note.43 「まあ言ってしまえば、無機物性のゴキブリじゃ」

(大物が二、三と……烏合うごうの衆は既に仕留め損ねがあル。これじゃあお父さんを守り切れなイ……ここからどう動くカ……)


 マックスの攻撃の手は止まない。


 手の先、視線の先に魔物の残骸が築かれて、それを確認すればするほどに、頭の中が赤く塗りつぶされて行くようだ。完全に真っ赤になってしまった時、何が起きるのか――それは分からないが、今は守ると誓った人々の事だけを考えて四肢を振るう。


 巨大なクジラ型の魔物を感知してから、海が動いた。

 あのウミヘビ型の魔物はちょっとした敵ではあったが、しかしアーリェクの海域を支配するようなタマではなかった。

 現に、それくらいの魔物など、クジラ型魔物に率いられるようにして港に、それこそ津波のように押し寄せてきている。


 そいつらを焼き、滅し、殴りつぶし、消し飛ばし、蹴り上げては破裂させ、終わりの見えない作業となって、マックスをがんじがらめにしていた。


 その時、マックスの聴覚に引っ掛かるものがあった。

 ――否、聴覚だけではない。

 胸の奥深くに眠る、核の奥底から強烈な信号を感じ取っていた。


 マックスがそれを感じることは初めてだったが、これはホムンクルスの生まれた、根源的な事由に関わるものだ。動物でいうところの、天敵が襲ってくるという危惧感、もしくは予知能力に近いかもしれない。


(ボクは焦っていル……? いや、そんなことはなイ。数は多すぎるが、所詮しょせんはザコ。何故だろうか、ストレス値が急激に上昇している気がすル)


 それ・・はアーリェクの港の方からやって来る。マックスは高く水面から飛び上がり、その正体を見極めようとした。


「……なるほド。天使だったカ」


 黒い波の上を、純白の人が駆けてくる。

 海の上を自力で走れるような者は存在しない。

 正確には、マックスが仕留め損ねた獲物を足場にして、こちらへと己の脚で走り来る者がいる。白に裏地が臙脂えんじのマントを金色に輝かせながら、ところどころ火柱を上げて、跳ねるようにして着実にマックスの目掛けてやって来ていた。


「お前がマックスか?」


 到着したのは一つに束ねたあおい髪を湖風に揺らす、天使族。ただし、翼を持たない。


「いかにも、ボクはマックス。お父さんの付けてくれた名前を何故お前のような天使が知っていル?」

「お父さん……? 俺はキングに言われて魔物討伐に加わることにした。敵はどこだ? どれだけいる?」

「何故と聞いたんダ。答えロ」


 マックスの前腕にバチバチとエネルギーがまっていく。


「何故……と言われても、キングがそう呼んでいたからだ。それ以外は知らない」

「ならば質問を変えル。何故天使がボクの前に来タ? 死にたいのカ? ボクは今、忙しイ」

「……どういう意味だ?」


 前腕から、充填じゅうてんされたエネルギーをもって発射された弾が、海の上で炸裂さくれつした。


 上がった火柱が脳裏に焼き付いて離れない。

 殺せなかった天使がチロチロと白い残像を引きながら、目の前を飛び回るのが許せない。

 まぶたの裏に己ではない誰かの視界が重なる。だが、ちょこまかと逃げ回るこの天使は翼で飛んで逃げたりしなかった。マックスは頭の隅に違和感を残したまま、ついでに襲い来る魔物を天使の方へ蹴り返した。


「あっぶね……! 何をする!? お前はキングの言っていたマックスではないのか?」


 蹴り飛ばした魔物は中空でいくつかの残骸に破裂して消滅していった。粒子の大きな黒煙を浴びてなお、天使は何ものにも染まらぬ白い装束で雑魚魔物の上に難なく着地した。


 今や波間にうごめく黒い陰の群れ――魔物の集団は数えきれない頭数になっていた。荒々しい雨粒が弾丸のように海面を穿うがつが、魔物はむしろ喜んでいるかのようにぬらぬらと黒光りするうろこをくねらせていた。夥しい魔物がアーリェクの湾岸を目指しているのだ。


