note.39 (なんとか、生きて、みんなで帰ろう……!)

(標的は五体……いや、細かいのを数えたらもっといるナ……)


 どぷん、と飛び込んだねばりつくような海は静かだ。

 しかしその実、常に何者かに観察されているのをマックスは感じ取っていた。日の光の入り込めない底の方から、邪悪な瘴気しょうきが立ち昇って来るのが目に見えるようだった。


 ホムンクルスであるマックスこと、マクスリィ・ポール・マクスレィは、酸素を必要としない構造である。水中でも十分に時間はある。


 挑発するように目の前をヒレで扇いでいったウミヘビ型の魔物、まずはそいつを片付ける。


 マックスは己の眼窩がんかに熱を集める。小さな灯のようだった瞳は徐々に光度を増し、ついには乗用車のハイビームくらいの明るさを放つようになる。にわかに照らされた海の底には、ギラギラとどす黒く濁った眼を向けていた魔物が有象無象。集積した熱を、マックスは解き放った。

 ビシュン――……ッ、とそやつらは一瞬にして蒸発してしまった。

 連中だけではなく、言葉の通り海底まで直線上にあった海水諸共が蒸発してしまったのだ。分解された水分は、海中で水素爆発を起こす。


 荒れ狂う海。

 凶悪な力に対抗するために、マックスは両の腕の表面のふたを開け、己の海流を作り上げる。その周囲だけが無風状態を保っていた。


 乱れた水流に乗じて、胴体太さ二メートルはあろうかというウミヘビ型の魔物がくねる。先が見えないくらいに長い躯体は、嵐の潮流そのもののようであった。

 先程の眼窩がんかからの熱線を逃げおおせたようだが、それにはそれなりの強さが関係しているはずだ。


(奴はここいらの海域を支配している魔物なのカ……? ならば、確実に破壊すル!)


 並みの人間五人ぐらいは束で丸呑みできるほどに大きな口。あごには鋭い歯並びが三列。引き裂くための肉を待っている。

 今まさに、それがマックスの前へと迫っていた。

 マックスは襲い掛かる魔物の軌道とずれた位置へ、腕と同じ構造の足の裏から噴射する圧で移動する。


 だが相手は海という戦場に最適な体を持っている。一度目は空振り。だがそんなもの関係なく追ってきた。


(お父さん達に被害が出てはいけなイ。なるべく海底へ向かうべキ)


 向かって上方に手の甲を向けて、五本の指で魔物を突き刺すように前へ差し出す。

 視線の先にはうねりながら昇り来るウミヘビ型の魔物だ。狙った通り、マックスは海底方面へと照準を定めることになる。


 下へ向いたてのひらへ、複雑な水流が完成していた。


(吸引……――今!)


 刹那、閃光せんこうが走る。


 次の瞬間には、魔物のタールのような黒い血潮で辺りがまるで夜になった。

 ウミヘビ型の魔物は、マックスの五本の指先から放たれた水弾に撃ち抜かれ、息絶えたのだった。


(しとめたはしたが、血液が煙幕になってしまウ。ほかの魔物が探しづらいナ……)


 マックスの目は洞窟などの暗闇には暗視で対抗できる。しかし煙幕となると、視界の奪われ方は異なるため、別の手立てを擁さねばなるまい。


(ソナー発動――!)


 音波によって敵の居場所を探る。

 大きな魔物であったウミヘビ型がやられたことにより、海に入った当初に感知していた他の魔物達はなりを潜めていた。派手に喧嘩けんかを売るような奴はもういないということだ。


(ボクの体勢が崩れなかったからか、二撃目を狙う者がいなイ……こちらから追わないとならないカ……――何だこれハ?)


 ソナーにその他雑魚とは違った別の存在が引っ掛かった。

 そいつは岸壁が迫りくるかのように巨大だ。


(これも魔物なのカ? やばイ、一度海上に戻らないと飲み込まレ……!?)


