赤い毒は蜜より甘く微笑む

和久井 葉生

赤い毒は蜜より甘く微笑む

「悪いが、この村のために贄となってはくれないだろうか」

 この村の長である養父の言葉に、俺は黙って頷いた。

 申し訳なさそうな口ぶりだが、全然そう聞こえないのはどうしてだろう。

 養父の顔を眺めながらそんな事を思った。

 その答えはすぐに出た。

 俺が居なくなっても誰も悲しまないからだ。

 俺が頷かなくてもどうせ生贄にするくせに、なぜそんな悲しそうなフリをするんだろう。

 俺がここで生かされてきたのは生贄にするためだけなのだから、悲しむフリなんか必要ないのに……。

「いつですか?」

 泣くわけでもなく、文句を言うわけでもなく、淡々とそう質問する俺に、養父は少し驚いたようだった。

「こ、今度の満月の夜だ」

 今度の満月といえば明日。

 なるほど。だから今日の夕ご飯はいつもよりご飯の量が多かったんだ。

 量が多かったとはいえお腹いっぱいになるほどでもなかったが、それでもいつもの量に比べれば空腹は満たされた。

 ご飯を食べた直後さえ空腹が満たされることはなかった。けれど、多少とはいえ空腹を感じなかったのは初めてだ。

「分かりました。じゃあ、明日までに準備をしておきます」

 頭を下げて部屋を出て行こうとする俺を、養父が引き留めた。

「話は……まだ、終わっていない」

 改めて養父に向き直る。

 けれど、話がまだあると言っておきながら、何故か養父は口を開くことをためらっている。

『生贄になれ』とすんなり吐き出しといて、それ以上の何が言いにくいのだろう。

 そう思っていた時、養父が袖の袂から小さな包紙を出した。

「これを……持っていきなさい。山に入って虫に刺されたらこれを塗るといい」

 包み紙を開いて中を見た。

 セリに似た葉が入っていた。

 贄として喰われるのに虫刺されなど気になるはずもないのに、どうしてこんなものをくれるのか分からない。

 妙な優しさに勘ぐりたくなるが、もはやどうでもいいことに思えてきた。

「塗るのは山に入ってからだいいな」

 念を押すように養父が言った。

「優しいご配慮、有難うございます」

 心からそう思ったわけではないが、恭しく頭を垂れた。

「お前のおかげで村が救われる。十を少しばかり越してはいるが、贄に変わりはない。わしはお前を育てることが出来て誇らしく思うぞ」

 流れてもいない涙をぬぐうと、話はこれで終いだと告げた。

 部屋を出るとき、養父がぼそりと呟いた。俺は「はい」とだけ答え、寝床である物置へと向かった。



 村の近くの山に、目の赤いバケモノが住んでいるという。

 三年に一度、十に満たない生贄を差し出さなければ、呪い殺されるのだとか。

 前回、差し出した生贄が無事に戻ってきたことがあった。

 皆、その者の無事を喜んだが、次の日、生贄とその家族は泡をふいて死んでいた。

 村人たちは恐れ、愛しい我が子を生贄として差し出すしかなかった。

 けれど、可愛い我が子を喜んで生贄に差し出す者はいない。だから、村の長である養父はよそから子どもを調達した。

 俺は親の顔を知らない。口減らしのために捨てられた子だと養父から聞かされた。

 俺がこの世に生を受けたのは、贄としてこの身をささげるため。

 だから、きちんと役を果たさなければならない。

 養父が最後に言った言葉を噛み締める。

『たとえ命拾いしたとしても、ここには絶対に戻ってくるな』

 養父に対して恨みも憎しみも、ましてや怒りもない。

 そんなものは、とっくに捨てた。

 悲しみもない。

 流す涙は枯れてしまった。

 恐怖も湧いてこない。

 本当に恐ろしいのは、人間だから。

 あるのは解放される喜びだ。

 これまで人として扱われたことはない。虫けら同然にあしらわれ、ゴミくずのように蔑まれた。

 自由はなく意見でもしようものならしばらく飯ももらえなくなる。

 飯を食わしてもらえるだけましだった。たとえそれを食べて吐き気を感じたり、腹を下そうと一刻でも空腹を紛らわすことができる。

 夏はまだいい。水汲みと称して川に行けば好きなだけ水を飲み、空腹を紛らわせることができた。辛いのは冬だ。凍てつく冷たさで手はあかぎれ、寒さで凍え死にそうになったこともあった。

