観察官
空間なぎ
観察官
「ねぇねぇ、聞いてよ」
隣のテーブルで、派手な女が、向かい合って座る男に話をもちかけた。
「今日の朝ってか、深夜にさ、なんか、変な人に注意されたんだよね」
「へぇ。どんな人?」
私は、心の中で、彼らがこれ以上話をしないことを願った。が、そうタイミングよく店員さんが現れるはずもなく、彼らは再び話し始めた。
ああ、きちんとメモしておかなければ。スマートフォンを取り出し、メモ帳のアプリを開く。
「うちってタバコ禁止じゃん? でも、ついベランダで吸っちゃったのね」
「ああ」
「そしたらさ、やめてくださいって声が聞こえたの。いきなり言われたからさ、あっはいって返事しちゃった」
「え、返事したの? てか、その人の外見は?」
二人は、大変楽しそうに大声で話している。楽しそうで何よりだ、と思いながら、運ばれてきたコーヒーを流し込む。ちょっとぬるいが、まぁ、いいだろう。
「声がしただけでさ、どこにいるかとか、どこから声かけられたのかとか、全然わかんないの」
女はそう言うと、店員が注文の品を運んできたのか、話を中断し、
「ありがとうございまーす」
と、お礼を述べた。ああ、店員よ、このタイミングではない。もっと早くに、運んできてくれたらよかったのに。私はそう思ったが、もう取り返しのつかないことである。
ひとつ、ため息をつく。スマートフォンを膝に移動させ、横に置いてあるリュックからノートパソコンを取り出す。テーブルの表面が濡れていないか、念入りに確認したのち、そこにノートパソコンを置き、開き、メールのアプリを起動させる。
「ん、このパンケーキ、めっちゃおいしい」
そうつぶやく女を横目に、さっきスマートフォンにメモした内容をメールの本文に打ち込んでいく。上司に送るメールなので、誤字脱字に気を付けなければいけない。
それにしても、レストランは、タネの宝庫だな。ネタではない。怪奇現象のタネのことだ。
私の仕事は、怪奇現象のタネを調査し、観察することである。
一般の人々は、まったく自覚もせずに、やれホラーやら、オカルトやら、超能力やら騒いでいるが、それらにはルールがある。
霊現象や怪談であれば、それを他人に話した瞬間、実在するルール。超能力やオカルトであれば、それを他人に話した瞬間、霧散するというルールだ。
話すことで生まれるもの、話すことで死ぬもの。二つの事例を観察、収集して数年。いくつもの幽霊が誕生する瞬間を見、いくつもの超能力が失われるさまを目にしてきた。
ここ数年、世間の人々はホラーというスリルにハマったのか、やたら幽霊が増えまくった。おかげで、私の同級生の陰陽師は、毎晩仕事で忙しいらしい。
超能力者は、話題の人になれる快感と引き換えに、その超能力のすべてを失い、ただの人間に戻った。なんとも哀れなことだ。黙っていれば、さまざまな恩恵にあずかれたものを。
「さて……こんなもんかな」
文字を打ち終わり、背伸びをする。
私がパソコンと向かい合っている間に、隣の女たちはいなくなっていた。あの女は、夜な夜な「やめてください」と言う霊に、悩まされることになるのだろう。私なら、絶対にごめんだ。
ああ、今度は私が座る後ろのテーブルから、話し声がする。
「信じてくれる? 私、実は未来を予知できて……」
私は、深くため息をついた。
観察官 空間なぎ @nagi_139
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