4 四肢から梅の咲きこぼれる妃嬪
華の舞姫は荒んでいた。
春の宮の一郭にある
「苦いのよ! 飲んだところでどうせ治りはしないくせに!」
「で、ですが、雪梅様! こちらは医官が希少な植物の根を取り寄せ、煎じた
「要らないといっているのよ!」
雪梅嬪は喚きながら、盆を差しだす女官の腕を払い除けた。盆が傾き、急須が落ちる。割れた急須から薬湯があふれだして、
梅――そう、梅だ。
綺麗に
(さながら、花に嵐だ)
春分をすぎ、後宮の梅は散っているはずだ。
「……ああ、今度は食医なのね」
「
「承知いたしました……」
小鈴といわれた女官は雪梅嬪の機嫌をこれいじょう損ねないうちに房室を後にする。慧玲とすれ違うときに小鈴が気まずそうに
あらためて慧玲は雪梅嬪にむきあった。
(華やかな
春の宮に
「貴女が後宮の食医ね。なんでも奇しき病をたちどころに癒す薬を
「
雪梅嬪は慧玲を睨みつけ、ふんと唇をとがらせて笑った。
「
食医という肩書はあるが、慧玲はあくまでも《後宮の食医》にすぎない。
食医とは皇帝や皇后の食を司る高位の医官である。
食は体の基礎を造る。調和の取れた食は健康をもたらし、偏った食は病を招きいれる。食によって免疫を調えるのが食医の役割である。
だが皇帝のいないこの後宮で食医という役職を与えられ、さらに患者にだけ薬膳を処方している段階で矛盾があるのだ。
よって、慧玲の公式な位は妃妾の最下位たる
「ああ、陛下の姪だから、ご慈悲を賜ったのね。ほんとうならば、死刑だもの」
(……こういうときは反論するだけ、
慧玲がにこにこと黙り続けていると、雪梅嬪はひとりで毒づくのが馬鹿らしくなったのか、またひとつ嘆息してからいった。
「おおかた、女官の誰かに依頼されたのでしょう」
嬪である彼女には九名の女官がつかえている。美人に属する女官が二名であることを考えれば、如何に高位かが伺える。なお、慧玲のもとに薬の依頼にきたのはさきほどの小鈴という女官だった。
「薬が苦いと仰せでしたが」
「なによ、
「仰せのとおりでございます。舌に苦く感ずる薬は、貴女様の御身に適していないのです。舌に楽しくあらねば、薬とは申せません」
実際、漢方薬は患者に適していれば、如何に苦い植物をつかっても旨く感じるという。
雪梅嬪はふうんと瞳を細めて、ちょっとばかり気を好くする。
(もっとも)
慧玲は壊れた急須に視線をむける。
薬湯からは強い
(それでも苦いということは……薬があわないばかりではなく、他にも原因があるはず)
彼女を侵す
「まあ、いいわ。どうせ貴女にもこの病は治せぬでしょう。宮廷で最も腕のいい典医もとうに匙を投げたもの」
雪梅嬪は襦裙のすそを摘まみ、するりとたくしあげた。慧玲が息をのむ。
梅だ。
しなやかに引き締まった脚からは紅の梅が咲き群れていた。
八重の
あらためてみれば、手指の爪を飾っていたのも
異様だ。
それでいて、彼女を侵す病は――美しい。
「
雪梅嬪は強張る唇の端だけを微かに持ちあげた。死の恐怖にさらされながら、無理して気丈に振る舞っているのがわかる。
「まずは触診を。失礼致します」
木膚に侵食された肌はごつごつとしていて梅の幹の質感そのものだった。到底人の一部だとは想えない。枝に貫かれた肌には傷らしきものはないが、柔らかな肌の裏には硬い木の根が張っていた。根の脈は動脈と重なっている。あるいは動脈に根が通って、血を吸いあげて紅い梅を咲かせているのか。
慧玲の頭のなかで
「《木の毒》ですね」
「ふうん。診察するまでもないわね。そのくらい、
「さすがです。仰るとおり、地毒とは意外にも解かり易いあらわれをなすものです」
続けて脈を取る。脈には珠が転がるような拍があった。慧玲は微かに眉の端を持ちあげる。これはあることを表す脈拍だ。だとすれば、甘草を苦いと拒絶したのも頷ける。頭のなかであれこれと思考しながら、慧玲は喋り続けた。
「もっとも、ひと言に《木の毒》とはいっても、毒のもとをたどれば《木》だけが御身を害しているわけではないのです。木の根が吸いあげた《水の毒》や《土の毒》はたまた《火の毒》が絡んでいることもございます。
そうなれば、《木》に
地毒の素とは様々だ。戦死者の血の
先人は宣った。
〈治病求本――病を治するには必ず本を求む〉と。
「ゆえに毒のもとを解かねば、解毒もできかねます」
それもまた毒の
「地毒、ね。そもそも地毒とはなんなの。毒ではないものがどうして毒に転ずるのよ」
慧玲が触診していた指をとめた。意外だったからだ。
地毒や毒疫は人知の及ばぬ現象だと恐怖し、
患者にとっては、治るのか、治らないのか、だけが重要だからだ。
「失礼ながら、
慧玲は嬉しさを隠せず、瞳をつうと細めた。
「なぜに毒は毒なのか」
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