note.42 「絶対に守る――音楽もな」

 どれだけの深い傷かはわからない。なるべく揺らさないようにはしたいが、気がはやるせいで大股になってしまう。


(落ち着け俺……! 出穂いでおさんを、安全に運ぶんだ。きっと大丈夫だ……!)


 空はどんどんと黒くなっていっている。雲の流れがやたらと速い。

 丘の上までの舗装された道は、滝のように雨水を下方へ流し、キングはそれに足を取られそうになりながらズボンの裾を濡らした。


「……あさ、ひな……か?」


 冷えた背中で、イデオが眠そうな声で唸る。


「出穂さん! 大丈夫か? 何があったんだ?」

「こっちは、どうなってる……?」


 キングはイデオの異常を心配しているのに、イデオはこちらでの状況を知りたがっている。己がケガをしていても、どこまでもキング達のことしか考えていないイデオに、キングは歯みした。

 逡巡しゅんじゅんしたが、現状を説明する。


「俺とリッチーは無事だ。でも、仲間になってくれたマックスが……沖の方で魔物を迎え撃ってる。今はどうなってるかわからねえ……」

「そうか……」


 それっきり、イデオは大きな息しか聞こえなくなった。苦しそうに喘いでるわけでは無さそうなので、キングは少しだけ安心した。


(出穂さん……俺達が旅が出来るように、ひとりでどこかで戦っていたんだ。それが、こんなに酷いことになるなんて……出穂さんは教えてくれなかったし、俺も想像もしなかった)


 みしめた奥歯から熱い息が漏れる。


 イデオはモルツワーバを出てからも、その前――キングと出会った時も、何も言わなかった。何も教えてくれなかった。

 まるで、それはお前キングが知るべきことではない、と言わんばかりに。


(出穂さんが俺を呼んだのに、俺は出穂さんに何も返せてねえ……っ! 俺は、出穂さんに感謝しかねえのに……)


 異世界の地、ノーアウィーン――己は何も知らない。


(俺はどうすればいいんだ!? どうすれば、みんな傷付かずに済むんだ!?)


 ギターしか持っていないボーカルは、ここで何を求められているのか――とにかく、今はこの丘を上るしかない。


「フクメさん、開けてくれ!! 俺の仲間が傷ついてる……!!」


 滞在している宿の両開きの扉はくたびれている。それを肩でこじ開けて、びしょびしょのままロビーへ転がり込んだ。

 果たして迎えたのは、フクメではなかった。この宿のおかみでもある、フクメの母親だ。


「フクメは町の方に出ていますが……」

「とにかく血を止めてくれっ!! 酷いケガなんだ!!」


 フクメの母親はイデオを見るなり真っ青になり、すぐに奥へ走って行った。

 イデオはぐんにゃりと体をロビーに横たえられて、キングの問いかけには返事をしない。


「出穂さん、大丈夫だからな……しっかりしてくれよ……っ!」


 キングは自分の呼びかけが力を失って、語尾では消えそうになるのを感じた。

 どこかで作ってきた頭のケガ、フクメの母親が取り急ぎ持ってきたタオルで押さえる。しかしタオルは真っ赤に染まるばかりだ。

 傷はきっとそれほど深くない。それよりも顔色が悪そうに見える。純白で美しい金と朱の刺繍ししゅうが入った衣装がよれているのが痛々しく思えた。


 ここで初めて、キングは本当の旅の終わりを背筋に感じた。

 モルツワーバを下山した頃に遭遇した魔物に襲われた時よりも強烈に、その実感がい登って来る。

 この旅のはじまりは、イデオがキングを呼び出したこと。そのままキングが地球に送還されれば終わっていたが、手違いで始まったような旅だった。(キングが余計な事をしたともいえるが)それからリッチーがキングの音楽を見出してくれて、ここでなら己の音楽の道がひらける気がした。せっかくだから、東京では叶わなかった自分のバンドがほしいと、マックスを誘った。

 まだまだ道の途中なのだ。

 何も成せていない。


「けどっ今はそれは、いっそどうでもいい……! このすんごいドラマーが、ここで命を落すことが避けられれば、今はどうでもいいんだツ!! 俺のことはいいんだよぅ……」


 キングの脳裏には、ただただ白い部屋で弾けと言われた時のこととか、いやいやそうでも何だかんだ全力でブラスビートを打ってくれたこととか、モルツワーバでの野外ライブのこととか――


「――……って、これしか思い出ねえじゃんっ!!!! もっと、もっと出穂さんのドラム聞きたいのにッ――!」


 キングは何故イデオに選ばれたのか、口上でしか知らない。

 きっと本当にそれがすべてなのだろうが、もっと何か無いのか。自分が勝手に期待してしまっているだけなのかもしれない。それでもキングはイデオの音楽をもっと見たいし聞きたいし、イデオに音楽を続けてほしい。


「思い出なんか関係ねえ……っ、これから何をするかだ!!!! 俺だって、日本でも、ここでも、何か成し遂げたわけじゃあねえんだ!!!! それは出穂いでおさんも同じはず……!!!!」


