note.38 「魔物、ぶっこわす」

 明日には、新しい町に行けるはず。

 そこでも歌を歌ってギターを鳴らして、美味うまい飯をたらふく食べしっかり布団で眠る。


 別の問題もあるが、キングには夢のような生活だ。


 なにしろ、まず歌を歌うために関係の無い労働を強いられる必要がない。日本ではそうはいかないのが現実であった。その体力と金銭的事情を差し引いて、夢の力を注ぎ足して、やっと曲作りが出来る。

 眠るためだけに帰る賃貸アパートはカビ臭く、畳は歩くとへこむ。その感触が気持ち悪いので、布団は敷きっぱなしにしておき、仕事から帰ってすぐ寝られるようにしていた。気付けばせんべいよりも薄くなっていた。そんな環境下でも東京都という基準で家賃が発生する。

 電気代が勿体もったいないので、眠い目をこすりながら昼の明るい時間に曲を書く。夜か早朝は仕事なのでその時間しかないといえばないのだが、隣や階下の住民がいない時間にこっそりギターを鳴らすのもその時間しかない。


 夢を追ってるはずなのに、どこまでもどこまでも、東京の夜を走っているだけ。進んでるのか進んでないのか、朝は来なかった。


 だけども、これからはきっとそれが変わる。未来が変わらざるを得ない。

 この音楽の無い異世界の地――ノーアウィーンで、リッチーという仲間がいて、マックスというメンバーが増えた。野暮用が終わればドラム担当の出穂いでおも帰ってくる。これだけでスリーピースバンドが組める。


 この先も、この仲間たちと、どこまでも異世界を共に行こう。

 ――そう思っていた矢先だった。


「船は出せない、って言われた」


 リッチーは沈痛な面持ちで、食堂のテーブルの木目を苦し気に見つめていた。

 もともと海を渡って王都のある本島に渡る水路を提案していたのはリッチーであった。父親の伝手つてでアーリェクに知り合いがいるから、と。


「船が出せない……ってことは陸路から行くってことか? 進路変更?」


 不穏な相棒の空気をんで、えてキングは明るい声でつとめた。


 食後の茶を出すのはフクメであった。茶というよりは、ここいらで採られたであろう海藻と茶葉のブレンドを、お湯で煮出したスープに近い物だ。ほのかにスパイシーで、体が温まる。

 だがリッチーはそれに手を着ける気分ではないらしい。


「いや……陸も危険だ。海を渡るよりもっと魔物に遭遇すると思う」


 リッチーが訪問した父親の知り合いいわく、最近になってさらに魔物が増え、大型化した。漁が出来る日も限られていて、数年もせずにアーリェクの町は消滅するだろう、ということだった。


「町ごと魔物にやられちまうってことか!?」

「声大きいって! ……そこまでは言ってなかったけど、そんな日がいつ来てもおかしくないし、その前に住人がここを離れる。今だってもうこんな有様ありさまだ」


 キングは到着したての印象を思い出していた。地元民すら歩かない中心街に、誰も泊まらないから支配人もいない閉鎖したホテル。陽が落ちた浜辺から見たアーリェクの町は、数えるほどしか窓からの明かりは見えなかった。