 今となってはそれも生きていてこそ感じられたことだ。

 でも、もう空腹も寒さも感じなくていい。

 それだけが救いだ。



 次の日の夜、村が眠りに包まれたとき、養父に呼び出された。

 物置から出て空を見上げると、大きくて丸い月が浮かんでいた。

 山のふもとまで養父に連れてこられ、そこから先は一人で行けと送り出された。

「わかっているな」

 養父は念を押すように言った。

 言われずとも、戻る気などさらさらない。

「はい」

 一応死なずにここまで生きてこられたのだから礼でも述べようかと思ったが、養父はそそくさと背を向け足早に去っていった。

 山は思いのほか静かだった。

 バケモノが住んでいる山だからもっと薄気味悪いと思っていたが、そこは緑の葉が濃く茂る山だった。

 さて、どうしたものか。

 バケモノに喰われるにしても、肝心のバケモノに出会わなければ話にならない。

「お~い、バケモノ! 俺は生贄だ。喰われに来てやったぞ~」

 出せる限りの声で叫んだ。

 我ながら間抜けだなと思いはしたものの、他に方法を思いつかなかったので仕方がない。

 けれど、山は静かなままだった。

 もっと奥の方へ行ってみるか。

満月のおかげで、夜でも歩くのに苦労することはなかった。

 うっそうと茂る枝をかき分け、奥へと進む。

 すると、甘酸っぱいにおいが鼻をくすぐる。

 あたりを見回すと、小さな赤い実が鈴なりに実っていた。

 どこかで見たような……。

 もっと近くで見たくて手を伸ばしたその時――。

 かさりと草を踏みつけた音に振り向くと、そこにはとてもきれいなヒトがいた。

 色が白く銀の髪は艶やかでまるで絹の糸のよう。そして、真っ赤な瞳はキレイな石のような不思議な輝きを放っている。

 確かこの山に住むバケモノは、血のような真っ赤な目をしていると聞いた。

 まさか……このヒトがバケモノ?