「天使ハ敵。殺ス……! ――殺スッ!!!!!」


 黒い中の白。

 生きて立つ白き人。

 マックスの命令系統が全自動的に殺戮さつりくを目的に動き始める。


 目標は、この世界を裏で牛耳ろうと暗躍する、天使族。


「待て! 俺は味方だって……クソ、聞きゃしねえっ」


 舌打ちは潮風を切るホムンクルスには届かず、海の中に散った。




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 イデオがエール・ヴィースの体に馴染なじんできた頃。


「この身体からだがエール・ヴィースのものだというのも……中身をげ替えてまで俺が任務に就くのも、お前らのためか」

「そうじゃ。その天使族の体が貴重なものであるからして、無駄には出来ん」


 倫理観ブッ壊れてるな。というのがイデオの感想である。


 イデオもサラリーマンであったため、やれ経費だやれ資材だのと、とにかく物資と金の話は問題の種になりがちなのは理解する。

 それが今回、レアな生物だとかそういったものに代入されて、そうですかならばやむなし。とはなかなか切り替えづらかった。日本人には死んだ者はどんな人間であれほとけさん、という思想もある。


「それとな、天使族の臭いを嗅ぎつけてか、活動を邪魔してくる輩がおる」


 キーロイの赤い双眸そうぼうが光った。


「邪魔をしてくる? 一応ノーアウィーンのためのしてるんだろ? 何でそんなことを」

「わしら機構がノーアウィーン世界とは違う外部の存在だと勘付いておるのかもな。それをうとましく思っとるのじゃろうて」

「はあ」

「天使族とわしら機構がグルで良からぬことをしていると誤解されとるんじゃよ」


 誤解、という言葉を使い、これ見よがしにキーロイはやれやれこまったこまった、と肩をすくめる。


 キーロイは頭が切れる。その判断に無駄は無いように見えるが(ラボが色の無い空間なのもそうだろうが)、その下には様々な意味合いでのしかばねが眠っていそうだ。イデオはきな臭さを感じていた。


 だが何の因果か、己はこちら側に転生してしまった。見て見ぬふりを、今だけは決め込もう。


「キーロイ達外部の存在に気付いているってことは、そいつらのバックにも何かがいるってことか?」

「いんや、ただの陰謀論で動いておるようじゃ」

「じゃあほうっておけば……」

「言ったじゃろうが、天使族の臭いを嗅ぎつけ邪魔をする。それはタマをりにくるってことじゃ。イデオ、お前さんもそいつらに出くわしたら気を付けろ」


 あのキーロイがそこまで言うのであれば、きっと本当に面倒くさい連中なのだろう。


「昔確かに封印したのじゃがのう……此度こたびの魔物流出とともに奴らの一部が漏れ出したとの報告も受けておる」

「で、その厄介な連中てのは何なんだ? 魔物とは別なのか?」


「うむ、ホムンクルスという。まあ言ってしまえば、無機物性のゴキブリじゃ」




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(もしかして……コイツがキーロイの言っていた、要注意の天使族の天敵、ホムンクルスなのか!?)


 イデオの驚嘆は途中で海のあわとなってしまった。

 マックスの猛攻をしのぎながら次の手を考えるが、どう考えても味方同士。やり合う必然性はない。


 それを承知してか、逃げ場のないイデオにマックスのエネルギー弾は容赦なく追撃する。

 エネルギー弾は両腕から発射された二発。イデオへの直撃は免れたが、飛び退いた先に足場に利用できそうな物は無かった。先程まで踏みつけていた魔物ごとその周辺も爆発に巻き込まれたからだ。

 敢え無くイデオは辛い海の底へ落ちた。


(何でこんな危険な奴が旭鳴あさひな達と行動を共にしてるんだ? クソ……魔物の残りカスで前が見えねえ!!)


 黒い海水が闇のカーテンレースのごとくイデオの腕に絡みつく。

 その向こうから無造作に突き入れられた二本の腕。ジャボっと空気の玉が上に帰っていき、そこから入れ違いに一対の篝火かがりびが距離を詰める。追いかけてきたマックスだ。


「天使、殺スッ!!!! 殺スッ!!!!」


 音声は水中なのに伝わって来る。殺意も。


「――がはっ……!」


 伸びてきた腕はイデオの赤いピアスを避けてくびにかかった。行き場を失った呼気は大きな玉になって海上へと逃げていく。


(魔物も近づいて来てる。だが、コイツは味方……ブチ殺して片付けるわけには――――だあッ!!! 面倒クセェっ!!!)


 イデオの脳裏に、「またいっしょにやるんだろ!?」と叫ぶキングの顔があった。

 この世界で音楽をやるには、なんとも障害が多い。


 イデオはマントに念じた――「フ・イルフォ・ル・ベグ!」


 金色に輝くマントは闇の海を照らす。それと同時に縄張りに飛び込んできた獲物をにらむ目と目があらわになる。

 しかしそれだけですくみ上がるイデオではない。雑魚の魔物は今は問題ではないし、もがいても足掻あがいてもどうしたってホムンクルスの方が腕力は強い。接吻せっぷんできるほどに近づいたマックスの瞳がギラッとひらめいた。


(これは――ヤバい……っ!)

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