77 壁に耳あり障子に目あり
夢はみなかった。
(そういえば、いつだったか、母様の簪を髪に挿したことがあった)
綺麗なものに惹かれる、幼い
(母様があれほどまでに怒ったのは後にも先にも、あの時だけだ)
これは
(母様は、それほどまでに父様を愛していたのだ)
それなのに、母親はついに先帝だけは解毒できなかった。
(今際になって、母様はいった)
貴方ですよ。貴方が――――れば、彼は命を落とさなかったのですよ、と。
母親は
それでも母親は、命を賭して壊れた先帝から慧玲の身を護り続けたのだ。
(わからない)
死者は語らぬものだ。どれほど望んでも。
鏡に映る瞳は母親と同じ緑だった。昏い瞳を覗きこんでも、沈黙が続くばかりだ。
その時、重い静寂を破るように賑やかな
「おはようございます、ちょっと聞いてくださいよ! 今朝起きたら、
息も接がずに訴えられて、想わず笑ってしまった。
「ご愁傷様でしたね」
「ほんとですよ! 全部残らず成敗するのに、時間が掛かってしまいまして! 箒でたたいたら、ぐちゃあ……って、触れたくもないのに潰れたものまで掃除しないといけなくなって……というわけで、遅刻しちゃいました」
藍星は陰りかけた心を日常に引っ張りもどしてくれる。それは慧玲にとって非常に幸いだ。
(いつだって、藍星に助けられている)
鏡から離れて、慧玲は薬箱の準備に掛かった。まずは依頼してきた妃妾たちのもとにいかないと。秋の宮と、春の宮だったか。
「あ、そうだ。皇后様が御呼びでした。
「……皇后様は何処に耳をもっているんでしょうね」
雪梅嬪が倒れたことは公表していないはずだ。正直にいえば非常に怖いのだが、呼ばれているのに無視するわけにはいかない。
「いきましょうか」
雪曇りのなか、繰りだす。
笹は雪に埋もれ、白銀のなかに青竹の節が際だっている。時は進み、季節は
◇
噎せかえるほどの花の香を随えて、百華の
「
(だから、何処から聞いたのよ……)
雪梅嬪の女官に皇后の密偵でもいるのだろうか。かといって、まっこうから訊けるはずもないので、頭を低くさげて「恐縮です」とだけいった。
「よって、
「残念だけれど、あなたが先帝の
「めっそうもございません。過ぎたる御厚誼を賜り、御礼申しあげます」
欣華皇后が
「妾はね、陛下のご寵愛を信じているのよ」
咄嗟にはなんのことか理解できなかったが、一拍を経て直感する。雪梅嬪が毒を盛られた時に皇后を疑ったことを看破し、牽制しているのだと。慧玲は青ざめ、弁解する言葉を捜したが、それよりもさきに欣華皇后が続けた。
「どのような華と戯れていても、最後には、妾のもとに帰ってきてくれる――そうおもって待ち続けるのもまた、愛なのよ」
欣華皇后は華らしく微笑んだ。
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