26 火の熾りを解く

 夏の朝は青い。

 宵の帳が緩くほどけだす。すでに提燈も不要なほどだった。貴宮たかみやの風水を検めるため、早朝から宮廷風水師が集められていた。なかには鴆もいた。


 調査を終え、宮廷風水師たちはそろって、頭を横に振る。


「調査したかぎりでは、東西南北いずれの風水にも綻びはございませんでした。この土地で地毒ちどくが産まれたとは考えられません……やはり、何者かが皇后陛下に毒を盛った、としか。訪問者はおられませんでしたか?」


「七日前に陛下がお渡りになられただけです。よもや貴宮たかみやの女官に皇后陛下に仇なすものがいるとでも」


 女官たちがいきりたつ。


 妃嬪や宦官は皇后陛下の許可がなければ貴宮には渡れない。空でも飛べないかぎり。毒を盛れるとすれば女官だけということになる。


 水晶宮すいしょうきゅうに集められた風水師のなかで、鴆だけが何事かを思案するように黙している。

 続けて、女官たちの視線は後ろにひかえていた慧玲フェイリンにそそがれた。不届きものを睨みつける敵意の視線だ。

 唇をひき結んでから、慧玲は苦々しく声をしぼりだした。


「こちらも成果はございませんでした」


 皇后はなぜ、毒に侵されたのか。


 毒のもとを解くため、皇后の身のまわりを調べさせてほしいといったとき、女官たちは慧玲をいっせいに責めたてた。貴き皇后陛下の私物を、渾沌の姑娘などに触れさせることはできないと。

 女官たちを窘めたのは他ならぬ皇后だった。


わたしが許すわ。……お願いね、慧玲」


 だが皇后の厚意もむなしく、成果はあがらなかった。


「皇后陛下が日頃から身につけておられる襦裙ころもかんざし房室へやの家具、身のまわりにある調度品――いずれにも毒はございませんでした」


 食事には毒味係がついているため、毒を盛られたという線はない。

 そもそも皇后の身を侵している毒は、あきらかに地毒ちどくだ。誰かが地毒をもちこみ、皇后だけに影響が及ぶようにした――そんなことが可能なのか。


「っ、役にたたず! 恥を知りなさい。いま、このときにも皇后さまは御苦しみになられているというのに!」


 女官が涙ぐみながら声を荒げた。


(そもそも毒を捜してもいないひとにいわれたくはないのだけど)


 慧玲は感情を剥きだしにして喚き散らす女官をみていられず、天窓に視線を動かす。青くなったそらを鳥が横ぎる。ヂェンもまたそれを視線で追いかけ、得心とくしんがいったとばかりに双眸を細めた。


「風水には東西南北のみならず」


 なおも叫ぶ女官を遮って、ヂェンが声をあげた。


「天、地がございます。……まずは屋頂やねにあがらせていただいても? ああ、ついでに食医を連れていっても宜しいですか」


 慧玲がとっさに「何故」といいかけたが、飲みくだす。ここでは風水師である鴆のほうが遥かに身分が高い。しぶしぶ黙って、彼に順った。



      ◇



「抱いて」

 誰もいない廻廊で、慧玲フェイリンヂェンにむかって腕を差しだす。

 緑の袖が風に揺れる。鴆は細い眉の端をあげた。


「おまえと違って、私は屋頂やねになんかあがれないからね。いったからには、おまえが運ぶの。いいね」


「構わないが……貴女だったら意地を張って、僕の力なんか借りずにあがろうとするものだとおもっていたんだけどね」


「むだな意地は張らない質なの」


 ヂェン慧玲フェイリンを軽々と抱きあげ、屋頂にあがった。

 貴宮たかみや屋頂やねは龍の背を想わせた。瑠璃るり釉薬うわぐすりを施された瓦は華やかで、真夏の日を受け、潤むように輝いている。屋頂づたいに移動し、皇后の眠る房室の屋頂にあがった。皇后だけに影響が及んでいるということは睡眠時に毒を受けている危険が最も高い。


