40 篭の孔雀と毒の鳥

 貴宮たかみやから花の香が絶えることはない。

 日は落ちて花が陰っても梔子くちなしの香はあまやかに漂い、風が渡れば梅は舞う。季節はとうに秋だというのに、万華ばんかの宴だ。秋宵の桜を振り仰ぎながら慧玲フェイリンは橋を渡る。不意に香木を想わせるけむりのにおいがまざった。視線をむければ、宵の帳をひき連れるようにして漢服かんふくの男が進んできた。ヂェンだ。


「やあ、食医さん」


 ヂェンは肌寒くなってきたせいか、漢服に外掛はおりを羽織っていた。涼しいかおをしているが、外掛のなかにもかなりの毒蟲どくむしが潜んでいるのだろう。


「ずいぶんと疲れた様子だね」

「まあね……」


 くびが落ちるかどうかのぎりぎりだったのだ。昼は昼で藍星ランシンのせいで騒々しかった。


「都の東部まで毒疫どくえきの調査と解毒にむかうことになったの。しばらくは後宮を離れることになる」


 鴆は意外だったのか、双眸を見張った。


「貴女は後宮にとらわれているのかとおもっていたよ。篭の孔雀とりみたいにね」


 さほど大事に飼われてはいないが、うかつに取りだせないものとして扱われているのは事実だ。


「その毒疫とやらは、余程に酷いものなのか」


「事の仔細はまだわからないけれど、地毒ちどくが人から人に感染したおそれがあるそうよ」


「へえ、新種の毒疫どくえきということか」


「どうでしょうね。まだ推測では語れない」


 咳やくしゃみ等で感染するのか。あるいは患部から毒の気があふれて、まわりにいるものを感染させていくのか。そのどちらかならば、人から人に感染したということになるが、地毒を含んだ物を持ち帰り、家族が知らず接触したという線も考えられる。


「如何なる毒であろうと、絶つだけよ」


 銀の髪を掻きあげる。孔雀の笄が調べを奏でた。

 静かに慧玲のことを眺めていた鴆がこぼす。


「貴女はあいかわらず、強かだ。強かで……奇麗だ」


 前触れもなく渡された言葉に慧玲は毒気を抜かれた。


「……毒蜘蛛にでも刺されたの?」

「別に。毒にやられたわけじゃないさ。奇麗だと想ったからいっただけだ」


 好意のある言葉を紡ぎながら、漂ってきたのは殺意だ。紫のひとみが毒々しくひずむ。


「貴女は後宮にいる妃妾たちみたいに与えられるものだけを貪って、寵愛されてきたお姫様じゃない。それなのに貴女は奇麗だ……だから、時々」


 凄絶な笑みで彼は腕を伸ばして慧玲の白銀の髪に触れてから、するりと指をすべらせて細い首筋をなでる。いつだったか、暗殺者だと解ったばかりの頃に彼はこうして慧玲の喉に触れた。

 

「壊したくなるんだよ」


 彼は喉に指を絡めることまではしなかったが、そうされているのと同等の殺意があった。


「奇麗なものは嫌いだ」


 ほの昏い毒が彼のなかで吹き荒れているのを肌で感じる。そう、いま彼の眸のなかにあるのは焔ではなく、風だ。慧玲のなかにも絶えず吹き続けている孤独感だった。彼の毒はきっと慧玲と似ている。さながら鏡映しだ。

 似ているのに、違う。だから側にいると、よりいっそう孤独になる。

 慧玲は、落ち椿のような唇を持ちあげた。


「……それはよかった」


 香らずに微笑む。


「私は、おまえに好かれたくないもの」


 風のようにすれ違った。


「……ああ、僕も貴女だけは、好きになりたくはないね」


 いつだってふたりはすれ違い続けている。鏡像と手を繋ぎあうことはできない。水鏡の月をつかめないように。それでも輪郭は重なる。ほんの一瞬、接吻でもするように。

 そうしてまた、剥がれていくものだ。


 風が吹きわたり、桜が舞った。背に降りかかるはなびらは何処か、雪を想わせる。

 それにしても鴆はなぜ、貴宮に呼び寄せられたのだろうか。さきほどの皇帝との話を想いだして、慧玲は胸騒ぎを感じた。


「……まさかね」


 おそらくは気のせいだ。

 彼が毒師の一族であることを知っているのは彼女だけなのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る