 俺には目の前のこのヒトより、養父の方がよっぽどバケモノに思える。

「騒がしいと思ったら、人の子か。道にでも迷ったか?」

 凛とした声はとても心地よく、スッと心に溶け込む。

「あなたがバケモノ?」

 思わず聞いていた。

「人は私の事をそう呼ぶ」

 そのヒトの瞳が一瞬だけ哀しそうに揺れた。

 ジッと見つめる俺に、そのヒトは首をかしげた。

「私が怖くないのか?」

 わざと恐怖心を掻き立てようとしているのか、ジロリと睨みつけてくる。

 けれど、不思議と恐怖は感じなかった。

「俺は……あなたほどきれいな人を見たことがない」

 そのヒトは紛れもなく男だったけれど、キレイという表現しか思い浮かばなかった。男の人にキレイっていうのは、もしかしたら気分を悪くさせてしまうかもしれない。

 言ってしまってからしまったと思ったが、そのヒトはクスリと笑った。

「変わった子だ」

 笑った顔はとても優しくて、美しくて、俺はそのヒトから目が離せなくなっていた。

 けれど、そのヒトは俺に背を向けてしまう。

「ここにはお前を喰らうバケモノはいない。家にお帰り」

「生贄は……俺は必要ないの?」

 縋るように尋ねる俺の言葉に、驚いたように振り向いた。

「私は猪の肉は食すが、人間の肉は食さぬ」

「そんな……」

「ああ、そうだ。前回ここへ来た者に贄は必要ないと申したはずだが……」

 なるほど。それで帰ってきたんだ。

 でも――。

「次の日にその家族全員が泡を吹いて死んだ」

 村の者たちはバケモノの呪いだと騒いでいたっけ。

 でもこの山にそんな呪いをかけるようなバケモノは……いない。

「……なんと……」

 赤い瞳が哀しみに曇る。

 その時、甘い香りが鼻をついた。

「そういえば、この実を持って帰ってきた」

 俺の言葉に、そのヒトは目を大きく見開いた。

「あれほど口にしてはならぬと申したのに……」

 やっぱり呪いなんかじゃなかった。

 禁忌を犯したのは贄となったその者だ。

 けれど、赤い瞳から哀しみの色は消えない。

「その実は甘いが猛毒ゆえ――」

「知ってるよ。一度食って死にかけた」

 あまりにも腹が減りすぎて、甘いにおいに誘われ口にしたことがあった。

 ひと粒かじっただけなのに、吐き気と痙攣が起こり危うく死にそうになり、『贄となる前に死なれてはお前を育てている意味がない』と怒られたことがある。それ以来どんなに腹が減っても食べないと誓った。

 俺の言葉を聞いて、そのヒトは安心したように息を吐く。

「ならば口にすることもなかろう」

 それだけ言うと、そのヒトは俺に背を向け去っていく。

 ひとり取り残され呆然と立ち尽くす。

 帰れと言われても、もとより帰る場所はない。この先どうやって生きて行けというのか。贄として生きてきたのに、その贄の役目さえ果たせない。

『役立たず』

 何度も養父にそう罵られた。その時は怒りも悲しみも湧いては来なかった。

 それなのに、贄としてさえ必要がないと言われた今、哀しくて仕方がない。

 俺は、いったい何のために生まれてきたのだろう。せめて、贄としての役目を果たせれば生まれてきた意味を見いだせたのに……。

 もうとっくに涙は枯れたと思っていたが、まだ流れる涙があったようだ。

 にじむ視界の片隅に赤く丸い実が見えた。

 月の明かりに照らされて、赤い実がほのかに光を放っている。

 あのヒトの瞳と同じ赤い色。

 思わずその実に手が伸びる。

 プチっとひと粒手に採った。

 甘い匂いに誘われるように、それを口へと運ぶ。

 パシン――。

 手をはじかれて赤い実が地面に落ちた。

「これが毒だと知っていて、何故口にする?」

 ゆっくりと声がした方を向くと、バケモノと呼ばれたそのヒトが赤い瞳に怒りを宿し俺を睨みつけていた。

 それでもそのヒトを怖いとは思わなかった。

「食った後は気が狂いそうなほど苦しいが、食っている時は甘くておいしいから、どうせ死ぬなら腹いっぱい食って死にたい。たくさん食えば死ぬまでにそう時間もかからなそうだし」

 少しかじっただけなのに、あれほど苦しかったんだ。たくさん食べればすぐに死ねそうだ。死ぬのは怖くないけど、苦しいのはやっぱり嫌だ。

 そのヒトの赤い瞳が少しだけ揺れた気がした。

「ここで死なれても迷惑だ」

 確かに。

 でもどこへ行けば……。

 途方に暮れる俺に、その人が首をかしげる。

「贄は必要ないのだ。お主が死ぬことはないだろ」

「俺は贄として生きてきた。二度と帰ってくるなと念押しされた。俺に帰る場所はない。贄の役目も果たせない俺に生きている価値はない」

 そうだ。すっかり忘れていたが、養父からもらったものがあった。

『虫に刺されたらこれを塗るといい』そう言って渡されたセリに似た葉。

 よくよく見てみればこれはセリではなくドクセリの葉だ。

 以前、セリと間違えて摘んで帰ったら『殺す気か』と何日も起き上がれなくなるほど蹴飛ばされた。

 昔、村の者がセリと間違えて食べてしまい死んだと聞いた。

 さすがに贄として差し出す前に死なれては困ると思ったのか、何日も起き上がれない俺を医者に診せてくれた。

 その時、ドクゼリは触れるだけでも危険な草らしく、手がしばらくしびれていたのは蹴飛ばされたからではなく、ドクゼリのせいだと医者から教えてもらった。

 それを俺に渡した養父。

『死ね』と言われたのと同じだ。

「どこだったらあなたの迷惑にならずに死ねますか?」

 そう聞いた俺の手からドクセリの葉をもぎ取ると、そのヒトは哀しそうに笑った。

「名は?」

「え?」

 何を問われたか分からず聞き返す。

「お主の名だ」

「贄」

 養父から呼ばれていた名を口にすると、その人が顔を歪めた。

「それは名ではない」

「でもそれ以外の名前で呼ばれたことがない」

 そう答えた瞬間に、ふんわりと柔らかい何かに包まれた。

 そのヒトはとても暖かくて優しくて、とても心地よかった。

 赤く輝くその瞳にジッと見つめられる。

「この世に生を受けた以上、無意味なものなどひとつもありはしない。生きよ」

 その言葉を聞いて、何故か涙が流れた。

 哀しくもないのに、どこも痛くもなく苦しくもない。それなのに涙がどんどん溢れてくる。

 こんなことは初めてだ。

 ヒトの温もりがこんなにも温かいと感じたのは初めてだった。

 藁にくるまるよりも暖かいものがあることを初めて知った。

「私の名は朱嶺しゅい

「朱嶺……」

「お主が贄としての役を果たさなければならぬのなら、私はバケモノとしての役を果たさなければならぬな」

 そう言うと、朱嶺はにこりとほほ笑んだ。



「この村の長はいるか!」

 白いウマに跨り、朱嶺が声高々に告げる。

 村人たちは何事かと眠い目をこすりながら外を見る。

 朱嶺の姿に悲鳴を上げ、皆、恐怖に身を震わせた。

 養父はひょっこりと戸口から顔をのぞかせ外をうかがった。

 声の主の姿に、養父は腰を抜かした。

 朱嶺は養父に一瞥をくれると、妖艶な笑みを浮かべた。

「あの山にはもう住まぬ故、贄はもう要らぬ」

「贄はもう必要ないと……」

 震える声で養父が問うと、朱嶺はゆっくり頷いた。

「これまで苦労をかけたな」

 用はそれだけだと告げると、朱嶺は馬の腹をけり馬を走らせた。

 物陰に隠れて様子を見ていた俺の元へ、朱嶺が戻ってきた。

蒼生いぶき

 朱嶺が俺に言った。

「い……ぶき?」

 聞きなれない言葉に首をかしげる俺の頭を、朱嶺がクシャっと撫でた。

「お主の名だ。気に入らぬか?」

 赤い瞳が俺の顔を覗く。

 俺は首が取れそうなくらいブンブンと首を横に振った。

「俺の名は……蒼生」

 その名がストンと胸に落ち着く。なんだか照れくさくて俯く俺の頭を、朱嶺がもう一度クシャっと撫でる。

「私と共に居て、本当にいいのだな?」

 俺は力強く頷いた。

「私のこの容姿ではどこに行ってもバケモノ呼ばわりされるゆえ、普通の暮らしはできぬ。共に居るお前も辛い思いをするかもしれぬぞ」

 養父のもとに居た時は、家畜同然だった。

 朱嶺と過ごす日々がそれより劣るとは思えない。例えバケモノ呼ばわりされても、それでも俺は朱嶺と共に生きることを選ぶ。

 初めて人として見てくれる朱嶺と共に。

 さし伸ばされた朱嶺の手を掴み、朱嶺の乗る馬の背に俺も乗った。

「ひとつだけ聞いてもいい?」

「なんだ?」

「これまでの贄はどうしたの?」

 なんだそんなことか、とでも言うように朱嶺は赤い瞳で遠くを見つめた。

「もともと体の弱い子どもたちが多かったから、そう長く生きることは叶わなかった。でも、子の恵まれぬ夫婦のもとで幸せに暮らしている者もいる」

「そうか……」

 こんなに心優しい朱嶺をどうしてバケモノと呼ぶのだろう。

 ただ見た目が少し違うだけなのに……。

「さて、この山にはもう住めぬ」

「この山を出て、どこに行くの?」

 俺のせいで、朱嶺はこれまでの住処だった山を下りなければならなくなった。

「そうだな……。西の山には鬼が住んでいると聞く。その仲間に加えてもらうのも、意外に楽しいかもしれぬな」

 そう言って、朱嶺は優しく微笑んだ。

 俺の贄としての人生は終わった。

 これからはバケモノとして、自由気ままに生きていく。

 赤い瞳のバケモノと共に……。



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赤い毒は蜜より甘く微笑む 和久井 葉生 @WakuiHao

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