48 食医の咖喱
暮れだす日に急かされるようにして、患者たちが続々と担ぎこまれてきた。
一様に痩せ衰え、顔の上部は白濁した結晶に蓋われている。時々うなされて、幼い
結局は
「
「だいじょうぶです。これを嗅いだら、意識を取りもどしますよ」
慧玲は胸を張って鍋の蓋を開ける。
暖かな湯気と一緒に、強い香りが弾けた。
「なんなんだ、このにおいは」
「嗅いだことのない香りだけんど……なんだか、お腹が減るねえ」
椙と梓が顔を見あわせた。
食欲を刺激する香が気つけ薬となったのか、ううと呻いて患者たちが順に意識を取りもどす。家族の補助を受けて身を起こした患者たちはまだ夢のなかにいるようで、家族の呼びかけにもこたえない。
それなのに、誰からともなく、こぼす。
「……腹、減った」
それは本能からの言葉だ。
食べたいというのは裏をかえせば、生きたいという望みだった。
(よかった。それがあるかぎり、薬はかならず効能を発揮できる)
大鍋から木製の皿に煮こみをよそい、患者たちに差しだす。
「どうぞ召しあがってください、
時間をかけて煮こまれた具はどれも旨そうだった。
「あれが薬……なのか」
みな一様に息でなく、唾をのむ。
「毒味をするというお約束でしたね、
「え、……は、はい」
匙を渡された藍星はかすかに震えていた。
さきほどのことがあったからだろう。それでもなんとか頬をもちあげ、いただきますと匙を口に運んだ。
「………………」
終わりのないような沈黙が垂れた。
「どうしたんだろ」
「まさか毒なのか? 確かに毒みたいな食材ばっかだったが……」
薬を含んだままで飲みこむこともせずに黙り続ける藍星をみて、皆が段々とざわつきはじめた。これで藍星が苦しみだす振りでもすれば、患者に薬を飲ませることは不可能になる。
(藍星……患者たちが助かるかどうかは、あなたにかかっている。わたしのことはいくら怨んでいてもいい。でも、どうか)
さきほど語りかけた言葉は、彼女には届かなかったのだろうか。慧玲は唇をかみ締め、瞼を塞いで沈黙する藍星を見つめ続けた。
藍星が
「……………………おいしい」
葛藤を経て、藍星は崩れるように笑った。こんなにおいしいものを食べて、嘘はつけない。悔しいが、敗けたといわんばかりに。
「……さあ、それでは患者たちにも」
慧玲が晴れやかな声をあげた。
患者の家族たちは
「……ああ……」
患者たちが感嘆するように声をあげる。「旨い」でも「まずい」でもなかった。だが、言葉にならない声がなによりも雄弁に「満たされた」という本能からの歓喜を物語っていた。結晶のすきまから、涙の雫が滲みだす。
「旨いか! そうか、そうか……もっと食えよ、ぜんぶ食ってくれ」
椙が嬉しそうに
患者たちはこれまでの飢えを満たすように食べ続けた。
水晶が毒のもとだったため、水毒をともなってはいるが、毒の根幹にあるのは《金の毒》だ。加えて死穢。この死穢は《陰の毒》であり、また《金毒》をともなう。血が鉄を含むためだ。
鉱物は火によって融ける。
金毒を解くには、火の薬だ。それも水の毒に敗けないほどに強い火の薬がいいが、強すぎる火は衰弱した患者の身に障る。
(だから紅天狗茸の土の毒を薬に転じた。土は水を吸収する。水を絶てば、火の薬はそれほど強くなくても構わない)
火の薬としての効能をもっているのは鉱物を啄む
彼岸花の球根は毒を抜いて乾かせば、
(最後に陰の毒と栄養失調で衰弱した身体に陽の薬として、野良人参、大蒜、
じんわりとした辛さが後からきいてきたのか、患者たちの凍えきっていた肌から汗が噴きだしてきた。
汗や涙が食卓に滴ると奇妙に硬い音がした。みれば落ちたのは雫ではなく、細かな石英のかけらだった。瞼を蓋っていた結晶が融けて、剥がれ、縮んでいく。食べ終わったとき、ちょうど最後の塊がこなごなに砕けた。
散る結晶が瞬いて、患者たちは緩やかに瞼をあげる。悪夢から解きはなたれるように。
「親父……?」
「……すまん、辛かったろう……すまんかったなあ……」
鼻を啜りながら、
毒が解けた。
「小姐ちゃん……あんたは恩人だ。ほんとうに有難う」
椙が頭をさげた。続いて梓が感謝の言葉を言おうとしたが、さきにぐうと腹が鳴る。
「あ……」
梓が恥ずかしそうにうつむいた。
「みてたら、お腹さ、減っちまって」
「確かになあ、薬とは思えねえくらいに旨そうだもんな」
いつのまにか、夕餉の時間帯は過ぎていた。
好都合だ。発病していないだけで、すでに毒に侵されているものもいるはずだ。食による薬は
「炒飯はもうないのですが……彼岸花を焼いた
こういう薄い
焼きあがった餅をそえて、全員にいき渡るように咖喱を盛った。
「……なんだこれ! 舌が燃えやがる!」
「嗅いだことのない香りさ、鼻のなかで弾けて……! こんなの、知らない!」
椙と梓が驚嘆の声をあげた。
「なのに、とまらねえ」
「いくらでも食べられちゃうよお!」
がつがつと咖喱を掻きこむ。
「強い味なのに、まろやかで深みがあるな……これは、茸の旨みか?」
「ご明察です。毒抜きした茸を炒めてから煮こむと、漢方をいれても茸の旨みが最大に残って、極上の咖喱になります」
薬のために紅天狗茸を選んだが、
「……小姐ちゃんの飯は変わってるな」
「異境の薬膳ですから」
「いや、薬になるとか、変わった食材からできてるとか、そういうのじゃなくて……食ったことのない味なのに、なんでだろうな、懐かしいんだよ。食うやつのことを考えて、つくってるからだろうな」
椙は辛さからか、あるいは感傷からか、ひとつ鼻を啜って、また掻きこむように食べだす。
村人たち皆で大鍋の底までたいらげた。
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