note.16 新しい世界が始まる香りがした。

「なんだって急にそんなことを言い出したんだ?」

「ちょっと確認したいことがあってな」


 迷惑そうにしているものの、結局エール・ヴィースは雫型ピアスを揺らしてドラムセットを取り出した。ブラストビートを披露してくれるらしい。キングは「ツーバスになってる!」とドラムセットを見て回っては喜び、エール・ヴィースを急かしていた。


「ねえねえ、ってなあに?」


 リッチーだけはきょとんとした顔で、二人の動きを物珍しそうに眺めている。

 音楽や歌については理解が深まって来たのだが、楽器というものをまだよく分っていないリッチーはそもそもドラムが何かも知らない。当然、ブラストビートが奏法を指すことも。

 エール・ヴィースはスネアの向こう側にやっと見えるつぶらな瞳に、スティックを持って説明する。


「ブラストビートっていうのはバスドラムとスネアドラムを交互に高速でたたく。かなり大きい音も出るから、リッチーは少し離れていた方がいい」

「そうなの? ちょっと怖いな……僕、そのドラムっていうの、初めて見るんだけど、キングのギターよりも大きいし、何かいっぱいあるんだね。電気どれくらい使うの?」

「これは電気を必要としない。こういった専用のスティックでたたいて演奏するんだ」


 リッチーとキングは言われた通り少し下がり、エール・ヴィースはスツールに着いた。

 だが、何故なぜかキングはじとっとした目で口をとがらせている。


「……リッチーとイデオさん、仲良くなった?」

「さあな。はじめていいか?」

「おう、おなしゃす!」


 キングがゴーを出すが早いか――猛烈な速さの打音が広場に響き渡った。


 ヘヴィメタルから派生して生まれたこのビート。相当の技術と正確さ、あとは単純に体力や筋力、気力。フィジカルもメンタルもすべて技術に入っている。

 鳴り続ける音は、地鳴りかいかづちか。途方もないプレッシャーを聴衆に与えた。


(な、なんて音だ……! これも音楽なの!? キングが聞かせてくれたものとは全然違う!!)


 リッチーは発破玉はっぱだまを連続で何発も爆破させたような衝撃を受けていた。心臓を直接殴られるような、胃が口から飛び出そうと跳ねているような、初めての感覚。その場から動くことも出来ない。でも、そのパフォーマンスから目をそらすことも出来ない。


 すっかりビビってしまっているリッチーに対して、まったくそんな素振そぶりもないキングはエール・ヴィースをじっと注視している。ただ眺めているわけではなく、手元、足元、彼の目線、頭の向き、呼吸のタイミングに至るまでをつぶさに観察し、何かを考えているようだった。


「……やっぱりな」

「えっ? なんか言ったキング!?」


 さすがのリッチーの耳も、機関銃のごとき音の嵐と同時に、他人が何と呟いたかまでは聞き取れなかった。キングの顔を見上げたが、眼差まなざしは変わらずそのビートに向けられたまま。

 そもそもドラムのしの突く雨の中、リッチーの問いかけはハチの巣になってしまってキングにも聞こえていないようでもあった。


 エール・ヴィースはというと、涼しい顔で腕と足を動かし続けている。偶に別のリズムが挟まり、それがただの連続性のある作業でないことを知らしめる。


 何本も腕の生えたとどろきの鬼神――。


 残像や、気迫から見せられる幻想であるのはわかっていた。それでもリッチーはそう思わざるを得なかったし、心を奪われた。


 次第にテンポが緩められ、一曲のドラム演奏として終演を迎える。

 やはり表情が読み取りにくいエール・ヴィースの顔には、うっすら汗がにじんでいた。前髪を雑に手の甲で持ちあげて額をさらし、クールダウンをしている。


「イデオさんやっぱすげえーよ! 何でも出来るんだな!」


 キングは嬉しそうに拍手を送る。リッチーも真似て肉球をぽふぽふとたたいて賛辞を贈った。


「それだけのためにやらせたのか。殺すぞ」

「物騒!」


(フフフっ、キングもエール・ヴィースと仲良しじゃないか。……あれ、でも今、エール・ヴィースのこと『イデオさん』って呼んでた?)


