八月のepilogue
白日夢。
退勤ラッシュ前の下り列車。まだ日は高く、空は青い。ひんやり涼しい車内には蝉の声はもう聴こえない。
「……ハァ」
久々に定時勤務で帰れたものの、残業続きで私はくたくただった。
連日、態度の悪い取引相手に笑顔を作って
電話応対しながら、PC画面の発注データとにらめっこ。大したことは何にもしてないのに、時間も心も削り落ちていく。
もう若くないということなのだろう。確かに、今月またひとつ年を重ねた……。
「ハァ……」
再びため息が
……何のために、何をしているのか。もう何が何だかよく分からない。
いろんな何かが湧き出して私はぎゅっと瞳を閉じる。溢れる波に呑まれぬように。それでも何かは降り重なって、しんしんしんと積もるのだけれど……。
――チリン……
座席に身を任せて、じっと瞳を閉じていると、遠くで鈴の音が聴こえた気がした。何故か何処か懐かしかった。……どうしてだろう。
そのとき、隣の人が私の方へこてんと倒れかかってきた。 たしか隣は若い女の子だったはず。よほど疲れていたのだろう。
同情と親近感と憐憫の入り交じった気持ちで、そっと目蓋を開くと、私の膝にいたのは黒猫だった。
(……は?……ネコっ?!)
叫びかけた自分の口をバッと押さえて、辺りをそっと見渡す。……他の乗客は気づいていない。
そんな私の気持ちなんて露知らず、半目で寝こけた黒いその仔は小さく喉を鳴らしてた。素敵な夢でも見ているのだろうか。
あまりの無防備さに、つい頬が緩んでしまう。ふと、大学時代を思い出した。……突然、姿を消した無邪気で素直な友達を……。
ゴーッと喧しい音を立てて、列車はトンネルの中に入った。外の景色が真っ暗になって、明るい車内が窓に映る。疲れた顔したひとりの女が黒い仔猫を撫でていた。
艶やかな背中を撫でているうちに、電車は駅へと到着した。ブレーキが響き、身体が傾く。この仔の身体もグラッと揺れて、それと同時に目を覚ました。
瞬きの間に、人に化ける彼女。慌てて取り乱すその表情はいつかのあの子にそっくりだった。『ネコに九生あり』というならば、きっと彼女はそうなのだろう。……そうだといいなと思っている。
「……連絡先くらい聞いてもよかったかな」
また人の減った明るい車内で、まだ暖かい膝に向かって、ひとり呟く。周りの誰にも聴こえないように。もう一度あの子に会えるように。
黒猫の夢 おくとりょう @n8osoeuta
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