17 毒を喰らい、薬と為す
後宮の
蒼々たる竹林は昼でもうす昏く、妃妾も宦官も近寄らなかった。月影を映して青ざめる竹林に橙の
彼女に与えられた
(私にとっては、馴染んだ
一陣の風が渡り、竹の葉が
「いつまで、隠れているつもりですか、風水師」
一瞬の沈黙を経て、群青の陰が破られた。
篠笹を踏んで黒絹の漢服を纏った男が現れる。
「素晴らしい宴だったね。妃嬪たちも大絶賛だったじゃないか」
「あなたには御礼をいわなければ。希少な毒を分けてくださったのですから。おかげさまで患者を助けることができました」
頭をさげれば、
「気がついていたのか」
「
彼が風水の知識を備えているのは事実だ。
だが彼の本業は、他にある。
「あなた《毒師》の暗殺者ですね」
「蔡 慧玲を殺せ――それが僕の請けた依頼だ」
察しは、ついていた。
慧玲は唇の端を硬くひき結ぶ。いまさら絶望することなど、なにひとつない、とみずからに言いきかせるように。
「暗殺ではなく、貴女が失脚して公に処刑されることが依頼者の所望だった。だから宴に毒を紛れこませたんだ。皇后や妃嬪を毒殺したとなれば史書に残る大罪人になるからね」
千年後まで汚名を被せ続けようという、凄まじい悪意を感じる。
その依頼者というのは九分九厘、
「あんたは毒を見抜いていた。それなのに告発せず、あろうことかその毒を宴の盆に載せたわけだ」
意外だったよと、彼はさも楽しげにいった。
「嬪ひとりを解毒するために妃嬪や皇后にまで、致死毒を飲ませるなんてね。まともな神経ではそんなことはできない。あんたにとっても、賭けだったはずだ」
患者に適した毒をのませ、薬と為すのはさほど難しくない。だが、健康なものに毒を投与するのは危険をともなう。
「さきほどからずいぶんと雄弁ですが、よいのですか」
暗殺者が依頼について喋るのは禁戒だろう。喉をならすように鴆は、笑った。
「いいんだよ。……死者は、秘密を洩らさないからね」
鞘から抜きはなたれた殺意が、肌に突き刺さる。
「依頼者はひどく御立腹だ。薬を毒に替えられないのならば、その命だけでも絶てといわれた」
「そう、ですか」
慧玲は鴆の腕を振りほどこうともせず、静かに睫毛をふせた。
「ずいぶんと諦めがいいんだね」
「縋りついて、媚びてみせなよ。あんたも後宮の華なんだろう」
「…………涙をこぼすくらいで助けてくれるのならば、いくらでも」
そんな誘いに乗るものかと、微笑みに棘を織りまぜて慧玲がいいかえす。
「けれど哀れみに訴えかけようが、
「違いないね。無様に命ごいなんかはじめたら、すぐに殺すつもりだったよ」
「それにしても、解せないね」
鴆は
「貴女は、薬師というには毒々しい。事実、貴女の調薬はさながら《
医は
「それの、なにが解せないの」
瞬きをひとつ、帳を解くように慧玲の瞳が透きとおった。
「毒を喰らい、薬と為す。他ならぬそれが私よ」
毒を喰うか、毒に喰われるか。
彼女が師たる母親から教わった医とは命を賭けた
「なぜ、皇后にまで致死の毒を飲ませたのか。教えてあげましょうか――おまえの毒にかならず、勝つとおもったからよ」
終始綻びなく繕われていた
だが、侮辱にたいする怒りは、一瞬だった。それを凌ぐ享楽が、
「へえ、だったら、試してみようか」
強引に顎をつかまれ、ひき寄せられた。
唇に熱のない火が燈る。
「っ……ふ」
息を奪われ、唾がまざった。
接吻をされているのだと理解して突きとばそうとするが、振りあげた腕をつかまれ、抵抗できなかった。触れあった舌に鈍い痺れがある――毒だ。
慧玲が瞳を見張ったのがさきか、鴆のほうから身を退いた。
「さあ、これはどうかな」
ずるり、ずるり……身のうちに蛇が侵入していくような身震いのする感触。腕にぞわりと紫の毒紋が浮かびあがり、慧玲は息をのむ。
絡みつく縄を想わせる紋様だ。
ただの毒ではないことはあきらかだった。
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