47 女官に毒
「薬を調えるには食材が必要です。……幸いにもこの森で集められるものばかりです。まずは採集に出掛けてもよろしいですか?」
秋の森に赴く。村人達の監視はついているが、調理と採取の補助として
「藍星はまず、彼岸花の球根を背篭いっぱいに集めてきてください」
怪訝げに眉を寄せたのは藍星だけではなかった。
「彼岸花? あれは毒だろう」
「彼岸花は無毒にできます。考えてもみてください、私が患者に毒を盛って得がありますか? まして、毒をいれるのならば、隠れて細工すると思いませんか」
「確かにそうだが……」
「それでも疑われるのでしたら、まずは藍星にも毒味をしてもらいます」
これならば、不満はないだろうと思ったのだが。
「おい、女官さんが倒れそうになってるぞ」
藍星はあろうことか、あわを吹いて倒れかけていた。
「……彼岸花なんて
「おいしく調理しますから」
「……うう、わかりましたよ、食べます」
腹を括ったのか、括ってないのか。藍星はべそをかきながら、彼岸花の収穫に出掛けていった。
「それでは畑にむかいましょうか」
「畑だって? あそこにゃ、なんにもねえぞ」
「いえ、最高の食材がありますよ」
にこっと微笑んで、慧玲は椙達を連れて畑に赴いた。
石英の砂に埋もれた田が幾重にも列なって谷間に続いているさまはひび割れた鏡を想わせた。実りの絶えた土壌に
「これでよし」
「なんだそれ」
「罠ですよ。ささ、皆様もひとつずつ、紐をもって隠れて」
紐を握って草陰に隠れる。
人がいなくなったことで安心した火雀が舞いもどってきた。火雀はおもに鉱物を食べ、特に水晶等の結晶を好む。水晶の鉱脈がある洞窟に群れて棲息するのはそのためだった。洞窟のなかを飛びまわる様は雀というよりも蝙蝠だ。
火雀が群がってきたところで、紐をひいて篭を落とす。篭に捕らわれた火雀は慌てて羽搏き、逃げだそうとするが時すでに遅しだ。これを繰りかえして、あっというまに百羽あまりの火雀を捕獲する。
「ま、まさか、それを食うのか」
「雉と変わりませんよ」
ちょっとばかり可食部に乏しく、ついでに
後は茸か。森にはさまざまな茸が繁っていた。松茸、
(確か、樺の根かたに群生するはず)
白樺の木を捜す。紅葉で着飾った森のなかで白樺の幹はひと際映える。白けた幹の側にしゃがんで落ち葉を掻き分けると、捜していた茸が現れた。毒々しいまでの真っ赤なかさに白い模様。茸に無知なものでも大抵は知っているその特徴。
「
「毒ではなく、毒になることもあるだけです」
人の意識とは不思議なもので、毒だとおもって飲んだ薬は効能が振るわないこともある。だが事態は、ここに到っては毒があることを隠すのも無理な話だ。それに薬を食すのは彼らではなく患者だ。
(だったら、いっそ毒だといってしまったほうがいい)
「毒こそが、薬に転じるのです」
「ふうむ……お医者様の考える理窟は難しくて、俺らにはようわからん。薬が効きゃあいい。効かなかったらそのときは、悪いが、死んでもらうことになる。……他に足らんもんはなんだ」
「野良人参と、葱、
「それなら、倉にある。取りにいくか」
残っていた僅かな作物を掻き集めたところで、藍星が重い篭を背負ってよろめきながら帰ってきた。
必要な食材を
まずは彼岸花の毒抜きからだ。すりおろして、七度水に晒してから乾かす。幸い心地のよい秋晴れなので、晩には乾きそうだった。続けて火雀をさばき、煮こむ。
さて、今度は毒茸の下処理なのだが……。
(
「藍星、まだまだ火をつかうことになるから薪を割ってきてちょうだい」
「承知しました。薪ですね」
藍星に外の仕事を言いつけたのは、毒茸を煮溢す際、蒸気に毒がまざることがあるからだ。
(さすがにそこまで危険な毒を扱っていることは報告されたくないし)
大鍋で毒抜きの終わった紅天狗茸をしっかりと炒めてから野良人参、葱を加えた。別鍋では漢方を炒る。胡椒、
(漢方の生薬を持参してきてよかった)
これだけの漢方を集めるのはいくら森が豊かとはいえども難しい。
「ただいま、終わりました」
「お疲れさまです」
(水を差して、後は煮こむだけ)
彼岸花はどうなっているだろうか。確認するため、鍋の番を藍星に頼んで庭にむかった。玄関までいきかけたところで、火を強めないように伝えてわすれていたことを想いだす。
