2nd RELEASE
set list.5―南へ、君は
note.22 「ヘンケレーデン族の名はカレンといいます」
キングこと
生まれ育ったのは地球上にある国々の中でも、和を
戦いとは無縁なのは敗戦国だからこその
そしてこの日、キングは生まれて初めて死線を目の当たりにする。
「リッチーッ!!!!」
猛然とリッチーに襲い掛かるのは、フェンリル型の魔物。
真っ黒な巨体は弱くなってきた陽の光をすべて吸収する。立体の濃淡だけで、目の位置が確認できるが、
キングは異世界に来てからなんやかやとしていたが、魔物とは初顔合わせである。
(なんてデケエ手だ、爪だ……こんなの、小さなリッチーが喰らったらひとたまりもねェ!!!!)
リッチーはポケットに手を掛けて、
ぞっとした。
「う、ぅううううおおおおおおおおおおおッ――――――!!!!!!」
本能的な危険信号、無理矢理ねじ伏せた。
前のめりに走り込んで、転びそうになりながらリッチーの小さな体躯を魔物から奪う。魔物の爪はキングの後頭部の毛先を辛うじてかすった。茶けた毛束がわずかに舞い散る。
「っく、グゥッ……!」
倒れるように地面に肩から滑り込んだ。受け身を取れればもう少しマシな態勢で衝撃を受けずに済んだかもしれない。だが、胸に抱えたリッチーと、背中の大事なギブソンのセミアコを
「キ、キング……っ!?」
「ッつつ……リッチーにも俺をキャッチしてもらったから、これでとんとんだな……ハハっ」
リッチーにはキングが軽口をたたけるほど平気そうには見えなかった。人間は獣人ほど丈夫ではないことは知っていたから、初めて会ったモルツワーバの鉱山での自分の行いと簡単に並べてほしくなかった。
後先考えないで動いてしまうキングにイラついて、目が熱くなる。
(村から拝借した発破玉は、僕のポケットに一つ。リュックに一つ。……でもリュックの中を探してる暇はくれないだろうな)
やはり、キングは立てない。ぶつけた肩か、もしくはどこかを負傷してしまったようである。
(僕がコイツを、やるしかない……!)
シュウウウウウッと魔物の口から
リッチーは生唾を飲み込む。毛穴が締まってふわふわの毛並みがぶわわっと逆立っていた。
フェンリル型の魔物はがっしりとした四肢で、キングを背にしたリッチーの逃げ場をじりじりと失くしていく。
ここは平野。まれに隆起した岩が見えるだけで、隠れられそうな場所はどこにもない。直線距離で逃げを打とうものなら、猫が太ったネズミを狩るよりも容易にリッチーは捕まってしまうだろう。
(僕の放電じゃあたぶん気絶もさせられない。二つしかない発破玉を、まさかモルツワーバを下りてすぐ使うことになるなんて……いや、生きてないと意味がない! 今使うんだ!)
発破玉なら岩壁を爆破で吹き飛ばすほどの威力が期待できる。リッチーから放出するただの電撃よりも破壊力は確実に増す。だから、今投げる。
そう頭では分かっていても、震える手が、脚が、失敗ばかりを脳裏に呼び起こさせる。
仕事中にも何度かはずしたことはあった。発破玉目掛けて、必要な分の爆破を起こすための電撃を流す。
この危機的状況で、もしはずしたならば――――
(お父さん! お母さん! 僕を助けて――)
リッチーは祈るような気持ちでぎゅっと目を
真っ暗な視界の中、長い耳に届いたのは涼やかな女性の声。
「助太刀いたします。そこを動かないでください」
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『謀反か?』
「そうともいうかな」
まるで古代神殿のような石造りの台座と柱。崩れかけで
そのような場所で、イデオは夏休みの少年が祖母の家でだらけるように
『後悔することになるぞ、イデオ。お前さんは自分が思っているよりも、はるかに弱い』
そんなことは百も承知である。
だからイデオはノーアウィーンの不法地帯ともいえる【
『お前さんの武器は何だ? マントか? 天使族の特有能力か? すべてわしの手の入ったものじゃのう。マントはわしが作り、魔物討伐のために持たせたものじゃ。天使族の特有能力は……はて、なんじゃったか? まあしかし、エール・ヴィースは死んだ。エール・ヴィースという天使はもうこの世にはおらんのだ。特有能力も消えとるわ』
「飼い犬に
イデオはクスリと小さく笑いを漏らすと、ポータルに最後のコードを書き終えた。
「何故俺がわざわざお前に通話を入れたと思う、キーロイ?」
イデオは【負の面】のポータルにアクセスすることが出来る。そのための方法とアイテムを、転生させられた際にマントと同じくキーロイに与えられていたからである。
【負の面】の正体とは、【《せい》正の
イデオが呼ぶポータルとはいわば、ノーアウィーンの生態系から地形から有象様々を書き換えることが出来る、マザーシステムに介入できる聖域であった。
以前はポータルを使って、ノーアウィーンの狂ってしまったシステムを修復していた。
だが、今回は違う。
「俺は今ポータルにいる」
『……そんなことはピアスの位置を追えばわかる。何をするつもりだ?』
「悪用はしない。でもポータルのキーは返さない。ただ、俺達の位置を隠させてもらう」
『宣戦布告と取っていいのじゃな?』
「俺はお前ほどこの世界の治安に興味も無いし、執着も無い。だが――守るべき音楽がある。そのために、お前を邪魔する」
通話口は沈黙している。けれども、イデオには赤く揺れるピアスの向こうでキーロイが何をしているのか想像がついた。
(俺を始末する
『今し方、救済者エール・ヴィースの体を破壊する許可が下りた。非常に残念じゃ、イデオ』
「ああ、俺も残念だよ……中間管理職の裁量の無さにはな。俺もサラリーマンだったから、気持ちはわかる」
イデオは白い部屋に出現したボタンにも似た、中空に浮かぶ半透明の文字列を指でなぞった。文字列は碧色に輝きだす。
これは、コンパイルの開始。
「さよならだ、キーロイ」
ピアスの向こうから、プツッと何かがちぎれた音がした。
「……本当に、残念だ。どうして俺の上司にあたるやつはみんなこうなんだろうな。異世界でもかよ」
舌打ちして、イデオは立ち上がる。
繰り返すが、ポータルは聖域だ。
魔物は入れない。
たとえポータルを覆うバリア一枚の向こう側に
「さて、【正の面】まで戻るには――どれだけの
純白のマントを翻し、イデオはバリアの外へ足を踏み出した。
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リッチーは目を閉じている間に、一体何が起きたのか理解できなかった。
既にフェンリル型の真っ黒な魔物は、タールのような血をだくだくに流して首を落としていたのだ。
(人型の女性だ、耳が長くて
先程の涼やかな声の主と思われる背中は高く、ブロンドの髪は短い。その後頭部からは細い布が風そのもののように
旅人だろうとは思えるほどに荷は軽そうだが、それよりも際立って目立つのはリッチーよりも大きな大きな剣。
「き、君は、誰……? 助太刀って……」
先に礼を言うべきだったと気付いたが、気が動転して疑問ばかりが先走った。
しかしそんな様子のリッチーにも、彼女は美しい形をした薄紅の唇で微笑みかけた。
「自己紹介しましょうね。私は、百年前の異変で故郷を失った森の民――ヘンケレーデン族の名はカレンといいます」
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