女王の安息

兎舞

二人の時間

 大理石の回廊を静かに進む。中央の女性の靴音と、引く衣擦れの音だけが響く。何百人もいるはずの集会者たちは、呼吸も憚られる静けさだった。その静けさが更に緊張感を増す。


 深紅の絨毯に覆われた幾段かを昇った先の玉座に、女性が腰を下ろす。

 ゆっくりと顔を上げると同時に、広間の全てがこうべを垂れた。

 その様を端から眺め、小さく頷くと、左側の侍していた老爺が声を上げた。


「これより、本日の謁見を始めます」


 先頭の中央に蹲っていた集団が、嬉々として前へ進んだ。


◇◆◇


「お疲れ様」


 女王の自室の扉が閉まるのを確認し、室内で待機していた侍官は声をかけた。


 退屈この上ない役目を終え、数刻後に女王はやっと自室へ戻ることが出来た。既に太陽が真上を通り過ぎている。それだけ長時間拘束されつつ、彼女の空腹やのどの渇きを気遣う近侍はいない。今に始まったことではないが、それもまた彼女が謁見を嫌がる理由の一つだった。


「ほら、水飲んで。ああそのじゃらじゃらした腕輪も指輪も外せ。重いだろう」


 誰もが顔を直視することも憚る女王から、侍官はむしり取るように宝飾品を外させる。しかし女王は何も言わない。されるがままになっていることが心地よかった。


「何か食べるか? どうせ空きっ腹のまま座り続けてたんだろう」

「……いちご」

「はいはい」


 仕方ない、と言いたげに肩をすくめると、長い銀髪がさらりと流れた。女王は指一本動かすのも気怠いのに、立ち上がってその髪を掴む。


「っ、いってーって。こら」


 いきなり髪を引っ張られ、驚きと痛みでひっくり返りそうになりながら振り向く。しかし怒りはしない。

 振り向いたそこには、少女のようにあどけなく笑う女王がいると知っているからだ。


「さらさら」


 自分の髪を掬って落とし、掬って落として遊んでいる様は、子どもの頃と思い出させる。

 生まれながらの女王の彼女と、生涯を捧げて仕えることが決まっていた自分。けれどその運命に感謝こそすれ、恨んだことは一度もない。

 国中から尊敬と畏怖を集める女王の、本当の素顔を見ることが出来るのは自分だけだと分かっているから。


 自分の銀の髪が、光を反射して女王の瞳の中で輝く。今女王の世界には自分しかいないことを確認すると、幸せが込み上げてきた。


「ほら、ご所望のいちごだよ」


 いつまでも髪で遊んでいる女王の顎を救い上げ、小さく開いた口に小ぶりな赤い実を押し込む。遊びを中断されて一瞬不機嫌そうに眉根を寄せたが、口内の甘みに再び笑顔が戻る。


「おいで」


 侍官が両腕を広げると、女王はそこへすっぽりと収まった。

 豪奢で大仰なドレスを着ているせいか、人一倍大きく見える女王。

 しかし肩も腰も腕も、実は誰よりも細く華奢で、侍官の腕の中で折れてしまいそうだ。

 

(そんなことはさせない)


 国と民と、世界の重圧を一人で支える女王の、支えとなる。たとえ自分が最後の一人になったとしても。


 そのままそっと抱き上げ寝台へ横たえる。余程疲れていたのか、もう寝息を立て始めていた。手には侍官の髪を握ったまま。


 込み上げる愛おしさに流されて、いちごより赤い唇に口づけた。


 女王の束の間の休息は、自分が守る。例え何があろうとも。

 

 

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