33 食医の姑娘は祈らない
夏の
朝から晩まで
「……ね、なんなのよ、それ」
女官が喋りかけてきた。意外だ。宴の食事を用意した時と同様、無視されるものとおもっていた。
「こちらは
「果実! こんな、いぼいぼの
「ええ、
「こうして水のなかで揉み続ければ……段々と」
おかしい。ほんとうならば、果実の繊維がとけだして、水がぷるぷるとかたまってくるはずなのに。
「なによ。なにも変わらないじゃない」
女官があきれたとばかりに離れていった。
(……何が足らないの)
母親にして師が、この果実をつかって調薬していたときのことを想いだす。
薬に重要なものは何か解りますか――母親に尋ねられて、慧玲が答えられずにいると彼女はこう続けた。
――水ですよ、水は万物のみなもとです。この地域の水を飲んでごらんなさい。硬いでしょう。ですが都の水は軟らかい。おなじように調理しても、水の質によって穀物の食感、香、味わいには違いが現れます。
水の質を考慮すること。想いかえせば、他の地域では母親はこの果実を調理することはなかった。
(……水か!)
都の水は湖からの疏水だ。舌触りが軟らかく、穀物の調理、
だがどうすれば、硬い水を調達できるのか。
(かためるといえば……例えば、豆乳をかためて豆腐にするときにつかうのは石膏だけれど、あれは臭いがつよすぎる。となれば、にがりか)
だが、にがりは海水から塩を造る際に取れる副産物だ。海から取り寄せなければならない。他の物で硬水を造れないものか。
(そうだ。あれだったら)
あることを想いつき、
遠くから慧玲の様子を伺っていた女官たちがひとり、またひとりと、木箱を確かめに集まってきた。風変わりな果実を覗いて、疑わしそうに眉を寄せる。女官のなかには火傷があるものもいた。
「妃妾様たちの火傷の薬を造るんだって」
「……ね……、しちゃおうよ」
声を落として囁きあいながら、彼女らは木箱の中身を取りだした。
◇
あるじのいなくなった夏の
最後まで怨み続けるといった彼女のことを想う。
(毒を喰らわば……か)
皇帝がいなければ、ふたつの部族は和解できたと彼女は語ったが、所詮は理想に過ぎない。せかいは、そんなに単純には廻らないものだ。
彼女は
だから、他に怨めるものを捜しただけだ。
(いつだったか、父様が宣われた。政とは毒を喰らいながら執るものだと)
真意の解らぬ腹心にかこまれ、民衆に真綿の縄をかけて操り、情けを絶ちて、私欲を棄て。愛するものを殺さねばならぬこともあろう。望まぬものを欲さねばならぬこともあろう。ひとつを助ければひとつを殺すことになるとしても、最も犠牲の少ない道を選び、呵責という毒を敢えて飲みくだす。民の希望を飲み、怨嗟を飲み、不満を飲み、敬愛を飲み、すべてをたいらげるのが皇帝の器だ。
(毒を喰らいて、薬と為せ。それが父様の言葉だった)
政はまさに毒を喰らうに等しいものだ。
だが、いかに堪えがたくとも、飲んだ毒を喀いてはならない。その言葉で、その選択で、民を、国を毒することなかれ――と。
だが彼は毒を喀き、みずからの言葉を嘘にした。
(新たな皇帝は、どうだろうか)
徹することができるのか。
毒の火は山脈を焼き続けている。じきに
(それでも私はいま、私にできることをするだけ)
凬妃の房室を後にする。続けて、
(彼女から凬を奪ったのは皇帝でもなければ、皇后様でもない……凬はただ、自身の怨みの毒に喰われた)
怨みは毒だ。だがその毒は、時にあまやかに感じるものだ。
「……あった」
抽斗の端に
ふと微かに
「ふたりの魂を故郷に還してあげて」
慧玲は竹で編まれた篭を解きはなつ。
鷂は警戒した様子で頭だけを外にだしていたが、よたつきながら翼を拡げた。風をつかんで夏の晴天に舞いあがる。
慧玲は死者に祈る言葉を持たない。
母親が命を絶ったときも、父が処刑されたときもそうだった。だからせめて託す。
鷂は最後にひと声囀って、青に融けた。
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