25 皇后に火の毒
笹の葉に
日が差さないからか、夏でも
月あかりの窓べに身を寄せて、慧玲は
慧玲は身構えつつ、戸から外を覗いた。
(誰もいない……か)
緊張を解いたのがはやいか、物陰から何者かがつかみかかってきた。悲鳴をあげるまでもなく、縄で喉を締めあげられる。
(暗殺者……! しまった)
抵抗しようと藻掻いたが、男の腕力には敵わない。毒には強くとも、慧玲はただの
そのときだ。縄が緩んで、暗殺者が崩れるように倒れた。
「彼女は僕の、だ。下等な暗殺者ごときが摘んでいい華じゃない」
鴆は草場で息絶えた暗殺者を踏みつける。
「……なぜ、私を助けるの」
「いっただろう。僕は貴女が気にいったんだよ」
彼は口の端をつりあげた。いやな予感をおぼえて
「だったら、愛とでもいっておこうかな。女が好きなやつだよ。これだったら、納得できるんじゃないか」
麗しの風水師に湧きたっていた
「まったく、これっぽっちも、納得できるものですか」
彼女は思いきり、彼のつまさきを踏みつけた。
(……ほんとに腹がたつ)
腕をつかまれ、今度こそ捕らえられた。
「冗談はさておいて、貴女みたいな毒はそうはないからね。そこらの暗殺者に殺されるなんて、くだらない死にかたをされたくないんだよ。死に絶えるなら、その身の毒に蝕まれ、地獄の底で息絶えてほしい」
熱っぽく微笑みかけられて、毒の
愛にはほど遠い、呪詛めいた言葉だ。ともすれば、怨んでいるような。
慧玲が言葉をかえすまでもなく鴆が身を離した。誰かが笹を踏みわけ、こちらにむかっている。
「騒々しい晩だね」
鴆はやれやれといいながら、暗殺者の亡骸を肩に担ぎあげ、暗がりに身を隠すようにその場から離脱した。
「
女官だ。提燈の紋様から皇后つきの女官であることがわかる。ひどく青ざめて、取り乱していた。
声を荒げ、彼女はいった。
「蔡 慧玲、ただちに
◇
房室に踏みこんだのがさきか、慧玲は尋常ではない暑さと
大理石造の房室で何かが、青々と燃えていた。
「――皇后陛下」
裸で横たわる
素肌は絹のかわりに青く燃える火を帯び、うす昏がりにその華奢な輪郭が浮かびあがっている。
皇后が燃えている――女官から報せを受けたとき、慧玲はにわかには想像がつかなかった。
「服から薬、飲み物まで、触れるものをことごとく燃やしつくしてしまわれるのです。水桶につかれば、すこしはやわらぐかとおもったのですが……すぐに煮え立ち、蒸発させてしまって……」
(強すぎる《火の毒》は水を
火の毒疫。これには、人の身だけがこつ然と燃えてしまうものと、その者が触れたものだけが燃えあがるという二種の症状がある。前者は人体自然発火現象として記録されることもあった。
「でも貴宮に
貴宮は風水に護られているはずなのに。
(いや考えるのは後だ)
事は一刻を争う。慧玲は側にいた女官に声を掛けた。
「塩をもってきてください! できれば、岩塩がよいです」
女官が慌てて岩塩を運んできた。慧玲は塩の塊を砕き、飴だま程の大きさにしてから皇后に差しだした。
「どうか、口に含んでください」
皇后は意識がないのか、動かない。
「失礼します」
慧玲は火傷をかえりみず、皇后に触れて強引に口を開かせ、岩塩を放りこんだ。塩は燃えることがない。また温度をさげる効能もある。舌で転がしているうちに熱がさがりはじめた。
皇后が微かに瞼をひらいた。女官たちは
「皇后様! よかった……意識を取りもどされて」
「……ありがとう。心配を掛けて、ごめんなさいね」
こんなときでも他者をねぎらう皇后の人徳に、女官たちがいっせいに涙をこぼす。
「皇后様になにかあれば、私も命を絶ちます……」
「私もでございます。どうかお側に……」
「慧玲」
皇后がおぼつかない様子で視線を動かす。
「はい、ここにおります」
「あなたを信頼しているわ。あなたならば、かならず、
慧玲は静かに肯った。
「お腹が、減ったの。おいしいものを調えてね」
皇后は微笑み、安堵したように瞳を瞑る。
塩は、解毒にはならない。熱をあげすぎないための、一時凌ぎにすぎなかった。だが毒を解くにはなぜ、どのようにして、いかなる毒に侵されたかを解かねばならない。
後宮に毒を持ちこまれている――鴆が報せた不穏な言葉が耳に甦る。後宮のなかは悪意という毒に充ちている。陛下の寵愛を一身に享けていることで妬まれたのか。
だが、皇后に毒牙を剥けるような妃妾がいるとは想えなかった。
ひとつだけ、胸に刺さった棘のように思いあたることがあった――皇帝にたいする怨みが皇后にむかう。ありえないことではない。
(いや……憶測で考えるのは危険だ)
如何なる毒かはいまだに解らずとも。
「かならずや、薬と致します」
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