62 巧克力の薬
宴がせまっているということもあって、食房の棚には高級かつ貴重な食材が揃っている。
暗がりのなかで食材を捜す。
(これでもない、あれでもない……)
皇后の許可を取れば堂々と捜せるが、使者を介する上に朝まで待つことになり、さらに六刻は掛かる。それでは遅すぎた。
重ねて皇后陛下の策謀かも知れないという疑いがあるかぎりは頼むことはためらわれる。
背伸びして、棚の上部にあった重い木箱を降ろして漁る。
(……あった!)
思わず声をあげかけたその時。
食房の
「……あなた、食医でしょ」
女官は悲鳴をあげかけたが、銀の髪に気づいたのか、ため息をつきながらいった。
よくみれば、夏の調薬の時に補助してくれた
「あ、あの」
「わかったわよ。どうせまた患者を助けるんでしょう。誰にもいわないでおいてあげるから、もっていきな」
女官は麻織の袖を振った。
「頑張んな。あんたのこと、応援しているひともいるんだから」
「……ありがとうございます」
頭をさげ、木箱から果実を拝借した。
ようやく準備ができたが、思いのほかに時間が掛かってしまった。後は春の宮の庖房を借りて、調薬をしなければならない。
降り続ける雪に頬をたたかれながら、軒端に列なる紅の吊灯篭だけを頼りに春の宮にひき返す。白い闇に
かならず、薬が調うまで堪えてくれるはずだ。
慧玲は祈るような想いで春宮に急いだ。
◇
長楕円形の果実だった。ごつごつとした硬い殻はぬめりを帯び、赤紫に赤褐色、緑に黄色と様々で、細長い南瓜に似ている。庖丁で縦に割る。ふわふわとしたかびのような白い物に包まれた種子が現れた。
「うわあ、また訳の解らないものを調理するんですね! さすがです! どうやってこんなの、調達したんですか!」
褒めているのかどうかはあやしいところだが、
「ちょっとね。さ、まずはこの種を取りだしてください」
豆を想わせる種子を取りだして、弱火の鍋で
細かい作業だが、ここで種皮が残ると風味が落ちるので丁寧に。
「きちんと分離できましたよ」
「それでは薬碾をつかって、さらに細かくすりつぶしていきましょう」
「またですか! ……調薬って割と力仕事ですよね」
げんなりする藍星をなだめながら、胚乳を
「わわっ、なんだかどろどろになってきましたよ」
「密林の
とろみがついてきたところで砂糖をいれた。続けて湯せんに掛けながら、あらかじめ牛乳を煮詰めてつくっておいた練乳をそそいだ。
とろとろの暗褐色の蜜ができあがる。人を誘惑する甘やかな芳香が
「
「すごい! あんな、鳥も啄みそうにない実がこんなふうになるなんて! ねねっ、ひと舐めだけいいですか! だってこれ、ぜったいにおいしいやつじゃないですか」
「構いませんけれど、あなたは確か、お酒が飲めなかったのでは……」
慧玲が最後まで言い終わるのを待たず、藍星は木の匙を差しいれて種の蜜を舐めた。
「うっまああ! ええっ、なんですか、これ! これだけでも皇帝に上納したら昇格される域に達してますって!」
藍星は知るはずもないが、遠い異郷の地では
だが
「もうひとくちだけ!」
「藍星、きもちは解りますが、舐めすぎると……ああ」
これだけ興奮している藍星がひとくちで済むはずもなかった。匙いっぱいにすくっては頬張っているうちにふらつきはじめる。頬が紅潮して、視線のさだまらない瞳は熱を帯び、すでに夢ごこちを通り越して酩酊している。
「ふぁ、ふぁれ……なんにゃか、きもちよくなってきましたぁ……えへへへ」
幸せそうに笑いながら藍星はころりと、
「こうなると思った……」
卵、砂糖、薄力粉、蕩けた
(母様が遺してくれた生薬にどれほど助けられていることか)
竃で焼きあげて、最後にひとつまみだけ、白砂糖を砕いたような粉をまぶす。
ようやく薬ができあがった。
遠くから響いてきた鐘は
(
慧玲は焼きたての薬をもって、雪梅嬪の
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