1-1 傭兵たちの王(ロニー)
白い狼亭という名のその酒場は、このオークランス王国の首都フリーデンにおいて、もっとも有名な店であった。
日々の疲れを癒すために、店内を埋め尽くす沢山の客たちが、酒を片手に騒いでいる。そんな騒がしささえも平和の証だと思いながら、店主であるロニーは、注文を受けた料理をテーブルへと運んで行った。「お、美味そうだな!」と、客である男が嬉しそうに言えば、ロニーもまた笑った。
丸テーブルが八つ程、カウンター席が十程しかないこぢんまりとしたその店が有名なのは、もちろんロニーの人柄や食事の美味さ、酒の質の良さなど様々な理由がある。こう言ってはなんだが、少々薄暗く見えても、それを上回る快適さと雰囲気で、人は集まってくるのだ。
普段は滅多に会うことが出来ないと言われている、珍しい人物でさえも。
(そういえば、最近あいつを見ねぇな)
店長として、毎日この店にいるロニーでさえも、ここふた月ほど顔を見ていないその男。ただの客の一人ではあるのだが、常連と言っても良い程度には訪れていたので、あまり顔を見なければ心配にもなるというものである。
何せ、暗い話題の多い、こんなご時世なのだから。
「どうした、ロニー! 元気ねぇな! 何かあったのか?」
カウンター席についた常連の客が言うのに、ロニーは苦笑を返す。「いや、大したことじゃあねぇんだがな」と、口を開いた時だった。
ばたんっと、一際大きな音を立てて、店の扉が開いた。
かつん、かつん、かつん、と、やけに大きく足音が響く。
「おい、あれ……」
「しっ。ルードだ……」
「傭兵王じゃねぇか。久々に見たな。今回はどこに……」
「キルナー国だろ。戦場であいつを見たことがあるか? ありゃあ……」
ひそひそ、ひそひそ。
決して静まり返ることはなく、しかし先程までの騒がしさが嘘のように消え失せる。
まるで、夜が流れ込んできたようだった。
黒く短い髪に、暗く、鈍く輝く碧い瞳。彫刻のように端正に整った顔はしかし、何の表情も浮かんでいない。
騎士にしては乱れた、しかし一介の兵士にしては値の張りそうな服装もまた、闇に溶けるような黒い色をしていて、その身に纏う雰囲気をひたすら夜闇のそれへと変えていた。
年の頃は、三十代半ばといったところか。夜の化身のようなその男は、周囲で囁かれる自分の噂話など気にも留めていない様子で、ただ真っ直ぐにカウンター席へと向かってくる。
途端に、元々カウンター席に座っていた数人が、そそくさと席を立った。店主であるロニーは、それをいつものことだとでもいうように、苦笑しながら眺めていた。
「久しぶりだな、ルード。ふた月ぶりか?」
カウンター席についた男に、ロニーはそう気軽に声をかける。すっと、その碧い目がロニーを捕らえた。その表情を動かすことなく、「ああ、そうだな」と、ルードと呼ばれた男は応じた。
「思ったより長くかかった。……いつものを」
その声は低く、平坦で。ロニーは慣れた様子で「あいよ」と返答し、すぐに用意したグラスに酒を注いだ。度数が高すぎるために誰も飲みたがらない北部の酒、ドロテーア。この男のお気に入りである。
好みに煩い客の舌も納得させられるようにと、白い狼亭にはたくさんの種類の酒が置かれていたが、度数が高くなるにつれて値段も上がるので、自然、頼む客は減っていく。このドロテーアも、三年前にルードが初めてこの店に来るまでは、埃が積もっていく一方であった。
「ほらよ。おまちどお」
ごつ、と低い音を立てながらテーブルの上にグラスを置けば、ルードはそれを手に取り、口許に寄せた。そのまま、一気にグラスを傾け、飲み干していく。ロニーが注いでいた酒瓶の銘柄に気付いたらしい客たちは、ぞっとした顔でその様子を見ていた。ドロテーアは、そのあまりの度数の高さに、命を落とす者さえいるのだから。
そんな周囲の心配を余所に、ルードは酒を呑み干すと、ドンッ、と音を立てて空のグラスをカウンターに置いた。満足したように一つ息を吐き、「もう一杯」と続く。
「おい、マジかよ……」と、驚愕したように囁く声が、どこかで聞こえた。
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