30 怨みの毒は燃えさかる
緩やかな瞬きを経て、
「一族と山脈を焼き、ふたつの民族の希望を絶った皇帝を、アタシは許さない。なんにもなくなっちまった。家族も、故郷も。産まれたばかりの
凬妃が呻いた。血潮を
理解できない、はずがなかった。あれは
「ですが、あれは事故だった。皇帝は」
「いいや、火が
凬妃は言いきる。
「皇帝の関与によって、もとから険悪だった
もう終わりだと彼女はいった。皇帝が終わらせてしまったのだと。
「燃えあがる
そう、幸か、不幸か。彼女は皇帝への貢ぎ物として選ばれ、後宮に迎えられることになった。
「後宮に入ってすぐ御渡りがあったが……皇帝は、殺せなかった。かの皇帝はずいぶんな臆病者でね。
「だから、罪もない皇后陛下を狙ったのですか」
愛するものを焼かれるという同じ絶望を、皇帝に味わわせたかったのだろうか。
凬がひくりと頬を強張らせた。
「はっ、冗談じゃないよ。あれは、
想像だにしなかった言葉に耳を疑う。
「どういうことですか」
「……アタシが教えたところで、おまえさんは信じやしないさ」
諦めたようにいって、凬妃は頬に張りつく髪を払いのけた。
「それでどうするんだい。罪を糾弾してアタシを死刑するかい」
「それは、私の為すべきことではありません」
「だったら、なんできたんだい」
「私は食医ですよ。あなたを解毒しに参りました」
慧玲は鳥篭の裏に隠していた薬を差しだした。
重箱に収められているのはアボカドの唐揚げだ。凬妃の微熱は、あきらかに毒によるものだった。だが、まだ触れたものを燃やしつくすほどには、侵されていないはずだ。
「怨みとは人が持ちうる最も強い毒です。あらゆる毒は薬に転じますが、怨みの毒だけはいかにあろうと薬にはならない――ましてその毒は、あなた自身を蝕み、喰らう毒です」
慧玲も毒に喰われそうなときがある。
だから凬妃には、毒に喰われてほしくはなかった。
「お前さんは……罪人にも薬を差しだすのか」
凬は眉を寄せながら哀しげに微笑んで、薬を受け取った。重たくなった髪からほたほたと濁った雫を滴らせて、彼女は項垂れる。
だが後悔をにじませたのはその一瞬だけだった。
慧玲は声ひとつあげなかった。きっと、こうなることはわかっていたからだ。ただ、瞳を細めて、
「毒したものは毒されてしかるべきだ。だから、薬は要らないよ」
何処までも穏やかにそういって、最後だけ、彼女は哀しいほど強く声を張りあげた。
「アタシは、永遠に怨み続ける――!」
「凬妃、皇后暗殺の疑いで捕縛いたします。御同行を願います」
そのときだ。
凬は想像だにしていなかった事態に戸惑っている。依依が捕吏に取り押さえられながら、叫んだ。
「
突如として
誰もが一瞬、なにが起きたのか、理解できなかった。
慧玲だけが嘆いた。
(ああ、火の毒だ)
燃える
紐が燃えおちたのか、結わえられていた髪が解けた。紅の髪が、熱風に
さながら、
絶望する
夏の華は燃えつきていく。ひと晩の盛りを終えた
水鏡に映る火の華は眩むほどにあざやかだった。
斯くして、火の毒にまつわる事件は幕を降ろした――はずだった。
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