69 その華は愛を秘める
筆がよどみなく動き、
夕日の差す窓べで皇帝に宛てた
そんな彼女の側には
「はつ雪の候にふさわしい
宦官は一重の双眸を細めていう。
「俺にゃ
「まあ、
「あなただけですよ。そんなふうな優しい言葉をかけてくれるのは」
日頃から華だと褒められることはあっても、それらは打算や世辞に過ぎず心をともなった言の葉ではなかった。彼女は愚かではない。それらの称賛は季妃にむけられたものであり、
「今度陛下が御渡りくださる晩のために、御薬をつくっていただけませんか。その、
「皇帝にか。なんだ、勃たねえのか」
「そんな! 陛下はご健在でございます。それに……皇帝陛下には
思いあたる節があったのか、
「だめなんです。嵐に散らされて、あれきり。でも、わたくしは華ですもの。咲かなければ、ね……陛下にきちんと歓んでいただかないと」
卦狼の厚い胸にもたれかかるように頬を埋めて、李紗は
「……わたくしが触れられるのはあなただけです」
咲き惑う莟を嵐からかばおうとするかのように、
「俺は、
髪を
◇
日が落ちた。
「慧玲」
後ろから声を掛けられ、振りかえれば
「貴女にもう一度、きちんと御礼を伝えたくて」
「わざわざ、そんな。まだ産後でご体調もすぐれないでしょうに。それに今晩もお寒いです。私のために風邪でもひかれたら」
「貴女にだけ、聴いてほしいことがあって」
雪梅嬪は白い息で言葉を紡ぐ。胸の裡にあった想いを解くように。
「私は、華であれと育てられたわ。縛られた、といえばそう。でも、私は
「承知しております」
それもまた、母親の愛だ。
意外だったのか、雪梅嬪は瞳を見張った。
「貴女は、責めるかとおもったわ」
「こうあれと教えることは呪詛ではないと想っております。それは毒にも薬にもなることです。ですが、そうあれなかった時にいっさいを否定し拒絶することは、……毒だと」
産まれたときに捨ててもよかったといわれたと小鈴は嘆いた。そういわれた時に、こころは捨てられている。捨てられるほどに子はなおも親に縋りつくものだ。その時に挿しこまれる毒――恩をかえせ、さもなければ。
あれは酷い毒だ。
「
雪梅嬪がそうであったように。
彼女は雪のなかでも咲き続ける梅だが、真に咲き誇ったのはただ一度、最愛の男のためだけだ。
「雪梅嬪はよいお母様になられますよ」
「ありがとう」
紅の唇を綻ばせて、彼女は笑った。
「後ひとつ、これは墓場まで抱き締めていくことなのだけれど……貴女にだけは」
慧玲の耳もとに唇を寄せて彼女は囁いた。華の、麗しき秘めごとを。
「私はこの
人を愛した、ただそれだけ。明かしてみれば、他愛なく。だが、明かせば散る。ゆえに最期まで秘を抱き締めて、華は咲く。
雪梅嬪は静かに微笑みながら、袖を振った。慧玲の後ろを指すように。
息をのんで振りかえれば、廻廊からは、雪花を咲かせた梅の枝が視えた。季節を違えた白梅。燈篭のせいか。そこだけがぼんやりと光を帯びている。
ああ、あれは
「愛しておられるのですね」
季節が
女の愛は、強い。慧玲はなぜか、母親のことを想いだす。先帝を、あるいは先帝だけを愛していた女のことを。
雪梅嬪は黙って、
「……ねえ、貴女はつらくはないの」
理解が追いつかず、
「
毒であれ、華であれ、薬であれ。
斯くあれと産まれて、育つことは等しく重い。
「いつか、薬でなくともいいといって、貴女のすべてを愛してくれる御方が現れることを祈っているわ。貴女は……ほんとうは薬などなくとも、愛されるにふさわしい姑娘だもの」
雪梅嬪の眼差しは、慈愛に満ちていた。
(雪梅嬪は優しい御方だ)
それなのに、胸に棘が刺さったようにひりついた。曖昧に微笑みながら、慧玲は頭の端で想う。
(私は薬であり続けたいのよ。薬でなくともいいなんていわれても、どうすればいいのか、わからない)
(知ったら薬ではいられないから、あんたはこわいんだ……か)
胸の底にある潤んだ傷を、鴆は的確に啄ばむ。認めずにはいられない、彼は彼女の理解者だ。恐ろしいほどに彼は彼女の傷を知っている。
あるいは彼もまた、同じ傷を何処かに隠しているからなのか。
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