10 風水師は毒をほのめかす
〈風水は万象を動かす〉
昔から語られる言葉だ。
万物に影響をもたらす風水を読破し、事をなすときにそれを取り入れるというのが正確な順序である。
よって風水師は宮廷でも珍重され、最高位では
季節の宴を催す会場もまた、風水師が
現地では、大水路に張りだす宴の舞台が建設されているところだった。
水路の岸縁では雅やかな糸桜が風にそよいでいる。水鏡に綾なす
舞台のまわりには妃妾たちがいた。離れた処から舞台を仰ぎ、嬉しそうに囁きあっている。てっきり宴が待ち遠しいのかとおもったが、そうではないようだ。
「風水師さま、はやく降りてこられないかしら。もう一度御目に掛かりたいわ」
「端麗なだけではなく、敏腕の風水師なんですって。なんでも水難が続いていた土地に
妃妾はそろって、ぽうと頬を紅潮させている。
後宮は宦官を除けば男禁制なので、宮廷の
(そんなものかしらね……まあ、でもそれほど有能な風水師ならば、一度会ってみたいかも)
舞台は宴を催す
素晴らしい手腕だ。だが完璧に調えられているようにみえるからこそ、違和を感じた。
慧玲は舞台を支えている柱に寄り、木の表に触れる。
柱は全部で九本。九は縁起の
順番に木目を確かめていき、慧玲は違和感のもとにたどりついた。
(おかしい。ここだけ、逆木に組まれている)
木材に表れる模様にはかならず流れがある。材木になっても木の息吹はこの脈にそって循環を続ける。だが根があった方を真上にむけて柱を建てると循環が滞って、その家に暮らす者にも不調をきたす。いわゆる《
優れた風水師ならば、気づかないはずはない。おそらくは
(知らせておかないと。……でも、不敬にあたるだろうか)
素人の小娘がよけいなことをいっては、風水師に反感をもたれかねない。
どうするべきかと考えていると、妃妾たちの喧々たる声があがった。件の風水師が舞台から降りてきたのだ。
腹をきめて振りかえれば、見憶えのある姿があった。
「僕の予想どおり、また逢ったね」
「鴆様だったのですか」
慧玲が想わず声をあげれば、鴆はからかうようにいった。
「僕が宴の地読みをしているのがそんなに意外だったかな。
「いえ、後宮入りを許されている段階で練達の風水師であろうと……ですが、よもや春季の宴の風水を受けもっておられるとは想いませんでした。風水師にとって宴ほどに責の重い任務はございませんもの」
「祝いは、呪いに転ずる――か」
昔からの
慧玲は部外者に聴かれぬよう、声を落として喋りかけた。
「お報せしておきたいことがございます。舞台の下部、最北東に建てられた柱が逆木に組まれていたように見受けられました。後ほどご確認いただければ幸いです」
不意をつかれたように鴆が沈黙した。よけいなことをいって気分を害させただろうかという慧玲の懸念をよそに、鴆は嬉しそうに瞳をゆがめた。水鏡に毒をひと雫、落とすように瞳の表に紫が滲む。
「敏いね、貴女は」
毒々しい紫がせまる。
鴆はすれ違いざまに身をかがめて、囁きかけてきた。
「けれども、敏さは時にその身を滅ぼすよ。緩やかにまわる毒みたいにね」
慧玲が息をのんで振りかえる。
(……まさか、わざと?)
瞬時に理解する。彼は舞台の調和が崩れるよう、故意に逆木を組みいれたのだと。
だが解せない。表ざたになれば、確実に風水師としての功績に
「あなたはいったい」
「知らないほうがいいよ」
鴆は彼女の喉もとに人差し指を添えてきた。
ただ、それだけだ。されど蛇の牙が喉に喰いこんでいるように身が
「僕からもひとつ、貴女に報せておきたいことがあってね」
微笑みながら、鴆は
「貴女の死を望むものがいる――殺せるものならば、いますぐに殺したいとね」
慧玲は日頃から
「また、逢えたらいいね」
微笑を残して
(悔しい)
唇の端をひき結ぶ。
(このくらいで身が竦むなんて)
殺意など幼い頃から飽きるほどにむけられてきた。
皇帝の嫡子は絶えず、暗殺の危険にさらされる。姫であっても例外ではなく、宮廷に帰ってきたときに毒を盛られたり、旅さきで襲撃された経験もある。ゆえにいまさら殺意をむけられたくらいでは心は乱れなかった。
だが本能には抗えない。せまる死の予感に脚が強張り、喉は締まって、身動きひとつ取れなくなる。
(――せめて考えないと)
鴆はなにをたくらんでいるのか。
逆木で組まれた家に暮らすと、木の毒に蝕まれてじきに体調を崩す。だが宴に一度だけつかうくらいならば、木の毒の影響はないに等しい。皇后の暗殺等を考えているのならば、もっと確実な手段を取るはずだ。
(だとすれば、毒――ああ、そうだった)
宴にはすでに毒が差しむけられている。
毒の蜂蜜酒だ。
あれは
香りは
これは猛毒だが、即死毒ではない。毒による呼吸困難、眩暈、全身の麻痺、悪心、低体温は接種後、すぐに表れるが、呼吸不全で死に到るまでには七日程かかる。死亡までに解毒することも可能だ。だが木の毒を増強するあの舞台で飲めば、全員ひと晩で命を落とすだろう。
そうなれば疑われるのは。
(いうまでもなく、私ね)
皇后や嬪を暗殺したとなれば、大陸で最も重く、残酷なる
毒に気がついたときは、首謀者は皇后と妃嬪を暗殺して慧玲に罪を被せようとしているのだろうかと想ったが――そうではない。逆だ。敵は慧玲を殺すため、皇后と妃嬪を巻き添えにするつもりなのだ。
(なんて、猟奇じみた……)
そこまで考えて、知らず唇が綻んだ。
彼女がいまから為そうとしていることと、なにが違うだろうか。
慧玲は《毒》を告発するつもりはない。それどころか、毒であることを隠して、皇后と妃嬪にあの蜂蜜酒を飲ませようとしているのだ。
(誰かに知られて、取りあげられるわけにはいかない。だって、あの毒は)
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