61 彼ほど強い毒はいない
「鴆!」
鴆は宮廷と後宮を結ぶ橋を渡って帰るところだった。鴆は
雪が
橋の中程で慧玲は、鴆とむかいあう。
「……
先程の口論を思いだせば、胸が掻きみだされた。
葛藤はある。警戒もある。それでも雪梅嬪の命が懸かっているのだ。
鴆は黙して動かなかった。値踏みするような、冷たい視線をしている。
「どうか、助けて」
慧玲が頭をさげた。
「……毒である貴女ならばいくらでも力を貸してやるよ。あんたを疎むものを全部殺してやってもいい。でも薬である貴女は、別だ」
冷ややかに唇の端をゆがめて鴆は笑う。
「それに毒師に頼るなんて白澤の恥だとはおもわないのか」
「思わない。ただの毒師ならばいざ知らず、おまえほど毒に精通している者はいないもの」
だが、鴆はにべもなかった。
「僕が助ける筋あいはないね。それともなんだ。ふさわしい報酬でもあるのかな。だったら考えてやらないこともないけれどね」
「……ない。私からおまえにあげられるものはなにひとつ」
恥じることがあるとすれば、それだけだ。
「命ならば、いつでも賭けられるけれど」
「患者ならば誰にでも賭けるあんたの命なんか、僕は要らない」
鴆は唾棄するようにいった。
張りつめた静寂に雪ばかりが降り続ける。沈黙を破って、鴆がはっと嗤った。底しれぬ悪意を振りかざして。
「僕がその毒を調じたと、貴女は僅かも疑わなかったのか?」
風が強くなる。
「僕の一族は、
銀糸は、
鴆が仕える欣華皇后だ。皇后であれば女官を買収するのも容易だろう。
だが、慧玲は静かに頭を横に振った。
「疑ってない」
「へえ、疑うだけの事由は充分に揃っているだろうに。信頼しているから、なんて
鴆は意地の悪い微笑に
「この毒は臭った。おまえほど優秀な毒師が毒に臭いを残すはずがない。違う?」
「……っ」
虚をつかれ、紫の
「硫黄。僅かだけど、草いきれも。嗅いだことのない植物のにおいよ。確かめて」
鴆は黙って
「……前言撤回だ。事情が変わった、この毒について調べてやるよ」
無償でねと、彼は紅の外掛をひるがえして、橋を渡っていく。如何なる心変わりがあったのか。慧玲は戸惑いながらも遠ざかる背に「ありがとう」と感謝の言葉を投げる。鴆は雪を
これで雪梅嬪は助かる。
(だって彼ほど、強い毒はいないもの)
毒師といっても大陸には様々な一族がいる。薬草による調毒を得意とするものもいれば、言葉の毒である呪詛に携わるものもいた。
だが彼に比肩するものは、いないだろう。それは禁毒を身に帯びていることとは別だ。
(宮廷に服していた毒師の一族――先帝が縁を絶った後、里を棄てて離散したというかの一族のひとりが鴆ではないだろうか)
あるいは同族であっても彼ほどに毒を扱うことに秀でているものはいないかもしれない。
毒であるために、命を燃やし続けているような男だ。慧玲と同じ地獄。それでいて真逆の道をいく背を眺めながら、慧玲はひとつ息をついた。
疑いながら寄りそい、信じずして頼ることは愚かだと理解していながら。
(……それでも、これが、わたしとおまえの関係よ。なまえなどなくとも)
◇
一刻も経たずに
「愚者の水銀。これは
方鉛鉱は鉛と硫黄からなる鉱物だ。だから硫黄の臭いが残ったのだ。
「後は、水毒のある水脈に根を降ろした
「
聴きなれない植物だ。
「東の島にだけ群棲する植物だよ。葉は蓮に似て、葉からつきだすように白い花が咲き、青い実が結ぶ。水に触れると
「だから、雪梅嬪の腕が透きとおってしまったのね」
「東の島では
聞きながら、慧玲の頭のなかで竹簡が解かれていた。
「……はやく解毒しなければ」
雪梅嬪はもとより、
他にもいくつかの毒が調合されていたが、問題はそのふたつだ。
「毒師にできるのはここまでだ。ここからは薬師の管轄だろう。せいぜい頑張りなよ」
だが《水の毒》ではなかった。
鉛は木の毒で、山荷葉は
(土の薬で水の毒は容易に解ける。でもそれだけでは解毒しきれない。残った毒は水を欲して
鉛も
(むしろ、解毒されてからのほうが害になる毒だ)
この毒を盛ったものは
(微弱な金毒と木毒ならば、ともに火の毒で
頭のなかで薬を組みあげる。
(さきにこの薬をのませて、後からこれがあふれだすように……火薬の原理でいけるはず)
最大の問題は食材だった。
解毒には強い土の薬が必要だ。土は味においては甘みをつかさどるが、蜂蜜、
(思いだした。確か、もうすぐ冬季の宴が催される)
春と同様に宴の食事は慧玲が監修することになっており、またも大陸の各地、あるいは異境からも希少な食材が集められていた。すでに後宮の
慧玲は急いで春の宮に戻りかけていたが、進路を変え、庖房にむかった。
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