 その巨大な存在の方向から衝撃波が――否、ただの衝撃波ではない。音だ。

 超高音波が海中のすべてを押し流すように、激流を生んでいた。地形を変えてしまうほどに凄まじい水を介した圧力。


 藻屑もくずのような物から、人工的な漂流物、海の無害な生物までも、竜巻に巻き込まれたかのように一切が無力に浮き上がる。舞い上がる。

 厄介に思っていた漂う魔物の血すら、この激流の前ではまったく意に介さない。そんなものは無かったといえるほどの速さで飛び去った。一切合切が強い力で押し流されていく。


 他の魔物が襲って来なかったのは、その巨大な存在から身を隠すためだったのだ。


(流されル! 沖なのか、沿岸なのか、ワカラナイ……海上ヘ、船へ戻らなけれバ!)




 何が理由かはわからないが、マックスが真っ黒な海の中へ身を投げてから、天気は若干いでいた。

 暴風は音を立てない程度に収まり、雨は降っているものの横殴りにならなくなっただけでも、キング達の消耗を和らげた。


「あの坊主はなんなんだ!?」


 それほど叫ばなくても聞こえるのに、大声でしゃべるクセは漁師の性質なのか。ヒカレがデッキに上がって来るなりリッチーにたずねる。


「あの子死んじまうぞオ!?? 海をめンなよ!!!」


 しどろもどろにリッチーがヒカレを宥めている中、雨粒が甲板を激しく叩く音が勝手に頭の中にリズムをくれる。

 キングは船首の向こうを睨んで、ニヤッと笑った。


めてたのは、俺達の方だったみたいだな」


 海上に飛び上がったのは黒いポンチョだ。

 銀髪の特徴的な髪型は曇天の背景の中では見失ってしまいそうだが、間違いない。


「ほら、あそこ! マックスだ!」

「なにィッ!!!???」


 サメ頭を突き出してヒカレが怒鳴る。


「何で浮いてるんだ……!?」

「それはよくわかんねえけど……うわわっ!?」


 三人がマックスの無事を見止めたその時、木製の船が大きく揺れた。


「これはッ……しっかりつかまれ!! 波が来るぞオーッ!!!!」


 ヒカレは走って操舵そうだに戻る。


「……キング、マックスはまだ魔物を探してるのかな?」

「たぶんそうだろうな。ずっと水面見張ってるもんな」


 ヒカレの焦りとは対照的に、海をめた二人はのろのろとマストの方へ移動する。浮遊しながら周囲を警戒している仕草を見せるマックスを見守りつつ、無事を祈りつつ。


「マックスが出てくるまで何度か爆発したみてえな大波来てるし、なんかヤバい魔物がいるのかもよ」

「大丈夫かな……」

「大丈夫、って信じるしか今の俺達にはできねえけどな……でも、マックスならやってくれるさ」

「そんな無責任な」

「だってよ、俺の息子なんだぜ?」

「……もうそういう感じでいくことにしたの?」


 呑気のんきな会話をみ砕いてしまうように、真横から大波がヒカレの船を襲った。

 イレギュラーな大きさの波を浴びすぎて、排水が追い付いていない甲板にヒカレが大声を投げつける。


「しっかりつかまれよオーッ!!!!」


 ヒカレとは彼の自宅でリッチーの父親であるラックの昔話をしていた。

 こんなに呆気あっけなく、自分達のあずかり知らぬところで消えてしまう名前があることを嘆いていた。ヒカレは泣いていた。


 海の恐ろしさを知る男が、得体のしれない魔物に知り合いをやられて涙を流した。

 それがリッチーには心の重たくなる出来事だった。なのに、彼をその魔物の前にさらしてしまう申し訳なさを、今更ながら命の軽さと共に感じている。


(お願いだマックス――! なんとか、生きて、みんなで帰ろう……! マックスにしか頼めない……なんて無力なんだ僕は……ゴメン、マックス! ごめんなさい、ヒカレさん!)


「お、マックスが戻って来るぞ」


 キングが曇り空を指を差した。


 その先には黒ポンチョをなびかせながら、猛スピードでこちらに飛んでくる特徴的な髪型の銀髪の存在があった。

 三人は諸手を振ってマックスを船に迎えた。


「おつかれさん、マックス! 魔物は?」

「マ、マックス……!? 大丈夫!?」


 キングとリッチーは、甲板へ着地したばかりのマックスへ、ほぼ同時に各々の言葉を投げかけていた。だが、二人がようやく判断が付いた彼の顔色は、焦燥であった。


「――お父さん、逃げてくださイ……!」

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