note.26 それなのに彼らときたら。

 カレンのあまり清潔そうではない布の下の眼は、どこか遠くを見ているようだった。隣で歌うキングの方を向くことは無かったが、静かに耳を澄ませていた。


「……きれいな声ですねえ」

「えっ、それは初めて言われた。ちょっと照れるな、ウハハ」

「ええ、胸にすうっと入り込んでくるような、素敵な声ですよ」


 聞き入っていたのはカレンだけではないらしい。

 いつの間にかキング達の起こした焚火たきびの周りに、見知らぬ旅人や商人が集まって来ていた。物珍しげにキングの抱えたギターを観察している。


「なあなあ。今のニイチャンの声かい? すっごく通るねえ! あっちまで聞こえたよ」

「もう一回聞かせてくれよ! どうなってるんだ、その道具?」

「それはどこの国の道具だい? お兄さんの節をつけて唱えてたそれも同じ国の方言?」


 どドカっと、質問攻めだ。

 音楽を知らぬ商人達にも、これは魅力的なものだと認識されたのだろうか。リッチーはにんまりと笑った。


「今のは音楽というものですよ。さあさっ! もう一度聞きたいと、見たいと思う方はこちらの箱に銀貨をお願いします!」


 なんと商人相手に商売を始める。

 これにはキングも……昔の気がたぎるとうものだ。同じくにんまりと笑う。


「何でも歌うぜェ! どんな歌が聞きたい?」


「銀貨かあ……ちょっと高いなあ」

「その価値が無かったら負けてもいいから、俺の歌聞いてってくれよ」

「そうかい? それならとりあえず銅貨五枚」

「ありがとう旅人さん! キング!」

「おう!」


 キングが仕事をしていたのは主に渋谷周辺だったが、時には場所を変えてストリートライブを行っていた。新宿、池袋、下北沢、中野や北千住などなど。ギターを持って歩いては歌って演奏して、そんな日々も楽しかった。生活は苦しかったが。そういうこともあり、一見いちげんさん相手に歌うのも得意だ。


「……たくましいですねえ……魔物にやられてケガもしてるのに」


 カレンは音楽の振動を肌で感じながら独りごちた。


 ヘンケレーデン族も、もともとは剣を扱うような種族ではない。旅をするための武装だ。わざわざ弟子入りをして磨いた技術である。そこまで覚悟して百年前、何もかも失い放浪を始めたのだ。


 それなのに彼らときたら。


(悔しい気持ちもちょっとありますが、出自なんて自分で決められませんからね。でも彼らの楽しそうな旅……私とは違った旅路が続いてる。目に見えるようです。――私はここにいて、家族は水の底にいる……でもつながってるのは、愛なんですね。良いことを聞きました)


 なんと楽々に、カレンの心の底にたまったあの日の水たまりをやさしくでるのか。いとも簡単に百年前の腐り落ちそうな思い出に、さわやかな風が通り抜けて、心地よい日差しが招かれる。


(不思議な力です、オンガクというもの。世界は広いのですねえ)


 バザールの喧騒けんそうと、草原と木々の香りを吸い込んだ。遠い記憶の静かな森とは異なった香りに、遠くへ来た思いがようやくしたカレンであった。


 そうして、キングのゲリラライブは暁を迎える。




 夜明けにバザールをつ旅人は多い。

 商人は早朝から次の商売の準備をし、御者や部下に指示を飛ばす。昨晩の騒ぎとはまた違った騒々しさがキングを眠りの底から覚醒させた。


 辺りを見回して、やっぱり日本ではないな、と妙に納得する。

 何日か着たままのシャツは、今し方寝転がっていた今は消火された焚火周辺の草をくっつけている。その草の名前も知らぬ。


 水筒の水を飲んで喉をいやす。

 座りっぱなしの尻は痛むし、気は変にたかぶっているのに、キングのまぶたは落ちそうだ。地面にまんま寝ていたこともあり眠りは浅く、寝た気がしない。

 喉は強い方なので、夜通し歌っても平気だ。疲れはそこまで感じていない。忙しいのは有難い事なので、ちょっと嬉しい気持ちもある。これほど求められて歌を披露できるのであれば、毎日だって寝不足でも構わないと思える。