「おい、もういい」


 しっかりしたイデオの声。

 それからキングが当てていた頭のタオルを、ぞんざいにひっぺ返した。


「お前はさっきから声がデカいんだよ……もっと静かに出来ねえのか」

「い、出穂さんっ!!!???? だっ大丈夫なのかッ!!!???」

「だから、うるせえって言ってんだろうが」


 イデオはおろおろとのぞき込むキングを制して、止めるのも聞かずに上体を起こした。

 顔をしかめて頭の痛みを気にしているようだが、それは傷なのか、はたまたキングの大声が障ったのか。


「そりゃすまん……けど、傷は」

「気にするな」

「で、でも、光がぶぁーってなった後にぶっ倒れたじゃんか……?」

「あれは【めん】と【せいめん】の行き来をする際に起こる時空酔いみたいなもんだ。いつもはもう少し安全そうな座標を選んで移動するんだが……直接お前らのいそうな町に来て、大当たりだったな」

「酔い……」


 キングはつっかえていた息が一気に口から出た。へたり、と床につぶれる。


「もー……めっちゃ心配したじゃん……」

「しかしちゃんと生きて帰って来ただろう?」

「それは当ッたり前のクラッカーなんだよ!! またいっしょにやるんだろ!?」


 それを聞いたイデオはふっ、と笑う。

 床に寝かされていたところを胡坐あぐらに座り直した。


「ああ、そのために帰ってきた。首尾は、まあまあといったところだが」

「あー、キーロイをだますためになんちゃら……とか難しいこと言ってたよな」

「その細工はしてきた。このピアスに付いていた位置共有機能の通信を遮断したから、これでキーロイ側は簡単には俺を追うことは出来ない」

「そっか! じゃあ音楽の方に専念できるんだな!」


 イデオはキングから視線を逸らし、少しうつむくようにしてうなずいた。


「他にもいろいろと、ポータルをいじっているうちに分かったことがあるんだが……」


 イデオが眉根を寄せながらゆっくりと口を開こうとした、その時――稲光と嵐のけたたましい雨音をつれて、フクメが宿のロビーに飛び込んできた。


「た、たいへん……! 魔物、こっち……来る!」


 普段はとろとろとのんびり屋の彼女が肩で息をしている。

 服はもちろん、頭から足元までびしょびしょになっていて、体のラインがくっきりとあらわに、背中の貝はぬめりを光らせていた。その格好でキングに取りすがる。


「あ、の……ほ、本当に、魔物……倒すって……助けて、くれるって」


 こんなに素早く動けたのか、と仰け反るキングだが、フクメはこの世の終わりのような顔をしてまくしたてる。


「もちろんだ、マックスがやってくれるはずだ」


 脅えきったフクメの表情を前にして、自分たちはとんでもないことをしでかしたのではないか、という後悔がキングの脳裏に過った。


 ――もしかして、自分達のことしか考えずに、何の罪もないこの町の人たちをも危険に巻き込んだのでは?


 首を振ってその考えを外に追い払おうとするが、一度浮上した恐怖はなかなかそこを離れていかない。


(俺は……この世界の事何も知らないクセに……知らない人達を危ない目に合わせてまで、自分のエゴのためにこの先に進もうとしてるのか? リッチーの気持ちや、マックスの純粋さ、イデオさんの責任感に甘えてまで、押し通す俺にそんな価値はあるのか?)


 「旭鳴あさひな


 イデオの呼び声に、キングは我に返る。


「あ、出穂さん……?」

「俺も出よう。まだ戦える」


 イデオは純白の装束の砂埃すなぼこりを払って、立ち上がった。


「で、でもよ、マックスが……」

「俺はそいつを知らない。どれほどの力量なのか……今の戦況がどれほどなのかも、把握していない。戦力は多ければ多い方が良いだろう。リッチーは?」

「……リッチーは町の下の方で、津波の避難を促して回ってるはずだ。アーリェクの町の人みんなを、丘の上のこの宿に集めるつもりで」

「なるほどな。それはいい対策だ」


 碧い長髪を揺らして、さっさと宿の扉に手を掛けていた。


「俺が出るからには勝つ。今までも何体も魔物をほふっている。期待してていい」


 蝶番ちょうつがいが悲鳴を上げながら、真っ暗な未来へイデオを呼び込もうと口を開けた。

 せっかくイデオを運んだのに……血は止まっていても、そういう問題ではない。これ以上誰かを危険にさらしたくない。

 雨粒がロビーをも侵そうとする中、キングは叫んだ。


「そうは言っても! アブねえじゃねえか!」

「俺がお前をこの世界に連れてきたんだ。絶対に守る――音楽もな」


 イデオの背中が、大きく見えた。

 その後ろ姿が扉の向こうを歩いていってしまうのを見送りながら、キングの胸にはふつふつと熱い何かが沸き上がる。


「……ううううううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!!」


「ひ、ヒィ……いきな、り、な、……なんなんですか……?」


 突然雄叫おたけびを上げたキングに、フクメは思わずバイガイの中に引っ込んだ。


「なーんか歌いたくなっちまったぜ!! ハハハ、リッチー探しに行ってくる! ここは頼むぜ、フクメさん!」

「は、はぇ~……」


 デジャヴのような返事を嵐の中に置いて、キングは走り出した。

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