71 怨みは血に融ける
青銅の
現れた
口だけではなく鼻筋にも、焔に舐められた跡が刻まれていた。これほどの火傷ならば、嗅覚はかろうじて残っていたとしても鈍っているはずだ。慧玲が毒から臭いがしたといったのは、この鼻のせいもあったのだろう。
「酷い傷だね。あの晩だろう? 命からがら
感情のぶれにともなって、卦狼の動きが鈍りだす。短剣の先端が
「残してきた者達の亡霊が枕べに訪れたりはしないのか。皇帝を殺せと喚かないのか。火傷はどうだ。二十五年も経てば、疼かないか」
「亡霊は、喋らねェよ。罵っても嘲ってもくれねェもんだ」
「
「だから何? 怨みは血に融けるのさ。毒みたいにね」
彼は悪辣に嗤った。たいする卦狼は険しく眉根をゆがめている。
「あァ、毒だよ。だから、鼓膜に垂らされ続ければ、経験したこともない怨嗟にだって骨髄に到る」
鉈が短剣を弾きかえす。
「あの晩、里のまわりにゃ皇帝の軍はいなかった。里を燃やしたのが誰の思惑だったのか、俺は知らねェよ。だが――誰よりも毒に秀いでた
鉈が鴆のわき腹をかすった。血潮が散る。
追撃を避け、鴆がひとつ、後ろにさがった。
「……何が言いたい」
鴆が
「怨みなんてのは後から植えつけられるもんだってことだ。だから俺にとっちゃあ、怨みなんかより恩のほうが遙かに重い」
失望したように鴆が殺意を強めた。
「あくまでも僕と組むつもりはない、か。だったら、死になよ」
鴆の袖から
蛇は牙を剥いて
卦狼は鉈を振るい、蛇を順に斬り落とす。ふたつに裂かれた蛇は毒の血潮をまき散らしながら床に落ちた。血潮に触れても毒、かまれても毒。だが卦狼は神経を張り巡らせ、毒を退けながら鴆にむかって踏みこむ。
その時だ。誰かが廊下から
「卦狼、だいじょうぶですか?」
物音で起きてきたのだろう。李紗は警戒もなく戸をあけた。残っていた蛇はいっせいに李紗へとむかう。
「――――ッ」
卦狼が咄嗟に身をかえして、李紗をかばった。
蛇が卦狼の腕や脚に喰らいつく。
「っぐ」
「
李紗が悲鳴をあげた。
(春の妃か)
となれば、ふたりとも殺すか、撤退するかだったが、春妃が毒蛇にかまれて命を落とせば皇后に感づかれるだろう。今は動向を探られたくない。鴆は窓にあがり、撤退した。
だが跳躍したとき、あるものを落としたことに鴆は気づかなかった。
蛇の死骸はすべて煙になって、消滅する。蛇がいたという痕跡すら残らなかった。
操者から離れると線香を四等分にした程度の
「なんで、こんな……なにがあったのです」
「…………懐かしいなァ」
卦狼はすでに意識が遠のき、李紗の声も届いてはいない様子だった。
「あん時もこうやって、俺を拾ってくれたんだったな。
声がどんどん細くなる。
「聴こえません、なにをいっているのですか」
李紗が泣きながら卦狼を揺さぶる。鴆は
(毒するものは毒される、か)
(僕もいつかは毒されて、死に絶える)
それが報いというものだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます