41 飢饉と病に見舞われた農村

 馬車に揺られて峠の山径やまみちを進む。

 盆地になった都とくらべて標高があるせいか、あたりは盛秋の景だった。葉裏にも夏の青さはない。吹き渡る風は肌寒く、時折峠に霧がかかった。


「うう、ぐすっ……なんで私まで」


 慧玲フェイリン藍星ランシンが後宮を離れて、約二日が経った。藍星はその間ずっと後宮に帰りたいと泣き続けている。


「だって疫病ですよ! 罔靑ワンチィ村で感染した官吏は全員死んだっていうじゃないですかあ……いやですよ、私まだ死にたくないです!」


「安心なさい、私がちゃんと薬を調えますから」


「うつることが前提の段階で安心できるはずがないじゃないですかあ!」


 藍星は外掛はおりを頭から被って、蓑虫のようになる。慧玲は重いため息をついた。


「人助けに危険はつきものですよ」


 峠を抜け、馭者が「間もなく罔靑ワンチィ村に到着します」と報せた。村に差し掛かり、段々と房屋いえがみえてきたところで馬車が停まる。

 村人たちが馬車のまわりに群がり、好奇の眼差しでこちらを眺めていた。

 人々は一様に痩せている。穀物の凶作が続いているとは聞いていたが、皇帝の口振りでは飢饉というまでには至っていないようだった。だが民の様子をみるかぎりでは、事態は予想よりも深刻そうだ。

 慧玲がさきに馬車から降りる。藍星は「人助け人助け」と唱えながら、なんとか腹をくくったのか、しぶしぶ続けて降りてきた。


「ずいぶんと変わった格好だが……あんたら、旅人さんか」


 農夫とおぼしき老いた男が声をかけてきた。


「悪い事はいわん。村から離れて野営したほうがええ。今、罔靑ワンチィでは妙な疫病がはやっとる。それに飢饉があってな、余所よそものにやれる食物もねぇ」

「お気遣いを賜りまして、ありがとうございます。でもだいじょうぶです」


 慧玲は親切な農夫に微笑みかけてから、あらたまって挨拶をした。


「私は宮廷の医官です。罔靑ワンチィで発症している奇しき病の調査と感染者に薬を処方するために都より参りました」


 それを聞いていた農民たちが一瞬だけ、静まりかえった。


「……なんだって」


 農夫が呆気に取られたような顔をしたあと、白髪まじりの眉をゆがませた。


「なあにが医者だ! ばかにしやがって!」


 豹変し、彼は声を荒げた。他の村人たちも続いて一斉に喚きだす。路傍の石を拾い、馬車にむかって投げつけるものまでいた。


「いまさら医者なんかきたってなんになるんだ!」

「こんな小姑娘こむすめをよこしやがってよ! やっぱり御上はおらたちをなめてんだ!」


 あまりの剣幕に慧玲は瞳を見張る。

 いったい、これはどういうことなのか。


「話が違うじゃないですか! 人助けなんですから、もっとこう、歓迎されるべきでしょう! 感謝されるべきでしょう! 石投げられてるんですけど!」


 騒動のかたわらで馭者がそそくさと馬に鞭をいれた。動きだす馬車に藍星ランシンは慌てて縋りつく。


「まってください、こんな状態で置いていくつもりじゃないですよね!」


「約束どおり、十日後に迎えにきますよ。……御二方が感染していなければ、ですが」


 馭者はそれだけを言い残して、逃げるように遠ざかっていった。取り残された藍星はほとんど気絶しそうになっているが、慧玲フェイリンは冷静だった。


「落ちついてください。まずは今、この村で何が起こっているのかを教えてください。なぜ、それほどに怒っておられるのですか」


 事情がわからないのではどうしようもない。


「はっ、しらばっくれやがって!」


 老いた農夫が唾をまき散らす。


「仮にだ。あんたみたいな小姑娘こむすめが医者だったとしても、どうにもならねぇよ。これは――祟りなんだ」


「祟り?」


 慧玲フェイリンは毒気を抜かれ、ふっと失笑した。


「祟りなんかありませんよ。あるのは毒だけです。毒ならば解毒できます」


 死穢しえにせよ怨念にせよ、それらは毒であって、毒でしかない。そして慧玲はいかなる毒でも解くことができる。解いてみせる。


 惑いのない緑の眼差しにたじろいで、農民たちが黙った。


「……薬があっても、どうせ俺たちゃ冬がきたら飢え死にだ。まだ眠って死ねるだけせってる奴等のほうが楽かもしれん」


 だが彼らの絶望は根深かった。

 一様に落ちくぼんだ眼で、こけた頬をしている。


「患者を診せてください」


小姑娘おじょうちゃん、お医者さんごっこなら余所でやってくれ」


 明らかに侮られている。とりつく島もなかった。だが、後宮では散々疎まれているのだ。いまさら侮られる程度で傷つく慧玲でもなければ、ここまできて退くつもりもない。


「それではせめて畑だけでも確認させてください」

「畑ぇ?」


 地毒による毒疫ならば、飢饉をもたらした悪天候とも繋がりがあるはずだ。


「あんた、どうせ士族しぞく様なんだろう? 服をみたら、わかる。あんたらみたいなのにゃ、俺たちがどんな想いをしてるかなんかわかりゃしねぇ。士族様が畑なんてみたところで……」