「これが売れっ子の厳しさってやつか――カールスモーキー石井もこんな気持ちだったんだな、わかったぜ……!」


 キングの双眸はギンギンに充血して、寝不足ゆえのハイテンションにギラギラしていた。


「キングー! 見て見て!」


 そこへゲリラライブの勘定を終えたリッチーが走って来た。

 ぷにぷにピンクの肉球の中には銅貨が手のひら一杯に乗っかっている。


「へえ、これすごいの?」

「すごいなんてもんじゃないよ!」


 どうやらリッチーは喜びの報告をしに来たのではないらしい。

 ちなみにリッチーの両目も徹夜明けで血走っていた。


「俺、こっちの世界の物価わかんねえんだけど」

「はあっ?」


 貫徹のリッチーは機嫌が悪くなるようだ。小動物みたいなあごでも舌打ちって出来るんだなあ、などとキングは余計なことを考える。


 リッチーはのんきに伸びをしてはあくびをみ殺しているキングの横に座り、ずいっと銅貨を目の前に突き出した。


「いいっ? 銅貨一枚で温かい飲み物一杯、宿とか食堂でもらおうとするとそのくらいするの」

「ふうーん、百五十円ってとこかな」

「聞いて!」


 なぜか怒られた。キングは口をつぐんでうなずく。


「大抵は銅貨十枚、宿で一部屋貸してくれる」

「素泊まりで?」

「そう。ベッドが一つあろうが二つあろうが、そのベッドが使えなくて雑魚寝になっても、銅貨十枚。ちょい低い時もあるけど。で、銅貨十枚で銀貨一枚と同等になる」

「銀貨一枚と銅貨十枚は同価値ってこと?」

「そう。通貨の価値としては。でも銀貨の方が貴重だから、銅貨十枚が必ずしも銀貨一枚と同等とは限らない」

「え!? どゆこと?」

「百年前の異変から国間の力関係が変わっているからだよ。今までと価値が同じかどうかなんて明日にはわからない」

「なるほどなあ……貨幣の価値が安定してないってことか」

「わかればいいよ。で、昨晩からキングが歌い、弾き続けた対価が――なんと」

「なんと……!?」


 銅貨百十二枚。


「っ――? よっくわかんねえェ~~~~ッ!!!!」

「つまり、銀貨を投げたくなるほどのインパクトは無かったんだよ」


 ああ、なるほど。

 キングは納得した。


「途中からまったり焚火たきび囲んで、弾き語りするだけの会になってたからなあ。後半なんかは寝てる人もいたけど、俺は子守唄歌ってた、みたいな」

「そう! 勿体もったいないんだよ……っ! だからこうしようと思う!!」


 今晩やるゲリラライブは、席料銅貨三枚。代わりに温かいハーブ湯を一杯差し上げ座っていただく。立ち見は取らないしおもてなしは無い。

 その後は一曲演奏が終わるごとに声を掛ける。次の曲を聞きたい、という声を引き出して、料金を募る。


「どう?」

「うーん……しっかりがめついなあ」

「そっかなあ? 確かに一曲終わるごとはなんというか、その場がしらける可能性もありそうとは思ったけど……」

「難しい所なんだよ、そこは。もうちょっと客層に響く選曲も見えてくればいいんだけど」

「選曲?」

「例えば、旅立ちしたばかりの人には後押しするような応援歌を歌う。失恋して人生リセットしたい人には寄り添うような曲を歌って元気づける。駆け落ちしてる二人には燃え上がるような恋愛至上主義な曲を歌う」

「そうか! お客さんとお話ししながら次の曲を決めていけば、その後のお金も弾みそうだね」

「うまくいけばな」


 リッチーはふむふむと一人で何やらをつぶやきながらそこを立ち去った。


(アイツやっぱりプロデューサーだな……)


 日は昇って少しつ。


 昨晩、一緒に盛り上がった旅人たちは未だ無事だろうか。今はどのあたりを旅しているのだろうか。

 そんなことをふとキングは考えた。なんせ、あんな凶暴な魔物が当たり前に出現するのだ。今日が命日だっておかしくはない。一期一会とはいうが、そんな悲しい出会いと別れが当たり前の世界。考えれば考えるほど、足元が崩れ落ちる感覚がするくらいの恐怖がある。


 カレンはキング達が転寝うたたねして、朝日に起こされた頃には姿が見えなかった。

 心配はしていない。

 カレンの方がどう見積もっても旅人上級者だし、世渡り慣れている。それに、ヘンケレーデンは長命と聞いた。大抵のことは大丈夫だろう。


「百年前か……俺からしたら第二次世界大戦を経験したご老人みたいな? カレンはそれでも強く生きてるんだよなあ、しかも独りで」


 キングの実家は首都圏でもないし、祖父が出兵した話はなんとなく聞いたことはあるが、最期はタバコの肺がんで病院で死んだ。キングも看取みとった。あまり激動の時代に翻弄ほんろうされた、という印象は無い。


 その時だった。

 ずうーっ……ぺた、ずうーっ……ぺた、という気味の悪い音が、聞こえてきた。こちらへ近づいてくる。


 こんな朝方に、妙な音だ。

 おかしいなあ……おかしいなあ……そう思い、キングは決死の思いで振り向く。


「戻りましたー、キングさん!」


 そこにはほぼすべて見えているカレンが水を滴らせながら立っていた。


「えええええええ!!!??? ちょっ、服着てェっ!!!!!?????」

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