は不承そうに呻ったが、李紗があまりにも嬉しそうなので、それいじょうはなにもいえなかった。
その時だ。対岸から橋を渡ってくるものがいた。
卦狼が瞳を見張り、あの時の毒師だと気づいて神経を張りつめた。鴆は春妃をみて
「貴様は……」
「僕がなにか? 僕は風水師だ。貴方は、宦官じゃないのか」
静かに声を落として鴆が釘を刺す。素姓を洩らすようなことがあれば報復するが、黙っているかぎりは
「……そうだな、俺はただの宦官だ」
鴆は満足したように紫の
(
身に帯びているのは人毒のみにあらず。一族の怨嗟を一身に受けて、彼はどれだけの地獄を渡ってきたのか。
(それは呪いじゃないか)
李紗が振りむく。卦狼? と唇が動いた。卦狼は
「ほんとうに綺麗な晴天ですこと」
李紗が
男は愛する華の背を護るように歩きだす。
ふたりの頭上に季節を違えた桜吹雪が降りかかる。融けない祝福のように。
◇
後宮では
特に春の宮は間もなく春妃が替わるとあって、荷の移し等に追われて女官と宦官が走りまわっていた。
あれから晴天が続き、積もった雪も弛みはじめていた。かわりに風が強く、時折嵐のような風が吊り灯籠を踊らせる。
仕事があり、冬宮に出掛けていた慧玲は、高楼の吊り橋で鴆と逢った。互いに繁忙をきわめ、あの朝に別れたきり、逢っていなかった。
「……やあ」
一瞬の緊張があった。今度逢うときには彼は毒師で、慧玲は薬師だと解っていた。そして剣を交錯させるように言葉をかわし、傷つけあうことになるだろうとも。
「たいそうな博愛じゃないか。
「おまえはなぜ、
「貴女には関係がないことだ」
「毒師としての因縁でもあったの」
「いったはずだよ、敏すぎると身を滅ぼすと」
鴆は紫の眸を歪める。宵の帳じみた漢服が寒風に煽られてよそいだ。
静かに睨みあい、慧玲は眉の根を寄せる。
「おまえ、ずいぶんと毒々しいけれど」
「僕は、もとから毒だ」
「そうね。それでも、毒を隠すことはできていたはず」
もちろん、今でも妃妾や宦官程度には彼の毒など感じ取れないだろう。だが慧玲からすれば、彼の視線ひとつからも荒むような毒気があふれ、側にいるだけで肌が痺れるほどだった。
「あんただって」
強い風が吹きつけ、吊り橋が軋みながら振られる。
「散々惑いながら薬にしがみついているだけのくせに」
慧玲が息をのむ。咄嗟に言いかえすには風が強すぎた。
「ねえ、先の
風を潜る低い声が耳底まで侵食していく。聞いてはいけない、と解かるのに。
「……黙りなさい」
「白澤は知っていたはずだ。先帝の死後、地毒の禍に見舞われることを。そして毒疫を解毒できるのは白澤の叡智だけだと」
考えたことがあった。母親はなにを考え、命を絶ったのか。愛するひとがいないせかいに堪えられず、絶望したのだとおもっていた。
そう、想いたかった。
けれど、ほんとうにそうだったのか。
(愛が毒に転ずるものであるならば、あれこそが)
俄かに、空が掻き曇った。
風で雲がながれてきたのかとおもったが、違う。外にいた女官や宦官が一斉に騒ぎだす。恐怖する声や悲鳴の群につられて天を仰視した慧玲と鴆は、言葉を絶する。
陽が、蝕まれていた。
正午を報せる鐘が響くなか、貪欲な蟲にでも喰われるように日輪が端から陰っていく。暗澹たる帳が大地に垂れる。
「……日蝕」
慧玲がつぶやいた。
皇帝が、毒疫で倒れたのはその晩のことだった。
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