 話を遮るように慧玲が外掛はおりを投げ捨てた。

 続けて帯を解きだす。あわせてあったえりがはだけて、素肌があらわになった。


「ちょっ、なっ、なにをして」

「麻の服をください」


「はあ?」

「この服が御気に障って、話すら聞いていただけないのでしたら、あなたがたと同じ服に着替えます」


 女達は後ろで真っ青になっている。姑娘がこんなところで服を脱ぐのがどれほどのことか、彼女らにはわかる。事実、慧玲は寒いわけでもないのに、微かに震えていた。


「はあ……強情な小姑娘おじょうちゃんだ。わかった、ついてこい。畑なんかみたところでどうにもならんと思うがな」


 農夫が折れた。

 

「ありがとうございます」


 帯を締め、外掛を羽織りなおしてから、農夫に連れられて森のなかに続く坂道を進む。

 

 悪天候が続いて作物が実らなかったといっていたが、紅葉の色づきからその年のある程度の気候は見て取れる。綺麗に綾をなしているというとは、夏以降にひでりが続いていたということもなく、雨続きで日照が乏しかったというわけでもなさそうだ。作物も紅葉も同じ大地に根を張り、同じ空模様の影響を受ける。つまりは作物もさほど悪い状態ではないはずだ。


(それなのに、彼らは冬になれば飢えるという。いったい、どういうこと?)


 森を抜けた。夕映えが差して田園風景が拡がる。

 峠の勾配にあわせて雄大な棚田が造られていた。横たわるうねは、ともすれば観世水かんぜすいの文様を想わせる。まさに農耕の芸術だ。

 水の抜かれた田はがらんとしていて、今の季節ならばちょうど垂れるほどに実っているはずの稲はなく、かといって収穫後の稲架掛けも見あたらない。それどころか――藍星ランシンが首を傾げた。


「あれ、雪ですか?」


 田の表は白で埋めつくされていた。さながら季節はずれの霜で凍りついているかのように。だが、慧玲は雪ではないと直感した。

 そのとき、白い棚田から鳥の群がいっせいに舞いあがった。燃えさかるような紅の雀だ。くろがねのような大嘴おおはしが際だっている。都ではめったに見掛けることのない種だ。


(水晶鉱山に棲みつくはずの火雀がこれだけ群れているということは)


石英せきえいの砂だ……でも、なんで」


 遠い異境には水晶の白い砂漠があるというが、ここは山の麓にある田園地帯だ。昨年までは肥沃な土壌に溢れんばかりの豊穣があったはずである。


「夏頃に地震があった。そんでこのざまだ。これじゃ稲も育たねえ。根こそぎ枯れちまったよ」


 夏に稲が枯れ、今秋はひと握りも穀物の収穫がなかったと農夫はいった。

 だが税は昨年よりもあがった。

 免税を嘆願したところ、穀物のかわりに芋を貢納するよう、達しがあったという。かろうじて収穫できた芋を納めたら、冬を越えるために必要な食糧が底をついた。


「皇帝だなんだ偉そうにしてても、結局毎日飯は食うんだ。俺たち農夫がいなきゃ御飯おまんま喰いっぱぐれちまうってのによ。有難みをなんにもわかっちゃいねえ」


 農夫は髭だらけの顔をゆがめて、嘆いた。


 慧玲も実をいえば、以前から気掛かりではあった。

 財政が困窮しているという割には、後宮には妃妾が増え続け、季節の宴も毎度盛大に催されている。どこから資金を調達しているのだろうかと。財政再建の頼みの綱だった南部の鉱産資源も、けっきょくは火禍かかで採掘できなかった。その後、山脈の大火は秋の雨で鎮火したが、森の焼け跡は毒の灰で埋もれてしまい、いまだに鉱脈まで近寄ることもできないという。


 だがこれでわかった。

 民から徴収した税で賄っているのだ。


(父様が壊れるまでは、戦続きでも民は豊かだった。敗戦して剋の領地になってからのほうが暮らしやすくなったと感謝するものまでいたくらいだ)


 現在大陸各地が地毒にさらされ、民心は乱れている。それは先帝の責だ。だが、その渦中で政を最優先にするべき皇帝が些か頼りないことは事実だった。


(でも私に政を動かすことはできない)


 唇をかみ締める。


(私に為すべきを為すまでだ)


 農民たちはやせ細っていた。よほどに食べるものがないのだろう。慧玲はそこでひとつの疑念を抱いた。


「……変ね。食べ物ならば、いっぱいあるじゃない」

「なんだと」


 農夫が眉を逆だてた。


「何処に食い物があるってんだ。小姑娘こむすめのくせにさっきから知ったようなことばっかりいいやがって」


 砂に埋めつくされて枯れた畑を指さす農夫にたいして、慧玲は森を指した。不敵な微笑を唇に乗せて。

 

小姑娘こむすめではありますが、私は食医です。まずは一食、調えても?」

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