note.14 「俺ァ、オンガクってのはイイと思ったけどな」

「らいぶ、だあ……?」


 リッチーはごくり、とつばを飲み込んだ。


「そうです、キングのライブにみんなで来てほしいんです」

「……あの人間か? 何をそそのかされた?」

「僕の意志です」

「モルットの仕事を知らない奴の話を聞くこたねェ。さっさと現場行くぞ」

「いいえ! 今日は、鉱山には行かない……キングと、エール・ヴィースと広場でライブをやるんです!」


 男性は、それこそ理解不能といった表情でリッチーをまじまじと見つめた。


「お前、リッチー……そんな強情な奴だったか? とにかく、〈今日の出荷分が終わらなければ〉明日も……」

「わかってます。毎日毎日、そう聞かされてきました」

「当たり前だ。お前の父親のラックだって、命を賭してまで俺達の仕事をつないでくれた。その意味はリッチーにもわかるだろう?」


 ヒュッと心臓が縮んだ心地がした。


(そうだ、お父さんは村のみんなのために発破玉はっぱだまを残した……でもそれは、毎日毎日仕事をする人生でモルットをがんじがらめにするためじゃない!)


 父親の名前を聞いて一瞬だけひるんだリッチーだったが、細く息を吐いて胸を落ち着ける。


「俺達はラックの意志を継いで……」

「お父さんの命をつないで、僕達は幸せにならないといけない」


 男性はぎくっとリッチーの顔を注視した。

 いつもは穏やかな風の吹く新緑のようなつぶらな瞳に、父親の面影を見た気がしたのだ。


「チッ……ラックは非力なクセにいっとう危険なところに行こうとする。いっつもいっつも……命知らずなんだよ! 本当に頭のイイ奴が、そんなことしねえだろうがッ」

「ちょっとあなた! リッチーくんに何てこと言うのよっ!」


 苛立たし気に破れた耳をガシガシとく男性が吐いた言葉と横柄な態度に、子供を抱いた女性はリッチーをかばった。


「ラックの嫁のラリーだってそうだ。飢饉ききんの食糧難もみんなでひもじいながらも支え合ってりゃ良かったんだ! 毒だって分かってる花をわざわざ食べるなんざ」

「でもラリーさんもご自分の小さなリッチーくんのために、未来をつなげるためにしたことよ。毒性のあるクォルタンの花の無毒化の研究を自分の身体で試験したのだって……!」


 女性は己の腕の中でうとうとと舟をぎ始めた子供の耳をふさぐ。


「だから言ってるんだ! アイツらは――」


 突然の両親の言われように、リッチーは頭の中まで石になってしまった気分になった。憤りのような強い感情ではなく、漫然としたもっと薄暗いものが胸を覆っている。


(お父さんが生きて帰らなかったから? ただでさえ少なくなってしまった炭鉱夫の穴を開けてまで旅に出たから? 危険だって止められたのに行ってしまったから? だから残された仲間は怒ってるの……?)


 自問自答に近いそれは、リッチーが父親を想って涙が出るまでに考え尽くした事でもあった。じわじわと奥底からよみがる。


「やめんかァッ!」


 頭も体も石化してしまっていたリッチーの意識を割ったのは、厳しく硬質な声。


「リッチーィの両親は『モルットの賢き者』。時代のとうとい犠牲にはなってしまったが、俺は彼らの行動に誇りを抱いているッ!」

「お、親方……!」


 リッチーの跳ねた頭の毛をくしゃくしゃとき混ぜて、親方は男性の前に出た。


「だけどよ、親方! ラックが作ってくれた道具を整備したり使ったりする度に、奴の顔が浮かんでくるんだ……クォルタンを飲めば、今度はラリーの声を思い出す。俺、苦しくなるんだよ! どうして俺を苦しめるんだ馬鹿野郎って、思っちまう! どうせなら生きて、この村で一緒に俺達と苦しめばよかったんだ! それだったら俺の方が頑丈だから……っ」

「……そうだな。お前の言うことは分かる。けども、それをリッチーィの前で口にするお前も大馬鹿野郎だッ」


 親方に叱責しっせきされた男性は屈強な背中を丸めて肩だけで泣いていた。彼の奥さんである女性も、寝息を立てる子供を強く抱きしめていた。


(ああ……みんなも前に進みたかったんだ。でも僕のお父さんお母さんへの気持ちが足を止めさせていたんだ。亡霊のように……)


 十五の少年は大人達をぼんやりと眺める。涙の出ない自分と照らし合わせながら。


(両親を亡くした僕にも、みんなは普段通りに接してくれた。その陰で、こんなに強い大人も泣いていたんだ……それを僕は――理解しないで、モルツワイドの表札をかかげて暮らして、大馬鹿野郎は僕の方だ……!)


