49 毒に交われば毒となる
日はすっかりと落ちて、真昼の晴れやかな青空が嘘のように掻き曇り、強い雨が降りはじめた。紅葉を弾いて滴る雫は血潮を想わせた。
患者を家に帰してから、
「……
彼は
「殴ったりしてすまなかった。痛かったろう。それなのに、男孩を助けてくれて……なんと礼をいったらいいのか」
殺されなかっただけ有難かったと言いかけて、さすがにそれもどうかとおもい、慧玲は敢えてそこには触れずに腕を差し延べた。
「頭をあげてください」
「小姐ちゃん、頼みがある。俺の話を聴いてくれないか」
「聴かせてくださるのでしたら」
彼らが何故、
雉の頭を落とすこともためらい、命を喰らうことにも抵抗がある農夫ばかりだ。どれほどの怨みがあれば、あんな惨事に踏みきれるのか。
「俺たちゃ、昔からこの
「奴らは鍬を握るどころか、畑なんかただの一度も覗きにもこねえくせして、収穫物だけは根こそぎもっていきやがる。俺たちは雑穀の粥ばっかりなのに、官戸の奴等はいいもん喰って、どんどん肥えて……」
悔しげに声の端が濁る。それだけじゃねえと椙は唾を散らして声を荒げた。
「奴らは気に喰わねえことがあると、すぐに鞭で俺たちを殴る。若者は散々殴られてこきつかわれ、姑娘らは……玩具みてえにつかわれて」
後ろで黙って聞いていた
「……辛抱ならんかった。あいつら、俺たちを
皺に埋もれた瞳が、濁る。怨嗟と殺意に。
人権を殺され、搾取され続ける――まさに奈落の沼底だ。
「だから、蛟様に喰って頂いた」
そのひと言には、青銅を割るような、頭蓋を震わせる重さがあった。
怨嗟は毒だと、もはや語るべくもなかった。それが猛毒であったことを彼らはすでに知っている、その身をもって。
「それからしばらく経って、地震があって……こんなことになっちまった」
そのときの、彼らの絶望は言葉につくせないものだろう。身のうちから凍りつくような恐怖があったはずだ。祟りだと思いこむほどの。
「あの泉は、もとから金に強く傾いた土地です。その影響で地下鉱脈から《金の毒》が噴きだしている。水晶というものは通常、地上では成長しません」
もとはそうした調和の崩れた地に踏みいったり、
「ただでも強烈な金の毒が渦まく泉に陰の毒が投じられた。死穢は金毒を帯びます。金の毒を吸い水晶は異常な成長を遂げ、地割れを起こした。泉の地毒を帯びた水が灌漑に流れこみ、畑にそそぎ、このような
すべてが最悪の重なりかたをした。或いはこれも
「……なあ、食医の
梓は青ざめ、慌てて声をあげた。
「椙さん! そんなの」
「老いぼれひとりが捕まって、頚でも刎ねられて全部が終わるんだったら、それがいい……罔靑を開墾した先祖にも頭をさげにいかねえと」
残っていた他の村人達も「
「頼む、小姐ちゃん」
「いったはずです。私は食医です。毒疫を治療するためにきました。私がついたときには官戸はすでに毒に侵され、命を落としており、助けられなかった。……お悔やみ申しあげます」
慧玲が言わんとしていることを理解して、椙は眼を見張る。
毒とは人を害するものだ。慧玲は官戸こそが毒だったのではないかと想う。人の心身を蝕み、害する毒。毒に侵されたものは毒になる。それもまた条理だ。
「それに……罰ならば、あなたがたはすでに受けた。いえ、これからまだ、続きます」
知恵をつくして飢えを乗り越え、春を迎えた後は父祖から受けついだ棚田を棄てて、新たな田園を造らなければならないのだ。
「私から授けられる知恵ならば、託します。迎えがくるまで、教えられるかぎりのことは教えましょう」
「ああ、恩にきる」
かみ締めるように頷き、椙は笑った。
「だいじょうぶさ。俺たちゃ百姓は、しぶといからな」
彼らの瞳に絶望はなかった。
絶望は踏み越えてきて、すでに遠い後ろにある。後は進むだけだ。
雨はあっというまに止んでいた。
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