24 夏妃の女官は祈る
「薬を調えて参りました」
「麺か」
「
「へえ、蕎麦というと温かいものだとおもっていたが」
慧玲が調えてきた蕎麦は、水をくぐらせて締めた冷たい蕎麦だった。魚介のだしに薬味の
蕎麦をだしに浸してから、ひと息に啜った。
「……旨い」
凬妃は喋るひまも惜しいとばかりにまた頬張る。
蕎麦からは芽吹いたばかりの草を想わせる香りが漂ってきた。こしのある細麺は喉ごしもよく、かつお節と昆布でしっかりと取られただしに絡む。
「こんなに旨くて、ほんとに薬になるのかい」
「旨いものこそが薬です」
慧玲はきっぱりと言いきった。
「こちらの蕎麦には
風妃は感心して、頷きながら聴いていた。
「何食分か打ちましたので、三日ほど続けて御召しあがりいただければ、解毒できるかとおもいます」
「なるほど。他に気をつけることなどはあるかい」
「御茶ではなく、水を飲まれることをおすすめいたします。あとは……失礼ながら
「……う」
凬妃が言葉を詰まらせた。
側にいた女官がここぞとばかりに声をあげた。
「そうなんです! 後宮の味つけでは物足りないと、粥であろうと麺であろうと、すりおろした
「そ、そんなにたくさんはいれてないだろう」
「いえ、もとの味が解らなくなるほどには」
他の女官にもあきれぎみにいわれて、
「わかった。今後は控えるよ」
女官たちが喜びあう。……言葉にはしなかったが、よほどに臭かったのだろう。
◇
「薬はたくさん食べれば効能があがるものではありませんので」
「
「承知いたしました」
三つ編みにされた赤銅色の髪は
「ひっ、こ、このようなもの、わたしのような卑しい女が食べていい食事ではございません……わたしは、蒸篭の裏にひっついたもので結構です、ああぁ」
ごつんごつんと板張りに額を打ちつけだす。
「いつもいっているだろう。ここにはお前さんを差別するやからはいないよ。お前さんは
依依は泣きながら震える指で箸を取って、蕎麦を食べはじめた。はじめは遠慮がちだったが、よほどに旨かったのか、最後は頬がふくらむくらいに欲張ってほお張っていた。
(……彼女が昊族ならば、昊族の集落で暮らしていたはず。でも彼女の口振りだと日頃から差別を受けていたみたい。
髪のあいまから覗く耳には塞がりかけた傷がある。暴力でも受けていたのだろうか。
◇
食事を終えて、再度狗の診察にむかう。
「あの」
「ひぃっ、申し訳ございません!」
声を掛けただけで依依は悲鳴をあげて、縮みあがった。
「謝らないでください。朝のご飯は食べましたかと伺いたかっただけなので」
「えっ、ふぁっ、有難くも、卵を落とした粥をいただきました……」
「っと、その……
「申し訳ございません!」
依依は草地に額をつけて、謝罪する。
(うわ……やりにくい……)
急いで診察を終えて帰ろうと慧玲は硬く誓った。
「脈、熱ともに問題ありませんね。無事に解毒できたようです」
「ああぁ、よかった……」
依依は泣きながら喜ぶ。もうだいじょうぶだよと
「
「凬妃のことを慕っておられるのですね」
実をいえば、意外だった。
勝者たる
「凬様は……命の恩人なのです。あのような御方は他にはおられません。……わたしは産まれつき、髪がくすんでいて。……昊族は……ほんとうならば、もっとあざやかな紅の髪であるはずなのです」
彼女は喋りながら、暗い赤髪を握り締めた。みずからを縛りつけるいまいましい
「ですが、凬様はこの髪を褒めてくださいました。ふたつの部族をひとつにしたような髪だと。そうして、それがあるべきかたちなのだと――凬様は仰せになられました。神話によれば、山脈に根づいたふたつの部族は、もとはひとつだったのだといいます。わたしは字を勉強していないので、神話を読むことはできませんが」
頬を紅潮させ、たまに言葉をつまらせながら、依依は懸命に喋った。
「もともと、ひとつだったものは、離れ離れになっても、またいつか、かならずひとつになるはずだと――それが、凬様の望みでした」
ですが、と声が落ちた。
「
「滅んだ? 敗けた、ではなく? どういうことですか」
依依は黙った。
皇帝が昊族を制圧したというのはもっぱらの噂だったが、まさか民族浄化までおこなわれたのか。
「残ったのはわたしだけです」
「……左様でしたか」
皇帝を怨んでいますか、とは問わなかった。
「凬妃が素晴らしい人徳者であることは、私も感じています。私は
依依は嬉しそうに頷き、
「……だから、わたしは凬様には幸せになっていただきたいのです」
申し訳ございません……と最後に癖のようにつけ加えて、依依は言葉の端を結ぶ。
あるじの幸福を祈るその言葉はやけに、重かった。
唐突に日が陰った。振り仰ぐと大きな翼を拡げた鳥が、日を横ぎっていったところだった。耳慣れない鳥の声が夏の晴天になぜか、哀しく響いた。
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