「リッチーィ、勘違いするなよ」


 投げかけられた声に、リッチーは奥歯をみしめていたことを自覚した。こめかみがギリギリと万力に閉められてるかのように痛む。


「それはお前だけのもんじゃねえ、モルットみんなのもんだ。発破玉も、クォルタンも、この悲しみも後悔も、全部全部ラックとラリーが遺してくれた。モルットみんなのために」

「そう、ですね……」


 自らの生み出した黒い渦。見るだけならいい。身を投げるのは過去に戻るだけだ。

 顔を上げたリッチーが感じたのは、両親がリッチーのためだけに遺してくれた宿題である。


(お父さん、お母さん……やっぱり、僕はその答えを音楽だと思うよ)


「すまなかったな、リッチー……俺も仕事仲間も、そんなラックが大好きだったんだ」

「僕もお父さん、大好きでした。まだ小さかったし、覚えてることも思い出も少ないけど、みんなの中や作ってくれた道具の中にも、お父さんはいるんだなって……分かりました」


 男性は小さく鼻をすすって、眩しそうに笑った。


「それに、ラリーは心優しく料理上手な女性だった。あの人が飲む点滴と言われるクォルタンのレシピを作ったの、なんかわかるよ」

「フン、うちじゃあかみさんが医者だからな。体にいいから飲め飲めって、毎日出されるわ」

「はははっ、親方長生きしちゃいますね」

「たわけ! まだ若いもんには負けんわッ!」


 仕事前の朝に、こんなに朗らかに笑う大人たちをリッチーは見たことがなかった。なんだか夢みたいな光景にボケっとしてしまう。


「リッチーくん、なんだか変わったわね」


 すると、寝た子供を起こさないようにこそこそとリッチーに話しかけてきた。女性も、何故なぜだか嬉しそうに微笑ほほえんでいた。


「え? そ、そうですか?」

「そうよ。ご両親――ラックさんもラリーさんもちっちゃな頃亡くしてしまって、前はもっと暗かったじゃない?」

「あー……あはは、ご心配をおかけしまして……」


 そうだった。

 あの頃は己のすべてを失ったも同然で、村長の恩情でそのまま両親の家に住んでよいと言われても、むしろ悲しみの方が勝っていた。


(今の僕は、昔とは違う――キングと、音楽と、出会ったから)


 リッチーは男声と談笑する親方の方へ、意を決して歩み寄った。

 気付けば耳が良く、新しい情報に飢えている他の住民達が、昨晩のようにこちらを自宅ドアからちらちらとうかがっていた。


「親方!」


 もじゃもじゃグレージュの毛並みが振り返る。表情は分からない。


「もう一度、音楽を聞いてくれませんか? 昨日は途中までだったけど、今日のキングはもっと良い歌を見せてくれます! キングの音楽、親方にも改めて聞いてほしいんです!」


 リッチーは長い耳が地面につくくらいに頭を下げた。


「お願いします……!!!!」


「キングってのは……あー、あの人間か。アイツめ、まだ村にいたのか」

「キングは悪い奴じゃないですっ。モルットのみんなを元気にしたいって言ってました。僕もキングと同じ――みんなに、元気になってほしい。お父さんとお母さんの話をここで聞いてて、もっと強く思いました。悲しいことも苦しい想いも、消えて無くなったりはしないけど……それでいいんだって、キングの歌に言われた気がしたんです」


 野外ライブをやる本当の理由を、リッチーは知らない。

 知ったらきっと、キングとエール・ヴィースと同様に、純粋なノーアウィーン世界の住人ではなくなってしまうだろう。巻き込みたくない気持ちが二人の口を固くさせたのだ。


「音楽は確かに、みんなの生活に直接何かを与えるものではないです。でも、未来を変える……! これだけは言えるんです――音楽のある人生を獲得することで、やけっぱちでも、まやかしでも、気休めでもない、希望を明日に見出すための力を作り出せるようになる! 食べ物みたいに一度食べたら消えてしまったりしない。だってずっと残り続けるんだ……心の中に!」


 しかし、リッチーは心からキングを信じている。

 友達だから。

 原動力は、音楽。


「未来を、希望に変えるなら――キングのライブに来てください!」


 一気に己の中にあった想いを吐き尽くす。酸欠で息が細切れになるが、同時に緊張で、無意識のうちに口を真一文字に結んでいたので、目がじわっと熱を帯びる。

 それでもリッチーは頭を上げたりするわけにはいかなかった。


「フーッ……なんだリッチーィ、そんな大きな声が出せるようになったのか。弁え過ぎた若者なんかつまらねえからなあ。ま、村長に掛け合ってみるか」


 ここまで一切口を挟まずに耳を傾けていた親方は、意外にあっさりとその旨を了承した。


「は、え!? 親方が、村長に……!?」

「仕事休むなら一言入れなきゃならんだろうが!」


 驚きと混乱と戸惑いで、リッチーのヒゲが起こした上体と一緒に天井へピンと伸びた。


 モルット族産業の総監督者である親方が、モルット族を束ねる指揮者である村長と直々に話すということは、一族では大変な出来事なのだ。その際は、決まって大きな判断が下される。


「その、親方……? い、いいんですか?」

「いいかどうかは村長が決める。……俺ァ、オンガクってのはイイと思ったけどな」


 リッチーが衝撃で硬直しているうちに、親方はそこにいた(様子をこそこそうかがっていた者含めた)モルットに「待機」を言い渡し、それを集落全体に周知するよう告げた。それから悠々と集落の出口に向かって歩いていってしまった。


 ふくふく、とリッチーのノーズパッドがうごめく。


(や、やった――! これ、僕が動かしたんだ! 親方がみんなを野外ライブに連れてきてくれるってことだよね!? スゴイことになっちゃった。早くキングとエール・ヴィースに報告に行こう!)


 モルットの集落は空前絶後の興奮に包まれていた。

 人々の止まないざわめきの中、リッチーは走り出した。

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