 だが、今朝聞いた「キング」という呼び名の由来を思い出し、リッチーはあまり深くは考えなかった。エール・ヴィースではない呼び名が、きっと彼にもあるのだろう。


「キング! 僕たちも音出そうよ!」

「おっ、いいな! 待ってました!」

「の、前に、報告なんだけど……」


 リッチーは忘れるところだった、とキングに近寄ると、キングはすっかり忘れた顔をしていた。


「え? ……ああ! どうだった? どれくらい来てくれそうなんだ……!?」


 思い出してくれたようだ。どうにもギターをいざ弾く、という時、キングは気がそぞろになってしまう。

 ギターボーカルとドラムのみのシンプルなステージセットが完了し、キングとエール・ヴィースが固唾かたずをのむ中、ようやくリッチーが首尾を発表した。


「すごいことになったよ! 親方が村長と直々に話し合いをして、一族みんな来てくれそうなんだ!」

「一族みんな!? みんなって、みんな!!??」

「うんっ! 昨晩のキングの歌を親方が気に入ったみたいなんだ。それで村長にまで掛け合ってくれるって」

「本当かよそりゃあっ!! ありがてえなあー!!」


 ワンコーラスも歌えなかった悔しさ。キングにとっては、反省しきりの黒歴史に収録待ったなしのあの突貫ステージも、無駄ではなかった。思わず天に向かってガッツポーズをきめた。


「ほらっ、イデオさん! やっぱりアンタはチャンスをくれたんだよ! 俺マジで今超嬉しい!!!!」


 複雑そうな表情を浮かべていたエール・ヴィースだったが、子供のように跳び上がって喜んでいるキングに、ついクス、と笑いを漏らす。


「で、いつはじめる!? いつみんなは来るんだ!?」


 テンション爆上がりキングに迫られて、リッチーはたじろいだ。


「お、親方と村長のかたがついたらみんな来るとは思うけど……具体的な時間は決まってないかな」

「……それは少々困るな」

「そうなの?」

「ライブは今日中の開催のつもりだ。それは親方も承知しているのだろうが……」


 時間が無い。


 キーロイに抹殺されるかもしれない危惧をリッチーにつまびらかにすることは、いたずらに恐怖を与えるだろうし、事の混乱を招きかねない。しかもその事情がモルット全体に知られるとなると、より事態は大きくなり収拾はややこしくなる。


「あ、あの僕、みんなに早く来るように言って来た方がいいかな……?」


 二人の雰囲気を察したリッチーは今にも駆け出しそうに慌てる。

 だが、キングの顔色はケロッとしていた。


「うん、別にいいじゃん? こっから爆音ステージやれば!」

「は……?」

「日本だったら路上でそんなことやったらしょっぴかれるけど、こっちなら怒る人もいないだろ。やってみたかったんだよなあ、山の上でライブ! 空気も澄んでるし、めっちゃ響きそうじゃね? 絶対楽しいって!」


 何故コイツはいつも頭の中がお花畑……もとい、いかに自分が楽しく音楽をするかしか考えていないのか。

 エール・ヴィースはこめかみを押さえた。


「あっ、それなら演奏してるのみんなにも聞こえるかも! モルットは耳が良いからね」

「決まりだな! さっそくやろうぜ、イデオさん!」

「……やれと言われればやるが」

「よっしゃ! ほら、やろうやろう!」


 各々の位置に着く。


 エール・ヴィースはドラムセットに囲まれて。

 リッチーはキングの程近くにプラグを持って。

 キングはステージの真ん中に空を仰いで。


 目の前には一面、緑の客席。

 健やかでいて、無垢むくな空気。

 胸いっぱいに吸うと、新しい世界が始まる香りがした。


 キングは振り返り、八重歯を見せてにっと笑いかける。


「そうそう、イデオさん。アンタは――兼業ドラマーの葛生出穂かつき いでおさん、だろ?」

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