note.15 エール・ヴィースの身体は宙を疾駆する。
主催者はまだ来ない。
エール・ヴィースはドラムセットの位置取りも終わらせ、草原の中、勝手に音出しを始めていた。
チッチッチ……と鳴らす閉じたハイハットから起点に、ボサノヴァ風のリズムが生まれていく。ドラムにギターのような音階を奏でることは出来ないが、リズムを違う音で重ねていくことで、それは明確に音楽といえた。
キングの方はというと、リッチーがいないと音出しも出来ない。完全に手持無沙汰というポーズで芝生にゴロゴロしている。
バイトの掛け持ち、金欠、異世界に転送、そしてキーロイの騒動。いろんなことが一気にやって来たが、やっとライブらしいことができるという楽しみだけで口元がニヤついてくるから、自分のことながら単純だと思う。今の時間がここ最近でいちばん暇だが、いちばんワクワクしていた。
「なあなあ、イデオさんはどのくらい
思うところあって、そこのドラマーに雑談を持ちかける。
「そうだな……ドラムをやろうと思ったのは二十年前くらいだ」
「結構長いことやってんだ」
「それなりにな」
スティックが絡まりもせずにあっちへこっちへ行くのは見ていて楽しい。
「バンド経験は?」
「始めたばかりの頃は誘われたこともあったが、ソロの方が長い」
へー、などと
何ともなしにあぐらをかいて肘を突き、キングはエール・ヴィースの演奏をじっと見ている。
ボサノヴァが止まる様子はないが。
「……さっきからなんなんだ?」
「邪魔したかったわけじゃねえんけどさ、いろいろ考えてたんだよ」
「は?」
そこへ――林のざわめきの間から高い声が聞こえた。
キングとエール・ヴィースの会話の隙間をすり抜けていくように。
「この声……リッチー!?」
シュッと空を切る音が聞こえたかと思うと、ドラムセットは消え、純白のマントをはためかせたエール・ヴィースが既に走り出していた。
「あっ、どこ行くんだよ!?」
「お前はここにいろ! 足手まといだ」
キングはその言葉を
(まさか、リッチーが魔物に……!?)
自分達も通って来た集落と広場を
徐々に濃くなっている、独特のどす黒い
「――エール・ヴィース! 助けてっ」
「……! リッチーか!?」
広場から数十メートル下りた小径だった。
リッチーは耳が良い。エール・ヴィースが肉眼でリッチーを見つけるより先に、足音で助っ人を聞き分けたのだ。
「こっち! うえ!」
「上……!?」
空が見通せない程に伸ばされた枝、枝、枝――――天然の緑の天幕の間に、真っ黒な影が飛び去って行くのを見つけた。
「魔物、ハーピィ型か!? リッチーが捕まっている!」
鳥のような翼を持ち、太い足、鋭い爪が凶悪さを放つ。
ハーピィといえば上半身は人間の女性の姿をしているものだ。この魔物の場合、上半身は立ち昇る真っ黒な煙で、途中から景色に溶け込んでいる体長二メートルと見た。
(獲物は空中、人質在り……面倒だな)
エール・ヴィースは舌打ち紛れに純白のマントを翻す。
「フ・イルフォ・ル・ベグ!」
カッと
「フ・イルフォ・タン・プロジェ!」
フラッグのように振った布地から火炎が噴射された。
その推進力を利用し、エール・ヴィースの
「エール・ヴィース……っ!」
リッチーは
しかしそれは戦闘能力のない者に限っての話だ。
(俺が今までにどれだけてめえの
魔物の方はエール・ヴィースが追っていることに勘づいてはいたが、意外なことに入り組んだ枝葉の間をすり抜けられる小回りを持っていた。そうなると、
エール・ヴィースは太めの幹から幹へ飛び移り、冷静かつ慎重に間合いを詰めていく。
(ヤツには首が無い。どこを見ているかわからない分、前へ回り込むことはしない方が良さそうだ)
狙いは定まった。
足場にしていた太い幹を思いきり蹴って、緑の中へ跳ぶ。日の光が届きにくい林の中で黄金に輝くマントは火炎を噴射して、一気に魔物の背後までイデオを連れて行く。
狙っていたのは魔物の尾羽。伸ばした腕でぐっと
「え、えーる・う゛ぃーすぅ~~~~~~~~……」
リッチーはまるで
やっと同じ目の高さにまでやって来たエール・ヴィースに対しての
「泣くなリッチー、すぐ助ける」
「うんっ……」
片手でぶら下がっていたところを、遠心の力をつけて黒々とした背に乗る。
上半身は実体の無さそうな煙のクセに、羽はしっとりとして鳥そのものに近かった。
エール・ヴィースは振り落とされないように魔物の固いその羽根の根元をしっかりと握った。
「ブレ・ジスド!」
主の言葉は、従順な純白のマントの姿を変えさせた。
軽やかだった質感は、勢いよく魔物の片翼に振り下ろされた刹那――炎刀の如き硬度をもった火と
鋭い切っ先と
「お、落ち……っ!?」
「
真っ青になっていたリッチーだったが、魔物の背中の上から伸ばしたエール・ヴィースの腕が回収する。衣服を引っ
とどめに小さな太陽を模したような火炎球を魔物にぶつける。鮮やかなエール・ヴィースの
「こ、怖かったぁ~……」
もしリッチーが軟体のスライムか何かなら、ベチャっと音を立てて地面に張り付いてしまっていただろう。降ろしてあげたら両手を地面に突いて動かなくなってしまった。土に穴の中で生活するモルット族だ。文字通り地に足の付かない立場はさぞかし恐ろしかっただろう。
「すごいよエール・ヴィース、魔物倒しちゃうんだ! 放電の力が強いモルットでも気絶させるのがやっとなのに……。僕、高いところ苦手で……助けてくれてありがとう」
やっと顔を上げたリッチーにエール・ヴィースが手を差し出す。
「そうか。間に合ってよかった」
その手を小さくふわふわの手が握りしめた。
誇張なく抜けていた腰は力強く引っ張り上げられて、立ち上がることを
「……今朝は
「気にしてない。人と人が信頼し合うまでは時間がかかるものだ。誤解があるなら尚更」
幸い、擦り傷程度のケガで済んでいた。
二人はライブが予定通りにできそうだと確認すると、残してきたキングの元へ山道を急ぎ目に引き返した。きっとキングは独りで二人の無事に気を揉んで待っているだろう。
と、思ったのだが――。
「――――うわ、信じられない……僕が死にそうな思いしてる間に、キング寝てたの?」
広場の草原の真ん中で大の字になって寝ている大きめな人影は、腹立ちまぎれのリッチーによる
「……んあ、おかえり」
「おかえりじゃないよっもうー!!!!」
「何か一人になったら、急に気が抜けたって言うか……眠くなっちゃってさ……ふわぁー」
リッチーはぷりぷり怒っていたが、無理もない。
キングは渋谷からこちらへ来て、いろいろな事が起こりすぎてろくに床についていないのだ。それどころか、渋谷で仕事に入る前にも早朝でガテン仕事をこなしていた。
(ひとりで寝ていただと……?
エール・ヴィースが物思いに
「……今度は何だ?」
「あのさ、ブラストビートやってくんない?」
「……………………先程まで魔物と命のやり取りして危機にさらされていたリッチーを奪還して急斜面の山道を再度往復してきた人に言うことがそれか? 死ね」
冷たい視線を浴びて、キングは「ひどい!」と叫んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます