渇く

ヒロ

 

両親が死んだ。


知らない人ばかりの通夜の最中、私は一人、隅の方で遺影を眺めていた。

白い菊の上で両親は小さく笑みを浮かべている。


学校での授業中に突然訃報を受けた。

両親が交通事故にあって亡くなった、と。

理解も追いつかないまま、私は迎えに来た祖父母に葬儀場へ連れられた。

「見ておきなさい。」

祖母にそう言われ、私は大きな2つの箱に近づく。

白い箱の中で蝋人形のような両親は眠っていた。

箱の中に取り付けられた照明のせいもあってかあまりに白いその肌は、私にリアリティを連れてこない。


しばらくすると、顔も知らない人たちが次々に集まってきた。

白い箱の中を見てから、涙を流す人もいる。



それは、私にはまだ流れていなかった。


「今日はつかれたでしょう。明日もあるから、ちゃんと眠っておくのよ。」

通夜が終わり祖父母の家に泊まることになった私に、微かに赤くなった目を向けて祖母はそう言った。

祖母の用意してくれた部屋に一人になった私は、おもむろに制服を脱ぎ始めた。

適当にシワを伸ばしてハンガーに掛ける。

赤いリボンがあしらわれたセーラー服。

地元では中堅くらいの偏差値の進学校の制服だ。

それを壁にかけ、ぼんやりと眺めながら、私は祖母が用意してくれた敷布団に体を預けた。



私の母親は教育熱心な人だった。

ピアノ、水泳、ダンス、書道、学習塾・・・

幼い頃にやらされた習い事は数え切れない。

母が半ば強引に決めた中学受験に私の小学校時代の大半は費やされた。

やりたくもない勉強に忙殺される日々に嫌気が差し、私は勉強嫌いになった。

加えて母親は、あまり私を褒めなかった。

『褒められないと何もできないのは甘えである。』

というのが母親の考えだった。

そのせいか何事にも熱心になれない私にとっては、母親の情熱はありがた迷惑でしかなかった。

対して、父親は私にはまるっきり興味を示さない人だった。

「おはよう。」「・・・うん。」「ただいま。」「・・・。」

そんな会話と呼べるかも怪しいようなやりとりが私と父親の間では当たり前だった。

私の成長につれ、そんな会話の数すら減っていき、高校生になるころにはほとんどなくなった。学校行事にも全く参加しない父親に、私は怒りを覚えていた。

だからなのかもしれないし、反抗期のせいなのかもしれないが、私は家族が嫌いだった。


それでも、私は自分が恵まれていることを理解していた。

「自分が恵まれてるの分かってる?」

説教をするときの母親の口癖のせいもあるかもしれない。

幼い頃からたくさんの経験を積ませてもらえて、進学校にも何不自由なく通えている。

学校には友達がいて、優しい祖父母もいる。

きっと、私の置かれている状況は普通に見れば幸せなものなのだろう。


けれど、私は辛かった。

私には何もなかったからだ。

進学校にはそれなりの能力と家庭を持った人達が集まっている。

運動ができる人、勉強ができる人、歌がうまい人、絵がうまい人。

たくさん褒めてくれる母親。話を聞いてくれる父親。

輝いているものを見すぎていると自分の持っている『普通の幸せ』はどんどん霞んでいく。

私には何もない。運動できる体も、賢い頭も、やりたいこともなかった。

育ててくれている両親への孝行心もない。

普通の幸せを持っているのだから、「可哀想に」と同情もされない。

「虐待」「いじめ」「自殺」

そんな言葉がニュースで飛び交うたびに、私は『普通の幸せ』を突きつけられる。


ただ、「頑張るしかない。」「頑張らなきゃ。」

そんな声が私を責める。

声に押しつぶされそうなとき、私はいつも『両親が死んでくれればいいのに』、と

最低なことを考えた。

「早くに両親を亡くした可哀想な人」

そんな肩書が私は欲しかった。

空っぽな私に「憐れみ」を詰めて満たして欲しかった。

そうすれば、空っぽな自分を隠せるのに。何の取り柄もない私自身を隠してしまえるのに。


それは、私の、叶う筈のないささやかな夢だった。



次の日、両親の葬儀は滞りなく行われた。

長い長い読経を聞き、参列者へのお礼を述べて、火葬場へ移動する。

無骨な鉄の釜に入れられていく2つの白い箱をみんなで見送る。

すすり泣く声があたりに響く。

両親はとても愛されていたらしい。羨ましい、と思った。


火葬も滞りなく終わり、葬儀社のスタッフに案内されて両親の骨を拾う。

辛うじて残る骨格のラインに沿ってぽつぽつと並んだ骨はスナック菓子のようだった。

箸で掴むと、軽いような重いような、曖昧な感覚が伝わってくる。

両親が死んだという事実が、わかりやすく私の目の前に迫っていた。


改めて葬儀場に戻ると、沢山の人が私に声をかけてきた。

「大きくなったねえ。あんなに小さかったのに。」

「これからどうしていくの?・・・ごめんね、こんな事聞いちゃいけないよね。」

「いいご両親だったから、あなたもきっと素敵な大人になるわね。」

「泣かないなんて、強いわね。」

色々な言葉があったけれど、その表情や声色に含まれているのはどれも「憐れみ」だった。


両親が死んでくれれば。

そんな子供じみた願いは、大人になって親の偉大さを知れば自然と消えていくものだと思っていた。

親のありがたみに気付けること。

自分の無力さを受け入れられること。

家族を愛せること。

自分を愛せること。

それは、私のもう一つの、叶うかもしれない夢だった。



すっかり人のいなくなってしまった葬儀場で、私は一人、両親の遺影を眺める。

小さくなった両親が満開の菊の花の前に置かれている。


「母さん。」

「父さん。」


もうこの世の何処にも意味のなくなってしまった言葉を私は呟く。


涙は、出なかった。

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