「予想どおりだ。ここだけ瓦がよごれて、あきらかに何かが撒かれた様子がある。一昨日雨が降ったのにもかかわらずだ」


 慧玲は指で屋頂をなぞって、ためらいなくそれを舐めた。砂を想わせる舌触りと微かなこげ臭さが拡がって、最後には灼熱感が残った。


「……なにかの燃え殻ね。なにかの骨に植物――香りからすれば、柳と……」


 緑の瞳を見張る。ついこのあいだ、舐めたばかりの毒だった。


夾竹桃キョウチクトウ……」


 夾竹桃は致死毒を有する危険な植物だ。特に、燃えたときにあがる煙と、燃えおちた後の灰には強い毒がある。細かな灰は屋頂のすきまから房室にも落ちていくはずだ。まさに不可視の毒となったそれを吸い続ければ、毒に侵される。


「腑に落ちない。皇后陛下を侵す毒は、間違いなく火の毒だった」


 夾竹桃の毒ならば、悪心、腹痛、嘔吐からはじまって、眩暈、脱力、酷い不整脈等の症状がひき起こされる。だがあんなふうに燃え続けるなど、尋常な毒ではない。かといって、地毒は毒師であろうと造れるものではない。それにこれは造られた毒にしては、不純物がまざりすぎている。

 どちらかというと呪いじみていた。


「夾竹桃の毒か。耳に新しいな」


「どういうこと」


「春に南部で征夷せいいがあったのは知っているだろう。皇帝の軍はクン族と同盟を結び、ハオ族を滅ぼした。だが、皇帝に民族浄化の意はなかった。昊族を根絶やしにしたのは軍ではなく毒の火だった」


 毒の火。それが皇后を侵す《火の毒》の端緒ではないかと身を乗りだす。


「争いのさなか、ハオ族の領地で火がおこった。発端は事故だったそうだ。皇帝の陣で燃やしていた篝火が倒れたとか。兵隊が松明を落としたとか」


「軍が故意に火を放ったわけではないの?」


「九分九厘、ないね。クン族と同盟を結んだ段階で軍の勝利はきまっていた。そもそも、坤族の領地も燃えかねない」


 不運なことに、と鴆は続けた。


「昊族は鳥を家族同然に愛していてね、鳥を捕食する蛇を嫌う。夾竹桃キョウチクトウは毒だが、蛇にかまれたときの解毒薬になる。だから昊族は、家畜をかこむ柵や幕包パオの骨格を夾竹桃で組む――それが焼けたんだ。どうなるかは解るだろう」


 想像に難くない。火からは遁れられても、毒の煙を吸いこみ、ハオ族は命を落とした。


「火は、ふた月経った現在でも延焼を続けている」


 早期に火を制められるものがいなかった。それがまずは、第一の不運。続けて毒の植物に延焼した、これが第二の不幸。重ねて今期は、雨季にもかかわらずひでりが続いた地域があった。その最たる地域が南部だ。これで三重の不運が重なったことになる。


「もっとも、ここまではただの《毒》だった。だが火は夾竹桃の群生地を過ぎてもなお、毒の煙をあげ続けている。毒ではないものが毒になる。これはまさに地毒だろう?」


 強くなりすぎた火が他の要素を侮り、調和を崩して地毒となったのか。それとも昊族の死穢が火の毒をもたらしたのか。


「だとすれば、これはハオ族の遺灰?」


 灰塵の積もった瓦に視線を落とす。だが、誰がどうやって、皇后の宮の屋頂やねにこれを撒いたのか。


「……あの鳥……あれは確か、ハイタカだった」


 慧玲がつぶやいた。

 鷂は昊族が使役するとりだ。最後のハオ族が後宮に紛れこんでいる。


「犯人が解ったのか」

「おそらくは。でも、私の役割は犯人捜しではない」


 毒のもとは解けた。慧玲は唇をひき結んで、いった。


「皇后陛下を解毒する、食医わたしの役割はそれだけよ」

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