毒のにおいがした。
慧玲が駈け寄り、後ろから藍星の腕をつかんだ。
「なにをしているの」
土の床に落ちたのは毒抜きがされていない
「……ごめんなさあい」
彼女はへにゃりと相好を崩して、繕うように笑った。
「一個、余っていたので。てっきり毒抜きが終わっているものだとおもって」
「あなた、患者まで殺すところだったのよ」
慧玲は声を荒げることはせず、静かに藍星を糾弾する。藍星は咄嗟に眉を垂らして、困ったように言い訳を重ねた。
「ほんとです。毒だとは知らなくって」
「違う」
慧玲は緩やかに頭を振る。
「私を殺したいのなら、患者を巻き添えにするような姑息なことはせず、刺すなり、つき落とすなりすればいい。他人に殺させようとするな」
藍星が息をのみ、瞳を見張った。
「気づいていたのが意外?」
藍星が慧玲にたいする敵意を懐いていることは逢ったときから察していた。
毒を、知り過ぎたせいだ。どれほど親しげによそおっていても、心があるかぎりはふとしたときの視線に一滴の毒がまざる。皇后の密偵かとも疑っていたが、後に違うとわかった。
「あなたは、私を怨んでいる」
誰かに命じられているだけでは、あんなふうに昏い眼差しで睨むことはできない。この殺意は彼女の毒だ。
藍星はなおも強張った笑顔を取り繕い、情けない声をあげる。
「や、やだなあ。そんなことありませんって。ねえ、いじめないでくださいよぉ」
「……だったらなぜ、あのとき、茶に毒を盛ったのですか」
藍星が黙った。
休憩のときに藍星が淹れてくれた茶は、毒だった。
訳の分からないものをまぜ、毒であることがわからないようにごまかしていたのですぐには気づかなったが、後になって痺れがまわってきた。幸い、すぐに解毒できたが、これまでに飲んだことのない毒だった。
(異境の毒だろうか)
確実に毒を盛ったのに慧玲がなんともないので、藍星はさぞや戸惑っていたことだろう。それでも動揺を滲ませず、にこやかに振る舞っていたのだから、なかなかの胆力だ。
「毒を盛るほどに怨んでいるのでしたら、怨むだけのわけがあるのでしょう。それは構いません。構わないことです。ですが、他者を毒することは、許さない」
患者が毒で死ねば、椙も梓も慧玲を怨み、殺そうとするだろう。藍星はそれを狙ったのだ。
藍星がかたかたと震えはじめた。
「わ、私は」
鍋が煮えだす。
「……間もなく薬が調います」
患者たちの刻限がせまっていることを想いだし、慧玲は言葉の端をやわらげていった。
「藍星、椙さんたちに
いつもどおり、女官である彼女に頼む。
「…………了解、しました」
逃げだすように藍星は庖房を後にする。
誰もいなくなってから、慧玲は緊張の糸が絶たれたように土壁に背をつけ、重い息をついた。
毒を盛られたときも、然して動揺はなかった。
ただ、胸に棘が刺さったような、寂しさがあった。そう、寂しかったのだ。藍星から時々感じる毒が、単なる勘違いだったらよかったのに。そんなふうに思いはじめていたことに我ながらあきれた。
それくらいに藍星には親しみを懐いていたのだ。
だからこそ、これほどなりふり構わずに毒をまき散らすほどに、彼女の怨みが根ぶかいものだとは想っていなかった。
ましてこれは、藍星自身がまずは毒味をするはずだった。自身も毒をのみ、患者を殺してまで――
(私を殺したかったのか。……なんて濁った毒なの)
農夫たちにしてもそうだ。朗らかに畑を耕していた彼らがなぜ、人を殺すに到ったのか。穴の底が覗けたのは一瞬だけだったが、老人もいた。姑娘もいた。全員の命を絶つのに、どれほどの怨みがあったのかと想像するだけでも身が竦む。
慧玲は微かに震えだす手を拡げ、ぱんっと思いきり自身の頬をはたいた。
(だめだ! 毒に竦むな。いまは、薬のことだけを考えろ)
雑念を振りきる。
わかりきっていた裏切りに傷つくのも、殺人という罪の重さを考えるのも解毒が終わってからだ。
揺らいだ火のような心で務まるほど、調薬というのは易いものではないのだから。
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