「でもさ、灯台は守らなきゃいけねえだろ? だから誰も居なくなるってなことは……」


 日本列島の海岸は、ある意味では国の端っこ。都心からは遠い。キングの生まれ故郷の富山県もその地域の一つだ。大切な資源と国境を守るために、誰かはいなければならない。


「灯台よりも命の方が大事だよ! 町を捨てる決断も、時には選ばなくちゃいけない……悲しいけど。それくらいこの町も瀬戸際なんだ」


 しかし返ってきた言葉のその重さに、言葉通り世界の違いを見せられただけだった。


 しばし沈黙が食堂を支配した。

 キングに次の言葉を選ぶような頭はない。進むしか己にはない。口を開く。


「なあリッチー、陸路かアーリェクからの海路か、王都に行くにはどっちかしかねえのか? ほかにもあるよな!?」

「海路を取るならアーリェクからしか考えづらいけど、陸路は実は二種類あるんだ」

「じゃあその道なら……!」


 リッチーはポケットに畳んでしまっていた地図をテーブルに広げた。


「ここが今いる半島なのはいいよね?」


 ノーアウィーン世界地図だ。

 マーキュリー王国はいくつかの他国と隣接している。しかし海を有し、複数の河川を持つ水源の豊富な国である。

 その中でも方々海を臨める半島は、キング達が立っているここだけ。国内では山脈にちなんでモルツカーン半島などと呼ばれている。


「半島から王都に行くには海路をとってショートカットするのがいちばん危険が少ないんだ。それに加えて僕にはお父さんの伝手があったからっていうのもあったんだけど」

「それで船一択、ってことだったのか」

「そうだったんだけどね、こんなことになってるとは思わなくて……。そして、もう一つの陸路っていうのが」


 リッチーが指したのは、半島と大陸の間にある海峡。つまるところ、海の上。


「え? やっぱ船?」

「ここには実は橋が架かってる。僕達モルット族が炭鉱から採取した資源を出荷する時はここを使ってるんだ」

「じゃあ……」

「でもここはお国が使う橋。何か理由が無ければ、一般人は使うことが出来ない」

「そうなの!? ケチくせえ~っ!」

「たぶん、バザールで会ったフレディア様とか、護送される盗賊みたいな人達はここを馬車で行くんじゃないかな。魔物が出現してから急造した橋なんだ。四六時中、国の兵士が橋を護衛してる。ここだけは安全な道なんだよ」

「はあ、俺達が使えないならそこは無しだな」

「うん……言いたくはないけど、万事休す、ってとこかな……」


 ここにきて、ずっと大人しく見ているだけだったマックスが身を乗り出す。


「ボク、お父さん、支えたい」

「お? ベースは王都に行かねえと作ってもらえるか分かんねえんだ。もうちょっと待ってくれよな」


 キングが苦笑すると、マックスは首を横に振った。


「魔物、困ってる?」

「魔物は、そうだな……リッチーが説明してくれた通り、海も陸も危険なんだとよ」


 ぱちくり。マックスは特徴的な闇の中の篝火かがりびの瞳でまっすぐにキングを照らした。


「ボク、お父さん、支えたい。魔物、ぶっこわす」

「まもの、ぶっこわす……え?」




 明朝は大時化おおしけであった。

 日が昇る時間帯だというのに、まるで真夜中のように暗い。


「バカヤローッ!!!! こんんんんんんんんんッな嵐の日に船出させやがってッ!!!!」


 大の男が魂からの叫びを海をめた連中に浴びせても、すぐに風と波の音が掻き消してしまう。

 

「本当に無茶言ってすみません、ヒカレさん!」

「まったくだッ!! 勇敢なラックの息子の頼みなら出すけどなアッ!!」


 少しのおしゃりでも下半身と腹に力を入れないといけないし、肩から指の先までは全力で船につかまっている。要するに全身を使って嵐の海の暴力にあらがうことを強いられていた。前方は闇。船酔いは酷い。どこかに捕まっていないと言葉通りたんぽぽの綿毛のように命が飛んで行ってしまいそうだ。


 ヒカレはサメの頭をした魚人であった。筋骨隆々、見た目も雄々しく、まさに海の男といったところである。

 だが船はというと、さほど立派でもない。キングが知っている漁船とは、似ても似つかなかった。普段は数人のムキムキ魚人が乗り込んで漁をしているそうだが、木製の船は何かがぶつかって穴でも開いたら一巻の終わりだ。しかも今は海のプロが一人しかいない。


 そんな状況の中、ヒカレがそんなことを言うもんだから、リッチーはひたすら父親に祈りをささげげることしか出来ない。マックスを守ってくれるように、と。


「ヒカレさん! 魔物を見たってのは、あとどれくらいで着きそうなんだ!?」


 キングが声を張り上げる。


「もう少し行った沖の方だアッ!」

「聞こえたかマックス!?」


 マックスだけは向かう先を見据えたまま、こくり、と頷いた。


「魔物、においする。下、ボク達、うかがってる」


 いつもの一本調子で恐ろしいことを口にする。その恐ろしさ本質が伝わったのは、耳のいいリッチーだけであった。


「マ、マックス……本当に大丈夫? 敵は海の中なんだよ?」

「リッチー、安心。ボク、助けるから」


 リッチーには不安しかなかった。

 突然マックスが自分が助けるから、自分にはできる、と言い出してからというもの、幼い頃に読んだ神話の一説が脳内をグルグル回って止まらない。今朝だってろくに眠れずに起床したくらいだ。


(ホムンクルスに下された命令オーダー……絵本では子供向けだからきちんと描かれていなかったけど、伝説上では確か――”必見そして必殺サーチ&デストロイ”……それは敵部隊に対してだったけど、それが魔物にも下されるのか、それともあるじ足らない僕達にも下されるのか……)


 私利私欲に己の手に余る力を行使した御伽噺おとぎばなしもたくさん読んだ。結末は、悲惨だ。


「リッチーばっかり、お父さん助けて、ズルい。ボクも、助ける!」

「えっ? えぇー……ズルいって、そうかなあ」


 そこまで言ってリッチーは、はた、と思い至った。昨夜にギターを聞かせた時のことだ。


(マックスは僕が電気を通してキングの演奏を支えていることがわかってるんだ……何でそこまでキングにこだわるのかはわからないけど、マックスはマックスの能力でキングを助けたい、ってことなのかな)


 そう考えれば突然だだをこねるように、自分にはできるのだと言い始めたのも頷ける。


(まだ未知数だけど、ここはマックスに賭けるか……でも、危険なのは変わらない。どうする……?)


「リッチー」


 考えにふけっていたリッチーは、大波の中ですら耳馴染みのいいキングの呼びかけで意識が戻された。


「な、なに?」

「一人で考えるなよ。何考えてんのか教えろ?」

「え、うん……いや、でも」


 マックスにとってはあまりにセンシティブな事項の気がして、言葉に出すのが躊躇ためらわれていた。


 ホムンクルスは破壊衝動がある。破壊し尽くすまで、命令を完遂するまで、行動を止めない。それが伝え聞いているホムンクルスの生態――否、生き物ではないので、構造と表した方が良いか。

 そんな自身について、マックスはどれほど理解しているのだろうか。


「おーい、リッチー?」

「あ、ごめん……その、マックスのことなんだけど」


 リッチーもそれにすがりたい気持ちはある。

 可能性があるなら。

 自分達の旅路に先があるのなら。

 キングの音楽に未来があるのなら。

 どんな手段だって、いとわない――自分達は未来が欲しい!


 その時、マックスがすくっと立ち上がった。


「オイオイ坊主ッ!! アブねえぞ!? 座ってろ!!」

「へーき、いってきます」


 魚人のヒカレがもともとギョロっとした目玉を尚更に剥いて、船の縁に立ったマックスを制止した。

 だが今や、残ったのはマックスが飛びこんだ水しぶきと、波と、風の音だけである。


「マックスーッ!!」

「キング! あんまり乗り出したら落ちちゃうよっ」

「だってマックスが……!」


 突然の別れ――否、出撃だった。


 キングは、波に消えた黒いポンチョをどうしても探してしまう。黒いだけに見つけられるはずも無いのに。

 リッチーはそんなキングの横顔を見ながら、胸騒ぎのする己に大丈夫だ、と言い聞かせるように追いかけてくる波をぎゅっと見つめた。


(ああ、お父さん……お父さん! 僕達をどうか守って! 僕達は先に進みたいだけなんだ!)


 ヒカレが船の操縦に四苦八苦している。素人でもわかる。この嵐の中だ。


「俺達は一旦いったん岸へ戻るぞオッ!! いいな!?」

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